盲目メイデン


※「ナギサのスターに献上品を」続編

シンオウは亜寒帯湿潤と呼ばれる気候を持つ地域らしい。最寒月の平均気温は常に零下、最悪零下二十度以下まで下がることもある。三月に入ってからも寒さが残り、上着やマフラーを手放せない日々が続いていた。
しかし、三月も半ばに差し掛かり、ようやく春らしい陽気を感じることが出来た。昨日の大雪が嘘のように空は晴れ渡り、暖かい日差しが燦々と地上に降り注いでいる。
これはしめたとばかりに、私は孤児院の仕事を片付けてしまうことに決めた。悪天候が理由でたまり込んでいた洗濯物を干し、強風で散ってしまった落ち葉を掃き集めた。
ここまでが午前中のスケジュール。
午後からは夕食の買い出しついでに小麦粉やベーキングパウダーなどお菓子作りの材料を買い込み、ケーキやクッキー作りに精を出した。
今日は、ホワイトデーだ。イベントごとをいつも楽しみにしている子供たちの為に、バレンタインデーの時よりも豪華に仕上げてみた。もちろん今日、バレンタインデーに配ったチョコレートのお返しに、子供たちがお花を摘んできてくれたり私の似顔絵を描いたりしてくれたから、そのお礼も兼ねて、だ。
ケーキには生クリームとイチゴをたっぷり乗せて、クッキーは可愛らしいポケモンの型にくり抜いた。ピカチュウ、イーブイ、ポッチャマ、ミミロルなどなど。
おやつの時間になって、出来上がったケーキとクッキーをどうぞ召し上がれと差し出した。
キラキラ、キラキラ。
子供たちは目を輝かせながら我先にとおやつにかぶりついていく。孤児院に住むポケモンたちもわらわらと寄ってきて、僕にも私にもと前足をテーブルにかけて子供たちに催促している。
喜んでもらえてなによりだ。私は一人の子の頬についた生クリームを拭ってやりながら、思わず微笑んだ。きっと、今日がホワイトデーだと忘れてしまっているわね。
いつもと変わらない平和な日常。みんなが笑っていて、たまにおやつの取り合いで喧嘩したりして。普遍的な日常が、幸せ。
こうして誰か笑顔のために働きながら、生きていきたい。ずっとずっと、こうやって過ごせたら……
その時、短めの着信音が鳴った。スマホを開けばディスプレイの隅にメッセージマークが映っていた。そこをクリックしてメッセージを開く。デンジ、君?

『今から会えるか?』

両手を使ってキーボードをタップする。ええ、大丈夫よ……と。
右下にある送信ボタンを押して数秒後、メッセージはすぐに返ってきた。

『今からそっちに行く』

じゃあ、灯台で待ってるね……と返信してスマホを閉じた。
イーブイは……みんなと一緒に食べているから、そのままで。少し出かけてくることを母さんに告げて、私は孤児院の隣に建つ灯台に向かった
標(シルベ)の灯台。太陽に愛されたナギサシティの街を、海を照らし、旅人たちを導く灯台は、シンオウ地方のシンボルとも言われている。
エレベーターを上って、ガラス張りの展望台に着いた。当然、デンジ君はまだ来ていない。
どうしたのかしら、何か用事でもあるのかしら……?ソファーに腰掛けて、左右の足をぶらぶらと交互に揺らしてみた。
ふと思い立って、設置されている双眼鏡をのぞいてみる。最初はぼやけていた視界のピントが徐々に合ってきて、荘厳なる景色を私の瞳に映し出した。
シンオウ地方のポケモントレーナーたちの頂点に立つ存在、四天王とチャンピオンが構えるシンオウリーグ。険しい崖を滝登りした先にある、濃霧に包まれたその建物は、静かに挑戦者を待っている。
……そういえば、確か、デンジ君も。

「レイン」

ゆっくり、後ろを振り向いた。デンジ君が右手をあげながら、こちらに歩いてくる。
一歩一歩近付いてくる彼を見て、大きいな、とぼんやり思った。隣に並ばれると、よけいに実感する。私の身長は、デンジ君の肩にも届いていない。
大きい、な。男の人、なんだな。身長だけじゃなくって、いろんなものが私とは違う。

「悪いな。待たせた」
「ううん。ジムからここまで来る方が遠いから」
「ポケモンリーグを見てたのか?」
「ええ……デンジ君」
「ん?」
「あの、その」
「なんだよ。どうした?」
「っ……ポケモンリーグ協会から、四天王にならないかって誘われたって、本当?」
「ああ」

嗚呼、やっぱり。いつか、オーバ君が言ってたことは、本当、なんだ。
デンジ君の実力なら当然の話だけど、でも、私は。

「先の話だけどな」
「……え?そうなの?」
「ああ。キクノさんが年だからな。いずれ穴が開くだろうからそのときは是非と言われているが、まだまだキクノさんも現役だし。それに」
「それに……?」
「ナギサにいる方が楽しいからな」

ぽんぽんっと数回頭を撫でられて、ゆるりと細くなった目で見下ろされて、強ばっていた顔の表情が綻んだのが分かった。
良かった、デンジ君は遠くに行かない。ここに、いてくれる。

「あ。そういえば、どうしたの?」
「ああ。渡したいものがあったんだ」
「渡したいもの?私に?」
「今日はホワイトデーだからな。バレンタインのお返し、持ってきた。ラッピングする暇がなくて悪い」

デンジ君の左手が、私の目の前に現れた。私が両手を受け皿のように広げれば、そこに収まるサイズの何かが置かれた。
デンジ君の手がどけられて、それが私の目の前に現れた。シャンパンピンクのハート型をした小箱。それはフタが透明で、中身が見えるようになっている。中はというと、ハートを矢で射抜いた形に枠分けされて小物が入れられるようになっている。
……嬉しい。バレンタインのお返し、もらえると思っていなかったから。

「ありがとう……これ、デンジ君が?」
「ああ」
「可愛い小物入れ」
「よーく見てみな」
「?」

デンジ君の手作り、何か仕掛けがあるに違いない。
フタを開けてじーっと中身を見てみても、取り立て変わったところは見あたらない。首を傾げつつ、うんうん悩む。ちらりとデンジ君を見上げてみれば、楽しそうにニヤニヤと笑っていて、なにが隠されているかどうやら教えてくれそうにもない。
うーんと悩み続けた私は、ふと小箱を裏返してみた。「おっ」と、デンジ君の声が降ってくる。小箱の裏面には小さな足が三方にあり、その中心に小さな巻き鍵を発見した。
5回ほど巻いてみると、カチャリ、カチャリと、小箱の中でゼンマイの巻かれる音が聞こえてきた。手を離すと、小箱から聴いたことのないメロディーが流れてきた。

「オルゴール、だったのね」
「ああ。気に入ったか?」
「もちろん!本当にありがと……綺麗な曲」
「それなら、作った甲斐があったな」
「えっ?オルゴールの部分もデンジ君が作ったの?」
「ああ」
「すごい……」
「ははっ。そんなに驚くことか?」

本当に、デンジ君の機械いじりの才能には脱帽するばかり。驚くわ、と呟いて流れてくるメロディーに耳を傾けた。
綺麗な音、優しい音、繊細な音、水の音、海の音。まるで雨やさざ波の子守歌みたい。
思いがけないプレゼントは、突然訪れた非普遍的な一日の中のワンシーンに。平凡も非凡も、私の中心にいるのはいつもデンジ君。
貴方がいてくれたら他には何もいらない。そう思えるほど、盲目的なこの感情はきっと私だけのもの。
彼がいてくれるから、私は、それだけで。






──END──


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