026.貴方の波導と私の力


――クロガネゲート――

 入り口から見たときと同じ、ううん、それ以上に洞窟内は薄暗かった。頭上から下がる野生のズバットの群は、襲ったりはしてこないけれど、時折羽音を立てて不気味な鳴き声を上げるから、そのたびに体が縮こまってしまう。心臓もドキドキ、ドキドキと、音を立てて煩い。
 でも、その原因は確かに恐怖も含まれているけれど、きっと、それだけではない。恐怖以上に、私の隣を歩いて、腕を掴ませてくれている人が、きっと一番の原因だ。

「大丈夫かい?」
「はい……すみません」
「いいよ。わたしもクロガネシティに向かうところだったから」

 私の右隣を歩く彼は、とても優しく微笑んでくれた。
 ことの始まりは、クロガネゲートに入る前まで遡る。暗闇に対する恐怖から動けなくなっている私に、彼が声をかけてくれたのだ。

『わたしはゲン。ポケモントレーナーだよ』
『私は、レイン……です』
『……レインちゃん。よかったら、ゲートを一緒に通ろうか?』

 闇色に近い髪と瞳は、恐怖を交えた暗さじゃなくて、どこか懐かしい。黒のハイネックと紺色のスーツは長身でスマートな彼の体型によく似合い、スーツと同色の特徴的な形をした帽子が頭に添えられている。
 この、穏やかな笑みを浮かべる紳士的な男性――ゲンさんが手を差し伸べてくれたのだ。
 旅の道中、見知らない人に、特に男の人に声をかけられてもついて行くなと、父さんに何度も言われていた。今の世の中、どんな人がいるかわからないから、と。私も子供じゃないんだし、そのくらいのことは言われなくとも理解できる。
 でも不思議なことに、ゲンさんは少しも疑うことなく信用できた。イーブイがすぐに懐いたということもある。でも、一番の理由は。

「もうすぐ折り返し地点だから」
「……はい」

 最初に声を聞いたときから感じていた。私はこの人を知っている、と。なぜか、そう確信できた。
 アヤコさんに会ったときの、曖昧な感覚とは違う。どちらかといえば、アカギさんと会ったときに感じた絶対的な感覚に近い。でも、恐怖とは違う、何かを感じる。
 この、ひどく懐かしい気持ちは……何?

「あの、ゲンさん」
「なにかな?」
「私たち……昔どこかで会ったことがありませんか?」

 一か八かで聞いてみると、ゲンさんは微かに目を見開いたあと、再び目を細めて笑った。

「いや、初対面だと思うのだけど」
「そう、ですか……」
「ブイッ!!」
「!」

 それは、あまりにも突然だった。
 ズバットが大人しいものだから安心していたけれど、野生のポケモンは彼らだけじゃない。私たちの前に飛び出してきたのは、山や洞窟によく生息しているイシツブテだった。この薄暗い洞窟で、ただでさえビクビクしていた私は、前を歩くイーブイに指示を出すことも、ランターンのボールに手をかけることもできなかった。

「ルカリオ」

 そんな私を、ゲンさんが庇うように立って、腰に下げていたモンスターボールを素早く投げた。閃光が形を成して、ゲンさんのポケモンが現れる。出てきたのは、はどうポケモン――ルカリオ。

「はどうだん」

 ゲンさんが指示を出すころには、ルカリオはすでに手のひらに光を集めていた。阿吽の呼吸というのは、きっとこのことをいうのだ。
 はどうだんはかくとうタイプの特殊技で、いわタイプ相手に効果は抜群だ。イシツブテは一撃でダウンして、洞窟の奥へ逃げ帰っていった。
 傷一つないルカリオの後ろ姿に、ゲンさんが声をかける。

「ありがとう、ルカリオ」
『いいえ。レイン様もお怪我は』
「私は大丈夫……え?」

 私に駆け寄ってきたイーブイを抱き上げながら、自分の耳を疑った。聞こえてきた男の人の声は、ゲンさんのものではない。彼のルカリオのものだ。
 でも、私自身『力』を使った感覚はない。ということは、私が『力』を使わなくても、ゲンさんのルカリオと話しをしたということ……? だって、確かに声が聞こえたし、私の名前を呼んでいた。こんなことって、あり得るの?
 戸惑いながらゲンさんを見上げると、彼は相変わらず穏やかな表情を浮かべていた。

「ルカリオは、はどうポケモンだからね。波導……オーラのようなものを使って人間の言葉を理解できるんだよ」
「波導……だから私の名前も、私たちの会話からわかっていたんですね」
「そう。でも、逆にルカリオの波導を感じ取ることができないと、ルカリオが自ら伝えたいと思わない限り、ルカリオ自身の言葉は人間にはわからない」

 私は目を見開いた。私にも、ルカリオの言葉が理解できたということは、それは……

「わたしはルカリオと同じ、波導使いなんだ。そして、レインちゃんにもその素質はあるみたいだね」
「波導……使い?」
「見ていてごらん」

 囁くように言われ、手を伸ばされたものだから、何が起こるのかと恐怖を覚えた。私に、というより、私の腕の中にいるイーブイに伸ばされた手は、触れる直前で止まった。次の瞬間、ゲンさんの手のひらが淡い青色に光ったかと思うと、イーブイの体は私の手を離れて宙に浮いていた。

「これが、波導……」
「ブイー!」
「他にもルカリオとテレパシーが使えたり、修行次第でいろんなことができるようになる」
「すごい……」
「普通、成り行きで会った人には、絶対に波導のことは言わないのだけど。どうしてかな、レインちゃんには話してもいいと思ったんだ」

 ルカリオをモンスターボールに戻しながら、ゲンさんが言った。ゆっくりと降りてきたイーブイを抱きしめて、じっと彼を見つめる。
 どうして? 心臓のドキドキが止まらない。ゲンさんとは初めて会った気がしないから? 同じような『力』を持つ人と初めて出会えたから?
 私もゲンさんに、自分の『力』を知って欲しい。自分からそう思える人に出会えたのは初めてだった。

「ゲンさん」
「なんだい?」
「実は、私も……」

 どんなポケモンとでも話すことができること。ポケモンのレベル以上の力を引き出せること。その他の、まだ誰にも見せたことのない不思議な力。
 私の『力』を話しても、彼はやっぱり、穏やかに目を細めて、それを受け入れてくれた。





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