恋に落ちる音1(シャワーズ視点)


 フカフカのベッドに丸くなって、そこに顔を擦り付ける。あたたかくて気持ちいい。シンオウ地方を旅している間はここを離れていたのに、ずっとここで眠っていたようにぐっすり眠ることができた。やっぱり、眠り慣れたベッドが一番だ。
 名残惜しいけど、もう朝。そろそろ起きなきゃ。あくびを一つして、うーんと背伸びする。マスターの部屋。ここも見慣れた景色だ。旅から帰ってきて一週間くらい経つけれど、改めて、帰ってきたんだなぁって実感する。

「おはよう。マスター」
『シャワーズ! おはよう』

 当たり前に、マスターもそこにいた。お仕事がない日はいつもはお寝坊さんなのに、今日はシャワーズよりも早く起きているなんて珍しい。それに、いつもに増して表情が明るい。なにかあったら、マスターはいつも顔に出ちゃうもんね。

「どうしたの? なんだか嬉しそう。お仕事がお休みだから?」
『それもあるけど。あのね、今日はデンジ君とお出かけするの』
「お出かけ! いいなー! どこに行くの?」
『えっと、映画を見に行く予定なの。シャワーズも一緒に来る?』
「一緒に行っていいの?」
『もちろんよ。デンジ君にもサンダースを連れてきてもらえたら、シャワーズも楽しいでしょうし』
「わーい! あ」
『どうしたの?』
「やっぱり行かない」
『どうして?』
「だってデートでしょ? しかも、初めての」
『……デート?』

 デート。と、その言葉の意味を確かめるようにもう一度呟いたマスターの顔は、デンジ君のオクタンみたいに真っ赤だった。

『で、デート……!』
「そうだよ!」
『今までと同じと思って何も意識していなかったけれど……そうね。好きって言われて、幼馴染から恋人になって、初めて二人でお出かけをするってことは、初デートになるのよね』
「うんうん」
『シャワーズ、よくそういうことを知ってるわね』
「この前ドラマでやってたよ」
『なるほど。って、感心している場合じゃないわね』

 マスターはクローゼットをガチャリと開けて、ハンガーにかかっている洋服を何着か手に取ると、鏡の前で自分の体にあて始めた。

「何してるの?」
『何を着ていこうかなと思って。デンジ君の彼女として隣を歩くんだもの。恥ずかしくないようにしなきゃ……!』
「ふーん」
『どうしよう。デートって何を着ていけばいいのかしら……全然わからない。こういうことは、スズナちゃんに聞いてみようかな』

 マスターはハンガーにかけられた服たちをベッドに並べて、その手でスマートフォンを取り、小走りに部屋を出ていった。シャワーズはマスターのベッドに飛び乗って、並べられた服たちを見下ろした。
 マスターが迷っていた服のほとんどはワンピースだ。洋服を組み合わせるのが苦手だから一着で着られるワンピースが好き、って前にマスターが言っていたのを思い出す。人間の好みはわからないけど、シャワーズはどれも可愛いと思う。きっと、デンジ君だってそう思うはずだよ。
 ーーガチャリ。帰ってきたマスターの顔は、なぜかさらに真っ赤になっていた。

「シャワーズ、そんなに難しく考えなくていいと思うなぁ」
『え?』
「だって、デンジ君は今までのマスターを好きって言ったんだよね? だから、特別何かしなくても、いつもどおりのマスターでいいと思う」
『……ふふっ。スズナちゃんからも同じことを言われたわ。スカートのほうがいいとか、軽くお化粧してみたらどうかとか、アドバイスはしてくれたけど。でも、普段どおりの私でいいんだって』
「うん! だって、デンジ君はマスターのこと大好きなんだもん!」
『ええ。……でも……あとは……』
「どうしたの?」
『な、なんでもないの! ……でも、少しでも、可愛く見られたい、な』

 うわぁ。こんなマスターの顔、今までに見たことがないよ。嬉しそうで、恥ずかしそうで、ちょっとだけ困ったような、でもとても幸せそうな顔。

「マスター、可愛い」
『え?』
「可愛いー!」
『きゃ、シャワーズいきなり抱きつかないで。……あ! もうこんな時間だわ! 急がなきゃ』

 パタパタパタ。お部屋の中をあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。鏡の前に座ったり、立ったり。
 花柄の膝丈ワンピースにカーディガン。それから、スズナちゃんの助言どおり軽くお化粧もしたみたい。ほっぺと唇がほんのりピンク色をしている。

『結局、いつもと変わらない感じになっちゃった』
「大丈夫だよ。可愛いよ?」
『ありがとう』

 まだ納得がいっていない、という様子だ。
 おもむろに、マスターは髪の毛に手を伸びした。耳から上の髪の毛をまとめて、綺麗な石がついた髪飾りで留めている。

『……よしっ』
「マスター。これ、光ってるよ」
『あ! デンジ君が迎えにきてくれたんだわ。行かなきゃ。じゃあ、行ってきます』
「いってらっしゃーい!」

 メッセージを確認したマスターはスマートフォンをバッグに入れて、慌ただしく部屋を出ていった。……ちょっとだけ、後をついて行っちゃおう。
 人間が通れないような近道を通って、着いたのは孤児院の裏側。車に寄りかかって立っているデンジ君は、ちょっと落ち着かない様子だった。
 でも、マスターが出てくると、普段は見せないような笑顔をして、その名前を呼んだ。そして「可愛い髪してるな」って言われたマスターも、すごく綺麗に笑ったんだ。
 シャワーズはタマゴから孵ったときから二人のことは知っているのに、なんだか全然知らない二人みたいで、ちょっとだけ寂しくて、でもすごく嬉しかった。



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