幸せを溶かした日常


オレにとっての幸せってなんだろう、と、ふと思った。
ポケモンと熱いバトルを繰り広げる時。ジムの改造をしている時。うまいものを食べる時。天気の良い日に二度寝をする時。
それから、らしくないと思われるかもしれないが、ゆっくり風呂に入っている時だろうか。

オレとオレのポケモン達だけで暮らしていた頃は、わざわざ風呂を溜めるという習慣がなかった。一人が入るために湯を溜める時間が面倒だったからだ。
よっぽど寒い冬の夜や、ジムの改造で体中が油まみれになったときくらいは湯船に身を沈めたくもなるが、たいていはシャワーだけで済ましていたのだ。
レインと結婚して一緒に暮らすようになってからは、何も言わずとも彼女が風呂を沸かしてくれるので、毎日湯船に浸かる習慣が出来た。
久々に湯船に身を沈めたときに改めて実感したが、やはり風呂は良い。体の芯から温まって凝り固まった疲れが解れて溶けていく。
風呂はポケモンとスキンシップをとるにも最適で、ライチュウなんかは風呂が好きでオレが一人で入っていると自分もと風呂場に飛び込んでくるほどだ。ただ、レインのポケモンとは違い、ライチュウ達には気をつけてもらわないとこちらが感電してしまう。

「はー。やっぱり風呂は良いな。一日の疲れが全部とれる」
『そうですね、デンジさま!リオルもお風呂大好きです!』

今日、風呂を共にしているのはレインのリオルだ。タオルで泡を作ってやったり、水鉄砲を飛ばしてやったりするととても喜ぶので、リオルと風呂に入るといつも長風呂になってしまう。
しかし、今日はもう一人、一緒に風呂に入っているのだが。

「……レイン」
「はっ、はい!」
「なんでそんなに隅っこにいるんだよ」
「……何となく」

レインはそう広くはない浴槽の隅っこにこれでもかというほど身を寄せて体育座りをし、肩までしっかり湯船に浸かっている。目は伏せられていて、リオルが湯で遊ぶ度に発生する小さな波を追いかけているようだ。
一緒に風呂に入ったことは、これが初めてじゃないのだが。

「慣れないよなぁ」
「だって、その」
「裸なんてもう何度も見てるのに」
「そっ!そういう時と今は全然違うというか、あの、それに明るいし……」
「関係ないのに」
「関係あるのっ」

なにやら必死である。女心はよく分からん。
ちなみに、一緒に風呂に入る時の入浴剤はほぼレインが選んでおり、たいていは乳白色かそれ以外の色でも濁りがあるものが多い。今日も例外ではなく乳白色である。
湯から出ているレインの首筋から耳まで真っ赤に火照っているようだが、きっとそれは温まり過ぎているという理由だけではないのだろう。

「レインさま、だっこ」
「良いわよ。リオル、おいで」

リオルがレインの方に身を乗り出したので手を離してやると、上手に足を動かしてレインがいる方まで泳いで行った。
レインに抱きついたリオルは、なにやら不思議そうに目をぱちぱちさせると、乳白色に隠れたレインの体をじっと見た。その視線に気付いたレインは少々慌てた様子でリオルを逆向き、つまりオレと向き合う形に抱き直した。

「レインさま」
「ど、どうしたの?」
「レインさまとデンジさまは同じ人間なのに体の形が全然違うんですね」
「そ、そうね。デンジ君は男の人で私は女だから」
「どうして違うんですか?」
「どうしてって言われても……」
「デンジさまにだっこされるとがっしりしていて安心します。レインさまにだっこされると柔らかくてふわふわで眠たくなっちゃいます。それから下の」
「り、リオルストップ!」
「……っ」
「デンジ君も笑わないで……!」

リオルの純粋な問いにしどろもどろになっているレインがおもしろくて、笑いを堪えて眺めていたら、怒られた。
悪い、と言いながらそれでも込み上げてくる笑いを堪える。

「そうだな、リオル。ポケモンだってオスとメスで体つきが違うことがあるだろう?例えば、ピカチュウだったら尻尾の形が違うし、レントラーだったら鬣のボリュームが違う。それと同じだ」
「あ!そっかぁ!そう言えば、そうですね」

リオルは納得したのかそれ以上追求してくることはなく、湯船に浮かべたコアルヒーのおもちゃで遊び始めた。レインが心底ほっとした顔をしていたので思わず吹き出すと、口を尖らせたレインは口元までを湯の中に沈めてぶくぶくと泡を作ってみせた。
あー、なんかなぁ。
右手を伸ばしてレインの脇腹を下から上へ撫で上げると、レインはベイビィポケモンが鳴くような声を上げて硬直してしまった。

「一緒に風呂に入るのも久々だし、二人だけだったら、なぁ?」
「なっ、なに?」
「分かってるくせに」
『レインさま、お顔真っ赤ですよ』
「そ、そう?のぼせたのかしら。じゃあ、そろそろ上がりましょうか。ほら、リオル。肩まで浸かって、十数えましょう」
『はい!いーち、にーい。デンジさまも!』
「はいはい。さーん、しーい」

なんだか、こうしていると本当の親子のようだと思う。オレとレインの間に子供が出来たら、こんな感じになるのかなぁとぼんやり思うと、言いようのない幸せに満たされるような気持ちになる。
ああ、幸せ、だなぁ。

きちんと十まで数え終わり、湯船から出たリオルは風呂場の戸を開けると、利口なもので飛び出したりせずに拭かれるのをじっと待っていた。
さすがはレインのポケモンと言ったところだろうか。躾が行き届いているというか、レインを見て育ったからなんだろうな。特に、リオルは卵から産まれてずっとレインの傍にいるから。
リオルにタオルを持たせ、ライチュウに拭いてもらうように言って先に脱衣所から出し、オレとレインは自分たちのことを済ませる。
Tシャツを頭から被った瞬間、甘酸っぱいクランベリーのような香りがした。これは、レインを抱きしめたときにする香りだ。
Tシャツの首もとを引っ張ってクンクンと匂いを嗅いでいると、レインがあっと声を漏らした。

「柔軟剤、ついいつも私が使っていたものを買っちゃったのだけど、大丈夫?香りとか、ない方が良い?」
「いや、大丈夫だ。この匂い、嫌いじゃないしな」
「良かった……ふふっ」
「なんだよ」
「ううん。なんだか、お揃いの匂いで嬉しいなぁって思って」
「……」
「みゅっ」

何となく、軽くでこぴんをしてみると、妙な声を出して額を押さえ、心なしか潤ませた瞳でオレを見上げてきた。
こいつは分かってない。本当に分かってない。天然って怖い。
あー、くそ、可愛い。

「ベッドに入ったら覚悟しておけよ」

オレと同じように、幸せに溺れるほどに愛してやるから。





20131002


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