60.暗闇を切り裂く力


 206番道路――別名サイクリングロードをゆく。風を切りながら、アスファルトの上を走る。景色が後ろへ後ろへと飛んでいくのを視界の隅に見ながら、私は目のコウキ君の背中にしがみつく。

「すみませんっ……シロナ、さん。会えないまま別れることになっ、て」
『ううん。あたしが資料集めに夢中で帰らなかったのが原因なんだし、気にしないで』
「は、いっ」
『それよりレインちゃん、さっきから声が上擦ってない? 大丈夫?』
「今、サイクリング、ロードをっ、下ってる途中で」
『そうだったの? 運転しながらの通話は危ないわよ』
「それは、大丈夫、です。私が運転してるわけじゃ、ないですから」
『? とりあえず、切るわね。また会いましょう』
「はい。では、また」

 スマートフォンを切ると同時に、私は両腕を使ってしっかりとその背中にしがみつき直した。たまに、コウキ君がしている長いマフラーが頬を掠める。彼のそれと同じ状態にある私の長い髪も、風に遊ばれて激しく靡く。

「レインさん、大丈夫ですか?」
「ええ」
「じゃあ、もう少しスピードを出しますね。しっかりしがみついててください」
「わかったわ」

 通話する私を気遣って、ややブレーキをかけながらサイクリングロードを下ってくれていたのだけど、ここにきてコウキ君はブレーキから手を離した。途端、軽い浮遊感に囚われて、あとは坂道に従ってタイヤがくるくると回転する。
 少し見上げた先にあるコウキ君の耳が、少しだけ赤い気がした。

「わざわざごめんなさいね。ヨスガシティまで距離があるのに」
「気にしないでください! ぼく、ちょうど次のコンテストに出ようと思ってたんで! 博士にも許可をいただきましたし!」
「そういえば、コウキ君の家に泊めてもらったときにコンテストが好きだって言ってたわね。次はコリンクとだったかしら?」
「はい! あ、でもルクシオに進化したんですよ!」
「本当? おめでとう!」
「ありがとうございます! それにしても、レインさんが自転車に乗れないなんて意外でした」
「う、ん……それもあるけど私、洞窟とか暗いところが本当にダメで……サイクリングロードの先のテンガン山を一人で越えられる自信が……」
「あはは! 大丈夫ですよ! ぼくにはケーシィとルクシオっていうフラッシュが使えるポケモンが二体もいますから!」
「ええ。頼りにしてるわ!」

 サイクリングロードでは、シンオウ地方の中部から南部までを一気に下れるだけあって、距離自体も長い。でも、こうやって話しながらだとその時間はとても短く感じられた。
 南ゲートに着いたときに時計を見たけれど、ヨスガシティを出てからだいぶ時間が経っていたことに気付いた。
 コウキ君が自転車を返す手続きをしている間、私は待合室の椅子に腰掛けていた。

「あの……」

 女の人に声をかけられて、顔を上げる。左薬指に指輪が見えたけれど、私より少し年上くらいの若い女の人だった。女の人は、その穏やかに弧を描いた眉を微かに寄せて、目尻には涙が浮かんでいるみたいだった。

「ポケモントレーナーのかたですか?」
「はい、そうですけど」
「あの……お願いします! 助けてください!」
「え? どうしたんですか?」
「うちの子供が、洞窟の中に入ったっきり戻ってこないんです! あたし、どうしたらいいか……」
「洞窟の中……」

 ハンカチに顔を埋めて、女の人はその場に泣き崩れた。私はただ、震えるその背中を宥めることしかできなかった。
 助けたい。でも、洞窟なんて私が行ったら、余計迷惑に……。

「ぼくが行きます」

 声のするほうに視線を向ければ、コウキ君が立っていた。話の一部始終を聞いていたみたいだった。

「どんな子なんですか?」
「ユンゲラーを連れた、ミルという十歳の女の子です。ピンクの髪が目立つのですぐにわかると思うんですけど……」
「わかりました。洞窟っていうと、サイクリングロードの下の迷いの洞窟ですよね?」
「はい……お願いします……」

 女の人は、泣きはらした目にハンカチを押し当てて、疲れたようにに腰を下ろした。
 必ずミルちゃんを連れて帰ると約束して、私たちはそこを出た。クロガネシティが近いからか、外に出ると微かに石炭の臭いが鼻を掠めた。

「レインさん、少しだけ待っててもらってもいいですか?」
「ええ。というか、私も一緒に……」
「迷いの洞窟はクロガネゲートやテンガン山以上に真っ暗で、フラッシュなしじゃ進めないくらいなんですよ?」
「……」

 苦笑しながら言われると、それ以上は何も言えなかった。そんなところに行って、怖がったり私まで迷子になったりしたら、よけいに事態を大きくするだけだわ。
 コウキ君の言うとおり、私たちはいったんこの場で別れることにした。





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