028.不安定なベクトル


「ちょっとごめんね」

 ヒカリちゃんに断って、画面をタップした。右耳へと流れてくる幼馴染の声に、心の底から安心できた。

「もしもし。デンジ君?」
『ああ。旅はどうだ?』
「色々あったけど、順調よ。今、クロガネシティのポケモンセンターにいるの。明日ジム戦をしてみるつもり」
『ヒョウタのところか。イーブイだけだと厳しいぞ。いわタイプにノーマルタイプの技はほとんど通用しないからな』
「うん。ランターンに頑張ってもらうことになりそう」
『やっぱり、あのランターンも連れて行ったんだな。オレのランターンが寂しがってる』
「ごめんね」

 電話の向こうで、軽くため息をつく音が聞こえてきて、思わずクスクス笑った。
 他愛もない話をしながら、私は窓に寄りかかって、外の景色を眺めてみる。一階のこの場所からでも見える星空は、きっとナギサシティの上空にも同じように広がっている。そう思うと、なんだか嬉しかった。

『そういえば』
「え?」
『レイン、暗いところ苦手だったろ? どうやってクロガネゲートを通ったんだ?』
「ちょうどね、人が通りかかって一緒に通ってくれたの。腕を掴ませてくれて、なんとか通ることができたわ」

 私がそう答えた直後、電話の向こう側の空気が変わった気がした。

『……』
「デンジ君?」
『それ、男?』
「そう、だけど……」
『……』
「どうしたの?」
『……いや』

 どうしたのかしらと、不思議に思いながらも、ゲンさんのことを思い出せば、語らずにはいられなかった。
 波導という、私の『力』と似た能力を持つ不思議な人。昔から私の『力』の一番の理解者であるデンジ君には、話しておきたかった。
 ……名前を出さなければ、大丈夫よね?

「あっ、そういえばね! その人、波導っていう不思議な力が使えたの。私と同じように、ポケモンの言葉がわかったり」
『……そうか』
「そうなの。私、似たような力を持つ人に会ったことがなかったから、すごく嬉しくて」
『……』

 そこまで話して、改めて思った。なんだか、今日のデンジ君は変、だ。元から口数は多いほうじゃないけれど、今日はいつもよりさらに少ない気がする。
 私……何か言った?

「あの……デンジ君」
『……ん?』
「ごめんなさい……私、何か変なこと言った……?」

 恐る恐るそう言ったあと、少しの沈黙が流れた。沈黙のあと、聞こえてきた声は、どこか無理矢理声を絞り出しているようにも聞こえた。

『いや。言ってない』
「本当? デンジ君、なんだか口数が少ないから、何か怒ってるのかなって……」
『いや、大丈夫だ。ちょっと気になることがあったけど、レインのせいじゃないから』
「……本当?」
『本当だって』
「……よかった」

 こういうとき、デンジ君の言葉は信用できる。デンジ君は裏表なく誰にでも接するから、自分にも他人にも嘘をつかないもの。それがいいときもあれば悪いときもあるんだけれど、デンジ君らしくて私は好き。

『明日はジム戦なんだろ? 悪かったな、こんな時間に電話して』
「ううん。声を聞けて嬉しかった。ありがとう」
『……今日はゆっくり寝て、明日に備えろよ』
「ええ。おやすみなさい」

 デンジ君が通話を切ったことを確認して、私もスマートフォンの電源ボタンを押した。今は、この機械だけが私と彼を繋ぐもの。そう思ったら、ただの機械の箱が何よりも大切なものに見えて、両手でぎゅっと握りしめた。
 その状態のまま振り向くと、そこにはなぜかニヤついた表情のヒカリちゃんが、私をじっと見ていた。

「電話」
「え?」
「彼氏ですか?」
「ううん。違うわよ」
「え?」

 不意をつかれたように、ヒカリちゃんは目を見開いた。私、また何か変なことを言ったのかしら……?

「本当に違うんですか?」
「ええ。デンジ君は幼馴染だもの」
「……」

 顎に手を当てて、考え込むような素振りを見せるヒカリちゃん。さっきの質問から察するに、きっと恋愛絡みのことなのでしょう。
 残念ながら、私はそういうことに疎いと自覚しているし、オーバ君からもよく鈍感だと言われていた。だから今、彼女がなにを考えているのか、全然わからない。

「どうしたの?」
「いえ……レインさん」
「なぁに?」
「ちょっと電話相手の声が聞こえちゃったんで、言わせてもらいますけど」
「?」
「デンジさんって人の前で、あんまり他の男の人の話をしないほうがいいですよ」

 なにやら真剣に忠告してくれてるけど、私にはその真意が全然わからなかった。デンジ君の前で男の人の話をするな、ということは……旅の間で出会った人の話題も、オーバ君の話題も、父さんの話題もダメということ? どうしてなのか、本当によくわからない。
 思ったことをそのままヒカリちゃんに聞き返せば「パパの話題とか幼馴染の話題とかは全然いいと思いますけど……あぁー、なんて言えばいいんだろう」と、なにやら考え込ませてしまった。
 相変わらずクエスチョンマークばかり飛ばす私を見て苦笑したヒカリちゃんは、ポッチャマを抱いて立ち上がった。

「クロガネゲートを通って疲れませんでしたか? みんなで大浴場に行きましょうよ!」
「いいわね。ポケモンセンターのお風呂って、確かポケモンも一緒に入れるものね」
「ブイブイーッ!」
「ポッチャポッチャ!」
「そして、お風呂でさっきの話の続きをしましょう」

 と、ヒカリちゃんに言われたけど、結局、私が彼女の言葉の真意を理解することができなかったのは、言うまでもなかった。





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