恋に落ちる音2(夢主視点)


 カフェにいる姿が絵になる男性ってなかなかいない、と思う。コーヒー専門のチェーン店ならまだしも、ここは女性雑誌で取り上げられるほど女性からの人気が高いカフェだ。天井からはドライフラワーが吊り下げられていて、テーブルや椅子はアンティーク調。周りのお客さんは女性が多く、店内や料理を写真に収めている人も多い。
 そんなお洒落な店内で、きっと女性の私よりも、デンジ君はこの場に溶け込んでいると思う。普通なら男性は入りにくいと思うし、嫌がられるだろうなと思っていたのに、お店の前を通りかかったときの私の視線に気付いたデンジ君が、ここで休憩しようかって言ってくれたのだった。
 ああ、それにしても、本当に素敵だな。お店も、それを背景に座っているデンジ君も。

「当たりの映画だったな」

 パンフレットから顔を上げたデンジ君の声で、現実に引き戻された。反応が遅れてしまった私を不思議に思ったデンジ君が、軽く首を傾げる。

「さっきの映画」
「え、ええ。最後、すごく感動しちゃった。二人が結ばれて、ハッピーエンドで終わってよかった」
「エンドロールで泣いてたもんな、レイン」
「あ……バレてた?」
「バレバレ。そういえば、さっきの映画の原作は小説らしいぞ。パンフレットに書いてある」
「そうなのね。今度読んでみようかな」

 ここに来る前に見た映画は、いわゆる恋愛映画だった。立場が違う男女が、惹かれ合い、すれ違いながらも、最後は二人だけで秘密の結婚式を挙げるというストーリーだった。
 見どころはたくさんあったのに、実はよく覚えていない。デンジ君が握ってくれていた右手に、ほぼ意識を奪われていただなんて、言えない。でも、映画を見ている間ずっとドキドキしていたし、デンジ君も当たりって言ってたから、きっと面白かったんだ、と思う。今度、原作の小説をきちんと読もう。

「でも、デンジ君と一緒に恋愛映画を見るなんてなんだか新鮮ね」
「そうか?」
「ええ。だって、オーバ君も一緒に見るときはアクション系とかSF系が多かったから」
「そりゃあ、オーバがいるのに恋愛ものは見ないだろ。今日は別。デートだしな」

 デンジ君は何でもない顔で、その単語を口にする。逆に、私の心臓はその単語を聞いただけで跳ねてしまう。
 どうしよう。映画館は暗くてきっとわからなかったと思うけど、今はバレてしまう。顔に熱が集中してきてるって、わかってしまう。
 咄嗟に、話題を目の前のものに移した。

「で、デンジ君が食べてるデザート! すごく美味しそうね!」
「ああ。この苺タルト?」
「私も迷ったの!」
「じゃあ、一口やるよ」

 サクリ、と美味しそうな音を立てて、フォークに掬われたそれは、私の口の前まで運ばれてきた。デンジ君は悪戯を仕掛けようとしている子供のような、そんな顔で笑っている。その行動の意味がわかったとき、恥ずかしさが頂点まで達した気がした。
 意を決して、髪を手で抑えながら小さく口を開いた。

「美味いだろ?」

 私は頷き返すので精一杯だった。

 カフェを出てからは、逃げるようにしてお手洗いに駆け込んだ。鏡に映った私の顔は、想像していた通り真っ赤だ。今ならデンジ君のオクタンといい勝負の赤さかもしれない。

「し、心臓がもたない……これがデート……!」

 ふと、スズナちゃんに電話したときに、アドバイスされたことを思い出した。「デートは服だけじゃなくって、下着まで気合を入れないとダメですよー?」と、冗談半分本気半分という感じで、そう言ったスズナちゃん。……さすがの私でも、どういう意味なのかわからない、ということはなかった。
 ああ、そんなことを思い出すからまた熱が顔に集まってきた。私は今まで恋愛経験が皆無だからよくわからないけど、さすがに、それは、早い、と思う。

「な、ないない! だって、初デートだもの! まだお付き合いを始めて一週間くらいしか経ってないんだもの! 今日は映画を見てお茶して、ご飯を食べるだけの予定だもの……!」

 頭を冷やすために一度顔を洗って、手早くリップを塗り直してデンジ君の元に向かう。少しだけ、落ち着いた気がする。
 恋人同士になって二人で出かけることをデートと呼ぶとはいえ、好きと言われる前と後でこうも変わるものなのかしら。二人で出かけたことは何度だってあるのに。手を繋いだことも何度だってあるのに。名前を呼ばれることなんて当たり前なのに。
 なのに。それなのに、どうしてこうも恥ずかしかったり、でも嬉しかったりするのだろう。一体、何が違うというのだろう。

(好きだ)

 そう言われたときの私の感情を思い出して、少し違和感を覚えた。
 あのとき、私はデンジ君に恋はしないだろうと思った。私も、デンジ君が好き。世界で一番大切な人。でも、それは恋ではなくて愛だと思った。もちろん、彼が最愛であることは今だって変わりない。……でも。

「デンジ君」

 壁にもたれてスマートフォンを見ていたデンジ君が、顔を上げた。その柔らかい笑顔を見てーーやっとわかった。鈍い私でも、ようやく理解できた。
 あのときの私は、今の私が感じている感情を知らなかった。デンジ君を見て胸が高鳴ったり、手を握られるだけで恥ずかしくなったり、そんな風になるなんて思わなかった。

 ーーぽちゃん

 まるで、水面に落ちた水滴が波紋を広げていくような感覚。そうか、これが。

「待たせてごめんなさい」
「ん。じゃ、行くか」

 恋をする、ということなのね。



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