渚のスターに献上品を


アラームが鳴って、消して、また鳴って、消して。
これを数回繰り返した後、デンジはアラームの設定を根本から解除して携帯を放って、再びもぞもぞとベッドの中に潜り込んだ。
朝の冷たい空気に触れた体を温めようと、赤子のように丸くなる。
午前八時の出来事だった。
それからどのくらいの時間が流れたのだろうか。
サンダースに体を揺さぶられたり、エレキブルに声をかけられた記憶は朧気にあった。
半分はまだ夢の世界に意識を飛ばしていたからだ。
しかし、ライチュウがエレキブルの肩によじ登り、デンジが眠るベッドへ華麗にダイブしたところでようやく彼も覚醒して飛び起きた。
放電しなかっただけ良かったと思え、とエレキブルは鼻を鳴らすが、決して軽くはないライチュウののしかかりもデンジにかなりのダメージを与えた。
目覚めは最悪だ。
唯一デンジの眠りを妨げなかった主人思いのレントラーのたてがみを撫でながら、携帯を開く。
時刻は12時過ぎ、ちなみにジムからは数十という着信があった。
さすがにこれはマズい。
デンジは寝間着から着替えて、顔を洗い歯を磨き、慣れた手つきで髪をチャッチャと整えると、サンダースたちをボールに戻しようやく家を飛び出した。
何も食べなかったのは、先ほど携帯を開いたときに見えた今日の日付が関係している。
今日は2月14日、バレンタインデーだ。
世の男性諸君がそわそわと浮き足立つ日だが、デンジにとっては毎年恒例のチョコレート処理をする日だった。

ウィーン

ジムに着いたのは十二時半過ぎ。その扉は既に開いていた。デンジが定時に出勤することは本当に稀であるため、エリートトレーナーのショウマにサブキーをいつも預けてある。彼はデンジと正反対の本当に真面目で熱心な性格で、仕事に遅刻などあり得ないのだ。
「おはよう」と悪びれもなく右手を挙げるデンジに「こんにちはの時間ですよ」ともっともな言葉を返した後、ショウマはそういえばと口を開いた。

「リーダー。今年も届きましたよ」
「げっ」
「あからさまにイヤな声を出さないでください。あと顔も」

ショウマと共にジムの最奥にある最大のバトルフィールドに向かう。ある程度は想定していたが、今年はそれを遥かに上回る数のチョコレートの山があった。
ピンクや赤や白など色とりどりの甘ったるい色の箱は、たいていハートの模様が描かれていたり箱自体がハート型だったりする。チョコレートの数に比例して、それについてくるメッセージカードやファンレターの数も去年の倍以上だ。
デンジは盛大に溜息をはいた。
バレンタインデーにチョコレートが届くのは、毎年恒例の行事。シンオウ全土はもちろん、カントーやジョウト、はたまたホウエンなどの遠方からも配達されてくる。輝き痺れさせるスターという肩書き通りのスターっぷりである。
金髪に青い目、程良い長身と肉の付き具合は、巷ではスターとも称されるほどのルックスの良さ。そしてシンオウ地方最強のジムリーダーと謳われるほどのバトルの実力。
見てくれが良く、バトルの腕が確かなデンジにファンは多い。例え、中身がどんなに性格破綻者であっても、イケメンならすべて許されると言わんばかりだ。
また、遠方のファンは雑誌やテレビなどのメディアを通して美化されたデンジしか知らないものだから、王子のようなビジュアルの彼が実は改造マニアで街一つを停電に陥れても反省の色はないという最悪の事実を知る由もなく、アイドルの追っかけのように盲目的なまでにいられるのだ。中身を知らないことは幸せなのか、はたまた不幸なのか。
バレンタインデーにチョコレートをもらうことは、男性にとって相当嬉しいはず。しかし、デンジのこの顔。まるで、奥歯で苦虫を噛み潰したような顔である。

「別にチョコは嫌いじゃねーけどよ、限度ってもんがあるだろ。毎年毎年、飽きるっつーの」
「デンジ!チマリもチョコあげるー!」
「おー、サンキュー。お返しにここのチョコ好きなだけ食っていいぞー」
「やったー!」
「こら」

呆れ顔のショウマは、もう知らんとばかりに自分のポジションに戻っていった。チマリからもらったチロルチョコを口の中に投げ込むと、デンジはその場にドサリと腰を下ろした。
見上げるほどにあるこのチョコレートの山。果たして幾つあるのだろうか、考えることさえ億劫だった。

