049.神の愛し子が愛した君
正午を回って時刻は午後二時。今日もナギサジムには代わり映えのない空気が流れている。つまりは暇なのだ。改造もせず朝から真面目に挑戦者を待っているというのに、最後の扉を開けられる奴が現れることはない。
バトルフィールドの上に設置された巨大モニターを見上げると、ナギサジム内の至る所に設置されているカメラが、各場所で行われているバトルの様子を映し出している。「ピッカチュー! かみなり、いっけぇ!」「ピーカーチュ!」チマリのピカチュウのかみなりが炸裂。相変わらず容赦がない。さすがはオレの部下だ。
しかも、チマリの対戦相手はギャラドスときた。挑戦者は何を思って、でんきタイプから四倍ダメージを受けるみず・ひこうタイプのポケモンを繰り出したのか。思い入れのあるポケモンなのだとしたら、その気持ちはわからなくもない。しかし、天候は室内なのに雨だ。どうやら、挑戦者はあまごいを使ったらしい。……いや、言い方は悪いが、何も考えていないとしか言いようがない。雨の中じゃかみなりが必中になることを知らないのだろうか。
「……つまんね」
オレはチェーンに手をやり、四つのモンスターボールから一つを選んだ。現れたのは、レントラーだ。
「浜辺まで行ってくるから、もし挑戦者が来たら呼びに来てくれ」
「ガルッ!」
「ん、いい子だ」
レントラーに留守を任せたオレは、息抜きがてら散歩に出かけることにした。
正面から出るとショウマからまた文句を言われるだろうから、裏口を使ってこっそりとジムを抜け出した。天気は快晴。ピリッとした寒さが、長年シンオウに住んでいるオレにはちょうどいい。
シンオウという北の海の、冬の浜辺には、誰一人いなかった。ここに来るのも、久しぶりかもしれない。確か、レインが旅立って以来……か。
「元気かな、レイン」
『元気でしゅよ』
……今の間抜けな声と喋り方は、何だ?
辺りを見渡すが、浜辺にはオレ以外に誰もいない。……幻聴か。
「疲れてるな、オレも」
『ジムリーダーがジムをサボっておいて何を言いましゅか』
ひらり、ひらり。目の前をピンク色の花びらが舞い落ちていく。こんな花、ナギサには咲かない。
反射的に空を見上げれば、空から花びらをまとった……あれはポケモンか? とにかく、小さい生き物が降りてきた。そいつは、オレの目の前でふわりと止まった。
『ミーのほうが疲れたでしゅ。夜はスカイフォルムになれないことを忘れて飛んで、おかげで弱った体を休めて、ソノオからここまで来るのに三日もかかったでしゅ! オマエのために飛んできたでしゅよ。ミーに感謝するでしゅ!』
……幻聴じゃない。このポケモン、人間の言葉を喋ってる。
はは、と口の端から乾いた笑い声が漏れた。
「なんだ……? オレにはレインみたいにポケモンの言葉を理解する力はないはず」
『ミーがテレパシーで言語を人間のものに合わせているでしゅよ。それより、あの人間はレインというのでしゅね。名前を聞きそびれたから、ちょうどよかったでしゅ』
「おまえ、レインを知っているのか?」
『当然でしゅ。ポケモンと人間の架け橋となるレインを、幻のポケモンであるミーが知らないはずないでしゅ』
「幻のポケモン……おまえが?」
『そうでしゅ』
「説得力ねぇな」
『失礼でしゅね!』と、自称幻のポケモンから角らしきもので突付かれる。地味に痛い。
手のひらに収まってしまいそうな小さな体と、子供のような高い声色に、独特なこの口調。普通、幻のポケモンには、もっとこう、威厳とやらがあるのではないだろうか。今まで会ったことがないから何とも言えないのだが。
『まったく! なんでレインもこんな人間を……』
「は?」
『あ、そうでしゅそうでしゅ。ミーはこれを届けに来たんでしゅ』
幻のポケモンが首にかけていた花冠が宙に浮き、オレの頭におさまった。届けに来たって、どういうことだ?
両手に取って、まじまじと眺めてみる。薄紅、っていうんだろうな。この花の色は。
『レインからオマエに、感謝の花束でしゅ』
「レインから?」
『そうでしゅよ。オマエは幸せ者でしゅね。ポケモンに愛されたレインが、愛した人間なんでしゅから』
レインがポケモンに愛された存在? そんなレインか、オレを愛した? いったい、どういうことだ?
『じゃあ、ミーはおうちに帰って一眠りしましゅ』
「ちょっと待っ……」
空から舞い降りてきて浜辺に絨毯のごとく散らばっていた花弁が、そいつが空に上ると同時に再び舞い上がる。目を開けていられなくて、両目を腕で覆った。
しばらくして目を開ければ、あのポケモンは消えていた。
「……レイン」
まさかあいつ、何か面倒なことに巻き込まれてるんじゃないだろうな。
スマホを取り出し、着信履歴から検索し、タップする。すくざま、電波が届かないうんたらかんたらというアナウンスが流れてきた。ということは、洞窟か、それとも深い森の中にレインはいるのだろう。
それにしてもあのポケモン。意味ありげな台詞を残して行きやがって……モヤモヤして仕方がない。
「……感謝の花束、か」
ただ、あの変なポケモンが置いていったこの薄紅は、名前なんて知るわけもないが、優しい色をした花だと思った。