052.黒い胡蝶は古に舞う


 ジュン君が去ったあと、ポケモン像の前に立って改めてそれを観察してみた。
 ポケモン像。それは大昔に存在したポケモンを形作った像のことだ。歴史の重みを感じさせながらも、古びた様子は全くなくて、むしろ重ねられた時が重厚感を漂わせる。

「すごく大きな像ね。実在したポケモンはこの像より大きいのかしら」
(マスター、下)
「なぁに? ……あら」

 像を乗せている土台の表面に、何か剥がされたような形跡がある。誰かが悪戯に剥がした……?

「何かが貼ってあったのかしら? もしかしたら、このポケモンの名前とか」
「レインちゃん!?」

 私の名を呼ぶ、心地よいアルトの声が聞こえてきた。この声の持ち主のことは知っているけど、まさかこんなところで会うなんて。
 振り向けば、月明かりのような長い金髪に黒いコートをまとった女性――シロナさんが、私と同様に目を見開いて立っていた。彼女こそが、私をフタバタウンまで運んでくれたトゲキッスのトレーナーであり、シンオウリーグのチャンピオンなのだ。
 彫刻のように整った容姿。一寸の狂いもないグラマラスなスタイル。頂点を知る者が放つことができるオーラ。
 シロナさんの内面を知らない人にとって、彼女は近寄りがたい存在に映るかもしれない。でも、本当は……

「レインちゃんっ!」

 顔を輝かせたシロナさんが見えたと思ったら、柔らかいものが顔に押し当てられた。会うたびに抱きしめられることには慣れたけど、そのたびにボリュームのある胸で窒息しそうになる。
 ようやく放してもらったとき、少しだけ頭がふらついた。目の前には満足げに笑って私を見下ろすシロナさんがいる。彼女はとてもお茶目な人なのだ。

「シロナさん、お久しぶりです」
「本当ね、いつぶりかしら? 旅は順調? あら、少し痩せたんじゃない? ちゃんと食べてるの?」
「ええ、一応……」
「そう? 心配だわあたし……あ! もしかして、レインちゃんのイーブイ?」
「シャワァ!」
「シャワーズに進化したのね! おめでとう」

 喉元を撫でられたシャワーズは嬉しそうに目を細めた。ジムリーダーになったデンジ君と四天王になったオーバ君を通してシロナさんを紹介してもらったときから、シャワーズは彼女に懐いているのだ。
 どんなポケモンとでも心を通わせられるシロナさんの才能は、彼女の信条が作るものなのかもしれない。『強くなるにはポケモンをずっと好きでいること』が、彼女の力の源なのだ。

「シロナさんはどうしてハクタイシティに?」
「ほら、あたしって神話研究家でもあるしょ? だから、ハクタイのポケモン像の神話を調べに来たのよ」
「これが、その像ですよね」
「そう。なんでも、時間と空間を司るすごい力を秘めたポケモンだったらしいわ」
「そんなポケモンが大昔にはいたんですね……」
「ええ、神にも匹敵するといわれたポケモン。あたしは今もそのポケモンたちがどこかにいると信じてる」
「ポケモンの神様……」
「レインちゃんはジム戦をしてるの?」
「あ、はい。一応。ハクタイシティではまだなんですけど」
「そう。最近ポケモンリーグには挑戦者がぜんぜん来ないのよ。ナギサシティの最後の壁が高いみたいね」
「だって、ジムリーダーがデンジ君ですもの」
「ほんと、あの子って普段はやたらやる気なさそうなのに、バトルになると別人だものね。あと、ジムの改造をするときも」
「ふふっ」
「レインちゃんは、あたしのところまで辿り着けるように頑張ってね」
「ええっ!?」

 私は慌てて首を横に振った。チャンピオンであるシロナさんのところまで辿り着こうなんて……考えもしていない。だって、昔から強さを知っている、デンジ君やオーバ君に勝つ自分が、全く想像できないもの。

「そんな高望みはしません。私はただ、記憶を探す旅をする中で、ポケモンたちの実力を確かめたかっただけで……」
「そう? でも、きみは必ず強くなるわ。絶対に。きみの素質と、その『力』。そして何よりもポケモンに対する優しい心がある限り」

 そのとき、シロナさんのチャンピオンとしての顔にハッとさせられた。頂点に君臨するものだけが宿す凛とした眼差しで、射抜かれたようだった。

「レインちゃん、記憶については何かわかった?」
「……旅をして出会った人の中で、何人か懐かしく思える人がいたんです。それ以外は特に何も……」
「そう……ちなみに、どんな人たちだったの?」
「一人は、フタバタウンでお世話になった主婦のかたです。懐かしいというより、なんだか見たことがある気がして……」
「フタバタウン……あ、もしかして」
「え?」
「ううん。たぶん、レインちゃんがヨスガシティに行けばスッキリするわよ。記憶とはたぶん関わりない人だとは思うけど」
「……?」
「他は?」
「えっと、ゲンさんっていう……ルカリオを連れたトレーナーで……」
「彼なら、あたしも知ってるわ。ミオシティジム、トウガンさんの跡継ぎ候補ね」
「えっ!? ジムリーダー候補なんですか?」
「そうそう。でも、レインちゃんの記憶とどんな関わりがあるかはわからないわ。なんせ、彼は謎が多いもの」
「……そう、ですか」
「気になるのはこの二人だけ?」
「あと一人……さっきもすれ違ったんですけど、アカギさんっていうGの紋章が入ったスーツを着た男の人……」
「!?」

 途端に、シロナさんの顔付きが明らかに変わった。

「シロナさん……?」
「レインちゃん」
「え?」
「もしその人が、どんなにきみの記憶と関連があっても……関わらないほうがいい」

 アカギさんについてもし何か知っているなら教えてください、と口にしようとしたけれど、シロナさんの険しい表情を見ていたら何も言えなくなって、喉まで出てきた言葉を無理矢理飲み込んだ。





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