「このチョコチップケーキ美味しいよ!」
「良かったな。好きなだけ食って良いからな。あ、手作りのものは何入ってるかわからないから止めとけよ?」
「うん!でも、たくさんあるねー!全部食べれるー?」
「無理だ。というわけで、助っ人を用意したから心配すんな」
「ほんとー?」
「おいデンジ。まさかチョコ処理のために俺を呼びだしたんじゃねぇよな?」
「おお。早かったなオーバ。正解だ」
「ざっけんなよおまえ!」
「オーバ、はい。チョコもらってないんでしょー?」
「あーもう畜生!!そうだよ!今年も本命はなしですよ!食うよ食いますよ!」

着いた早々に挨拶もないままこの扱い、オーバでなければ堪忍袋の緒が切れても可笑しくはない。しかしこの二人の間に遠慮や配慮という言葉は存在しないので、問題ないということにする。
デンジに倣いドサリと腰を下ろすと、オーバは手当たり次第チョコレートの包装をはがして中身にかぶりついた。
いつの間にやら、サンダースを筆頭にしたデンジの電気ポケモン、ブースターを筆頭にしたオーバの炎ポケモン、そしてチマリのピカチュウ一家も出てきて、人間とポケモン全員力を合わせてデンジ宛のチョコレートを貪り続けた。
ここは本来ポケモンバトルをするためのフィールドだが、甘ったるいチョコレートの香りが充満するメルヘンな空間へと早変わりしてしまった。
デンジに用事があったのか再びこの部屋に入ってきたショウマは、扉が開くと同時に顔をしかめた。

「匂い甘…・こほっ、リーダー」
「なんだ?オレは今チョコの処理で忙しいんだ。手応えのなさそうな挑戦者が来たなら追い返せ」
「レインさんですけど」
「すぐに通せ」
「おまえって本当に現金だよな……」

それは仕方がない、何故ならばデンジだから。
ショウマと入れ替わりに、ひょっこりと顔を出したレイン。彼女が部屋に入ってくるよりも先に、イーブイがちょこちょこと駆けてきて一目散にサンダースとブースターの元に、もといチョコレートの元に向かう。
「イーブイったら、さっきも食べてきたのに」とクスクス笑いながら、レインもバトルフィールドに入ってきた。

「こんにちは」
「よう」
「よー、レイン」
「レインちゃんー!」

全身を使ってレインに抱きついたチマリは、彼女の手に紙袋が提げられているのを発見し、目を輝かせた。

「レインちゃんもチョコ持ってきてくれたの?」
「ええ。はい、チマリちゃん」
「わー!ありがとー!」
「はい。オーバ君にも」
「俺にくれるのか?」
「もちろんよ」
「レイン……ありがとうな。おまえだけだぜ毎年チョコくれるの……」

「チマリのピカチュウチョコだー!」「良かったなーチマリ!」「オーバのは何だったー?」「ブースター型のチョコクッキーだぜー!いいだろー!」「あー!いいなぁ!」
大盛り上がりをしているオーバとチマリに背を向ける形で、レインは腰を下ろした。正面にいるのはもちろんデンジだ。
先ほど、というよりレインが登場してからこの男、彼女が持っている紙袋を凝視しっぱなしなのである。全地方から届けられたチョコレートよりも、もらいたいのはたった一つだけ。
期待にそわそわと体が揺れそうになり、頬が弛んでしまいそうになるのを堪え、デンジはいつものポーカーフェイスを貫こうと努めた。

「デンジ君」
「ん」
「あのね、私、デンジ君にはチョコ作らなかったの」

ピシッ、脳にヒビが入ったような衝撃だった。思考停止、システムのサインはオールレッド、読み込みは不可能のようです。

「は……?」
「デンジ君、毎年同じようにたくさんチョコもらうから、チョコはイヤかなって……だから、これ」

レインは紙袋ごとをデンジに差し出した。
ツルツルとした素材の紙袋だ。
口を左右に開いて中身を盗み見れば、リボンが巻いてある柔らかそうな黒い布地が見える。いや、あれは黒い毛糸を編み込んで一つの布のようになっているもの。
それは、いわゆる、手編み物。

「マフラーを編んだの。チョコの代わりに、よかったら、これ」
「!」
「あ、あの、オーバ君とかみんなには内緒ね?デンジ君のためだけに編んだから」
「ああ……ありがとな、レイン」

全く、本人に自覚はないであろうが、とんだサプライズだ。
デンジは目を細めた。シンオウの冬は長い。残りの冬はこのマフラーと共に過ごそう。目の前でほんのりはにかむように笑う、春のような季節が訪れるまで。
さあ、一ヶ月後のお返しには何を贈ろうか。モノづくりが好きなデンジが、手作り以外の物を贈ろうと考えている訳もない。
これから一ヶ月間、デンジはたびたび職務放棄し、ジムの奥で何やら工具の音を響かせ続けるようになるのだった。





──END──


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