025.全てを知る下弦の月


 コトブキシティから東に伸びる203番道路を、いつもより少し早足に歩いた。クロガネシティまでは数時間あれば辿り着くとはいっても、早くしないと日が暮れてしまう。
 空は茜色。これが闇色になる前にクロガネシティに到着しないと。野宿だけは、できれば避けたい。
 急ぎ足で周りの景色をよく楽しめなかったけど、でも自然が溢れるこの道は歩いていてどこか安心した。すぐ傍は、コトブキシティという近代的かつ巨大な街なのに、ここにはこんなにも緑が残っている。
 この203番道路には202番道路よりも、バトルをしているトレーナーの数が多い。なるべく目を合わせずに歩き続けて、でもいざ目が合ってしまったら、バトルは全て一撃で決めてきた。なんとしても、日が完全に暮れる前にクロガネシティに着きたかったから。
 ――でも。

「どうしよう……」

 予想外の壁が、私の前に立ちはだかったのだ。
 それは、クロガネゲートという名の洞窟だ。全長数百メートルの長さの洞窟を抜ければ、クロガネシティはすぐそこだ。入り口から見て、洞窟の中は本当に真っ暗というわけではなかったけど、入り口からでもわかる薄暗さと、奥から聞こえるズバットの鳴き声に軽く鳥肌が立った。
 洞窟に入るのを躊躇う、その理由は――私は、暗いところが昔から大の苦手だからだ。ナギサシティにいた頃下さいも、デンジ君が停電を起こすたびに、それはそれは酷い恐怖を味わった。
 それでも、あのときは周りに誰かがいてくれたけど……今は一人。灯りが少ない洞窟の中に入って、立っていられる自信がない。
 ランターンを出して照らしてもらうことも考えたけど、でも、水辺じゃないからきっと移動しにくいと思う。イーブイみたいに、抱っこできる大きさじゃないし……どうしましょう。

「おい! レイン!!」

 頭を抱えていたそのとき、背中に声が叩きつけられた。振り返るまでもなくわかる。この声はジュン君だ。

「ジュン君。もうクロガネシティに行っちゃったのかと思っていたわ」
「行こうと思ってたけど、コトブキシティでクイズに答えてポケッチをもらえるキャンペーンに参加してたら遅くなってさ」

 ポケッチ――聞いたことがあるわ。確か、いろんなアプリが内蔵された、腕時計型の電子機器だ。
 ジュン君は左腕につけてるオレンジ色のポケッチを私に見せながら、反対側の手をポケットに突っ込んだ。ジュン君が取り出したのは、彼がつけているものと色違いの、水色のポケッチだった。

「これ、レインにやるよ! クイズに夢中で答えてたら二つもらえたからさ!」
「いいの? ありがとう」
「いいって! タウンマップのお礼!」

 にかっと笑ったあと、ジュン君は自身のポケッチに視線を落とした。今表示されているのは、デジタル時計のアプリのようだ。
 ジュン君からもらったポケッチを私も左腕につけて、画面を見る。そこには19:00と表示されている。
 いつの間にか、こんなにも時間が経っていたのね。こうして話している間にも、辺りはどんどん夜の帳に包まれていっている。
 そうだわ。クロガネシティに向かうなら、ジュン君に洞窟を一緒に通ってもらえば。
 でも、私がパッと顔を上げたとき、ジュン君はすでに駆け出す準備をしていた。

「レインとバトルしてやりたいけど、今のおれにはクロガネジム以外見えてないぜ! ってことで!」
「あっ! ジュン君、まっ……」
「鍛えまくるぜーっ!!」

 ジュン君の声と姿が、薄暗い洞窟の中に、溶けて消えていく。伸ばした左手は届かずに、私は呆然と手を下ろすしか出来なかった。……少しだけ、彼のせっかちな性格を呪ったわ。
 再びその場に立ちすくむ、私のモンスターボールがカタカタと揺れる。足下からも、私を心配そうに見上げる視線が、痛いくらいに伝わってきた。

(わたし、ライトで照らす?)
「で、でも。洞窟だから地面がゴツゴツしてるもの。跳ねながら進むときっと痛いし、皮膚が乾くでしょうし」
(イーブイがついてるよ。だから、行こう)
「え、ええ」

 イーブイを抱き上げて、ブーツの先を洞窟の入り口に踏み入れる。でも……そこから先に、どうしても進めない。
 暗闇に体が包まれると思うと、怖くて怖くて、足が震える。暗い闇の中は、何も見えないし、何も聞こえないし、自分の存在さえもわからなくなる。それを、私は痛いくらいによく知っているから。
 耐えきれずに、私はその場にしゃがみ込んだ。

「やっぱり、怖い……」
「ブィ……」

 腕の中からすり抜けたイーブイが、困ったように鳴いた。
 今やもう、陽は完璧に沈んでしまった。やっぱり、急がずに今日はコトブキシティに泊まればよかったと後悔したけど、いまさら遅い。
 クロガネゲートがあることを、完全に失念していた。これさえなければ、今ごろはクロガネシティのポケモンセンターに着いていたはずなのに。
 今日は諦めてコトブキシティに戻ることも考えたけど、街灯もない203番道路を一人で引き返す勇気すらない。
 ああ。一人で旅するって決めたのに、どうして私はこんなに臆病なの。
 そのとき、背後で石を踏む音が聞こえた。

「大丈夫かい?」

 うずくまった私の背中に、穏やかな声が降ってきた。聞いたことのないはずなのに、その声が、酷く優しくて、なぜかとても懐かしくて、思わず泣きそうになってしまったの。



Next……クロガネシティ


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