73.水中へと泡沫に


〜side MIROKAROSU〜

 今、僕たちはポケモンセンターの裏庭を借りて、コンテストの打ち上げを兼ねてバーベキュー大会を開いている。レインさん、ヒカリさん、コウキさん、ジュンさん、全員の手持ちのポケモンと、特別審査員だったアヤコさんとメリッサさんも含んだメンバーだ。
 飲めや食えやの大騒ぎをしているみんなの輪から外れて、僕は池から月を見上げていた。
 結局、優勝したのは一次審査と二次審査も合わせた総合得点が一番高かったコウキさんとルクシオだった。レインさんと僕は、二次審査と三次審査の得点はトップだったらしいけど、一次審査の得点がとても低かったから。それでも、なんと準優勝という成績を収めることができた。次にヒカリさんとパチリス、そしてジュンさんとポニータという順位だった。

「ミロカロス」

 柔らかい声が、新しい僕の名前を呼んでくれる。レインさんが傍に来てくれた。レインさんはにこりと笑って、僕の好物である渋いポフィンを差し出した。

「あれから調べてみて、わかったの。貴方の大好きなこの渋いポフィンの材料となるきのみにはね、ポケモンの美しさを上げる成分が秘められているんですって」
(え?)
「そして、ヒンバスは美しさのパラメーターが十分に高いときに、ミロカロスへと進化する」
(そうだったんですか……僕、自分が進化できるって知らなくて、自虐ばかり言ってました)
「……ミロカロス、今も自分のことが嫌い?」
(……)

 レインさんの問いに、すぐには答えられなかった。
 ゆっくり、今までのことを考える。生まれてから今まで人目に付かないように生きてきたことも、あのステージの上で浴びた歓声も、全部ひっくるめて。
 レインさんは答えを急かさずに、何も言わずに僕の隣に寄り添ってくれた。この沈黙は決して居心地の悪いものではなく、むしろ、ぬるま湯のように心地よい温度を持っていた。

(……僕は)
「ええ」
(外見は、それこそ一番美しいと言われるポケモンに進化できたけど、僕の内面は何も変わっていません。自分に自信がなくて、消極的で……でも)

 自分でもわかるくらい、体の内から力が溢れてくる。ヒンバスだった頃には感じられなかった何かが、ミロカロスとなった僕の中にはある。
 今の僕には、まだ限界が見えない。僕は、まだまだ強くなれる。

(僕、強くなります。自信を持って自分を肯定できるように。レインさんのことを守れるように)
「ミロカロス……」

 優しく温かい手で、レインさんが僕に触れる。その部分だけ、別の生き物のように熱を持つ。熱に浮かされるように熱い、嬉しい、そして、苦しい。
 ダメだよ、レインさんは、僕の、マスターで……人間、なのに……でも。

(……レインさん)
「なぁに?」
(もし……僕が一人でもレインさんを守れるくらい強くなれたら……)

 その時、聞き慣れない電子音がはっきりと聞こえてきた。その発信源はどうやらレインさんらしい。「ごめんね」と、レインさんはスマートフォンを取り出した。画面を見た瞬間、花のようにパッと、その表情が明るくなった。

「もしもし? デンジ君?」

 嬉しそうに、僕が知らない名前を呼ぶ声に、なぜか、心臓を貫かれたようだった。

「うん。準優勝だったの。見てくれてたの? ……ありがとう。うん……うん……あ! お花届いたのね。グラシデアっていうの。感謝のお花なんですって。可愛いポケモンが届けてくれたでしょう……え? 角でつつかれたの? ふふっ」

 嬉しそうな声と、笑顔を見ていたくなくて、深く深く、池に潜った。薄暗い景色、無音の世界。何も見えないし、聞こえない、ここだったら傷付かない。水面を見上げれば、微かに月が滲んで見える。
 レインさんは人間で、僕はポケモン。今のうちに気付けてよかった、引き返せなくなる前で本当によかった。
 レインさんは、初めて僕を受け入れてくれた人。とても優しくて、とても綺麗な心を持った人。大切な大切な、僕の唯一のマスター。それ以上でも、それ以下でもない。
 レインさんが望んでくれる限り、彼女の傍にいて彼女を守ろう。彼女の隣にいるのが、他の人間の男の人でも構わない。
 そう、マスターの幸せが、ポケモンにとっての幸せなのだから。





- ナノ -