79.消えないで
マスターの様子が、おかしい。頭を抱えて、その場に崩れ落ちちゃった。
マスター? ねぇねぇ? どうしたの? 苦しいの? 痛いの? どうして泣いているの?
(マスター!? マスター!)
「……っ」
マスターはとうとう、その場に倒れたっきり、動かなくなった。服をくわえて引っ張ってみても、前足で体を揺すっても、ピクリとも動かない。
ねぇ、マスターは疲れちゃったんだよね? 今日はたくさん歩いたもんね。だから、少し眠たくなっただけだよね? 少し休んだらまた起きて、シャワーズって呼んでくれるよね。
でも、起きなかったらどうしよう。こんなに哀しいところで、ずっと、このままだったら、どうしよう。マスター、死んじゃうの? いやだ、そんなのいやだよ、マスター。
(マスター! 起きてマスター! 誰か! マスターを助けて!)
ランターンたちが入っモンスターたボールが、音を立てて揺れている。
ねぇ、シャワーズどうしたらいいの? 下にいた人たちに、助けを呼びに行けばいいのかな? でも、その間に、マスターに何かあったらどうしよう。どうしよう、どうしよう、シャワーズわかんないよ。
ただ、泣きながら鳴き続けることしかできなかった。頼りないシャワーズの声だけが、ずっと、その階に響いていた。
その時、突風が吹いたと思ったら、濃い靄がみるみるうちに晴れていった。地面に影ができている。シャワーズは、泣き腫らした目で頭上を見上げた。
影の正体はボーマンダだった。きりばらいを使ったのかな? ボーマンダは、ランターンたちがモンスターボールに戻るときみたいに、赤い光になって消えた。
「シャワーズの鳴き声がすると思ったら、きみだったのか」
聞いたことがあるような、でも、どこで聞いたか思い出せない声だった。その声の持ち主の、青い服を着た男の人は、倒れたままのマスターに駆け寄ると、両手で抱き起こした。
何? マスターに何するの? マスターを連れて行くの? マスターに、酷いこと、するの?
威嚇するように、シャワーズが歯をむき出しにして唸ってみせると、その男の人は困ったように眉を下げた。
「わたしを覚えていないか? きみがイーブイだった頃にクロガネで会っただろう?」
シャワーズがイーブイだった頃に……クロガネで……あ! 思い出した。確か、波導っていう不思議な力で、シャワーズの体を浮かせた。確か、ゲンっていう、名前の人。
その手のひらが、あのときのように、青白い光を放って、シャワーズを包み込んだ。
「わたしときみの波導を同調させた。これで、きみの言葉がわかるよ。何があったんだ?」
(あのね、マスターが急に苦しそうになっちゃったの。頭を押さえてそのまま倒れちゃったの)
「彼女に何か変わったことはなかったかな?」
(えっと、えっと……『力』が発動してたみたいだったよ)
「なるほど……」
ゲンさんは辺りを見て顔をしかめた。「人間を憎んで亡くなったポケモンの怨念に耐えられなかったか……」と呟くと、マスターが零した涙の跡を、そっと拭った。
片腕はそのままマスターの肩の下に、もう片方の腕はマスターの膝の裏に回して、ゲンさんは立ち上がる。お姫様だっこ、っていうのかな。
「ズイタウンまですぐだ。そこのポケモンセンターまで彼女を運ぼう」
(マスター、起きる? 死んじゃわない?)
「はは。死ぬなんて、そんな大げさな」
でも、とゲンさんは真剣な顔をしてマスターを見つめた。「もう、死なせたりしない」ゲンさんが呟いた言葉の意味がとても難しくて、シャワーズにはよくわからなかった。