君が光に変えて行く


漂うのは暗闇、音もない深淵、冷たくて孤独な世界。
右も左も、上も下も、悴む体は感覚さえ失う。
何も見えない、何も聞こえない、自分は生きているのかすら分からない。
ただ、この浮遊感はまるで水に包まれているようで、果てしなく、下へ下へと、沈んでいく気がする。
息が出来ない、軋んだ喉が悲鳴を上げる。
誰か、誰か助けて。
縋るように伸ばした手の先に、一瞬だけ、小さな光が煌めいた。







「い……起……ろ……」

遠く遠く、誰かの声が聞こえる。ぼんやりとまだ覚醒しない頭で、その声のあまりの心地よさに目を開けずにいた。程良く低い、甘い痺れを持ったテノール。

「レイン!」

名を呼ばれ、激しく肩を揺り動かされ、ハッと目を開いた。心配そうな二つの蒼が、私を見下ろしていた。
未だに眠るイーブイを抱えてゆっくりと体を起こす。確か私は、デンジ君の家にイーブイと一緒に遊びに来ていて、デンジ君が少しコンビニに行ってくるって言うから、私は家で待ってたらイーブイと一緒にウトウトとしてしまって……睡魔に負けて、ソファーに身を預けた。
そこまでは覚えている。
それからは確か、暗い、くらーい世界に、独りでいた。そう……黄昏から夜に変わりつつある空を窓から見上げて思う。確か今日は新月だわ。
……悪夢、ね。

「デンジ……君」
「おまえ、なに泣いてんだよ」

ぐいっと、少し乱暴に親指で目元を拭われる。
怖い夢を見たのは覚えてる。でもまさか泣いているなんて、言われるまで気付かなかった。
自分でも頬をそっと撫でてみれば、そこはしっとりと濡れていた。むしろ、涙は今も止まらずに、次から次へと流れ出ているのだ。

「ちょっと、怖い夢、見ただけなの。大丈夫……すぐ泣き止むから」

「少しだけ待って」と、そう言って、大きく息を吸って、そして吐いた。若干、手も震えている。両手を胸に当てて、体と心を落ち着かせようとしたけど、涙はなかなか止まらない。むしろ、悪夢を思い出せば、涙は次から次へと溢れていくのだ。
一向に泣き止む気配を見せない私を見かねて、デンジ君は困ったように、ジャケットの袖で私の頬をこすった。少しだけ、痛い。

「んっ」
「おまえが泣くと、オレ駄目なんだよ。頼むから泣き止め」
「……いつも、停電起こして私を怖がらせるのに?」
「レインが本格的に泣き出す前に、ライチュウにフラッシュを使わせてるだろう。それに、あれはジムの改造で不可抗力だから仕方ない」
「ふふっ……なに、それ」

泣きながら、小さく笑った。ごしごしと、私の涙を拭うデンジ君の手を掴まえて、自分の手をそっと重ねた。頬に伝わる体温が、意外にもあたたかい。あまりに心地よくて、私はそっと目を閉じた。

「レイン?どうした……?」
「暗くて、冷たい場所に」
「ん?」
「独りでいたの」

真っ暗な闇と、冷えた水温と、無音の深淵と、息が出来ない苦痛。そう、まるでその世界は、海の底に沈んだように。
でも、悪夢から目覚めるその瞬間、小さな光が確かに煌めいたの。縋るように伸ばした手は、きっと、光に届いたのね。

「私、きっと、ずっと、光に憧れていたんだわ」

ねぇ、デンジ君。嵐の海で私を助けてくれた、貴方が私に光を与えてくれたの。

「暗闇も、孤独も、冷たさも、哀しみも、貴方は光に変えてくれるの……」

いつまでも輝きを失わない貴方は、まるで太陽のようにずっと私を照らして、そして見守ってくれるのでしょう。どんなに哀しい場所からも、私の手を引いて連れ出してくれるのでしょう。幼い頃、貴方が私を救ってくれた時のように。
私の頬に添えられている手とは逆の手が、おもむろに私の頭をわしゃわしゃと撫でる。驚いて目を開ければ、そこには、照れくさそうにそっぽを向くデンジ君が、いた。

「っきゃ」
「ほんとに……おまえは人が言えないような恥ずかしい台詞をさらっと言うよな」
「だっ、て、ほんと、の、ことよ?」
「わかった、わかったから、今は泣き止めよ。頼むから」
「うん……でも、もう少し」

貴方の優しい手に甘えていたいの。





image song 『君が光に変えて行く』
song by Kalafina

2009.9.24


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