019.星が沈む海底の記憶
軽い朝食をとったあと、コウキ君と一緒に家を出た。外へ続くドアを開けた瞬間、海から吹く冷たい風が肌を刺す。
まだ朝早いということもあって、気温もそこまで高くなく、太陽の輝きもまだ弱々しかった。少しでも寒さを誤魔化そうとイーブイを抱き上げた私に、コウキ君が問いかける。
「レインさんはもう次の街……コトブキシティに行くんですか?」
「そのつもりよ。少しこの町を回ってからだけど」
「実は、ぼくも今から博士と一緒にコトブキシティに行く予定なんです」
「じゃあ、そのときまた会えるかもしれないわね」
「はい」
「ナナカマド博士のサポート、頑張って」
「レインさんも気を付けてくださいね!」
爽やかな笑顔を一つ残して、コウキ君は研究所に向かって駆けていった。
昨日、研究所を訪れた限りでは、特に気になることはなかった。見るもの全てが初めてのものばかりで驚いた、ということはあるけれど、私の記憶とは何も関わりがないみたい。
残る時間は、他を見て回ることにしようかしら。
「さあ、イーブイ。どこに行きたい?」
(海、見たい)
「そういえば、コウキ君の家の窓から見えていたものね。他に回るところもないし、行ってみましょうか」
海とマサゴタウンを繋ぐ219番道路は、世界で一番短い道路だと聞いたことがある。実際、歩くこと一分も経たずに、目の前には青い海が広がっていた。
透き通る海も、空の高さも、真っ白な砂浜も、ナギサシティと似ていて、自然と笑顔になってしまう。イーブイもナギサの海を思い出したのか、私の腕からすり抜けて、波打ち際へと駆けていった。
イーブイが打ち寄せる波とじゃれ合う姿に笑みを浮かべて、私はタウンマップを開いた。
「海を越えるにはなみのりをしないと無理だから、まだ行けないわね……確か、なみのりはひでんマシンで覚えさせる技だもの」
「ブイブイ」
「やっぱり、次は202番道路を通ってコトブキシティへ、ね」
「ブイッ!」
私の提案に同意するように鳴くと、イーブイはまた波と戯れだした。
それにしても、本当に気持ちいい。風の冷たさも気にならないほど、この場所は綺麗だった。
私はもう一つのモンスターボールに手をかけて、それを空に思い切り投げた。
「ランターンも出ておいで」
閃光が煌めいて、ランターンの形を水の上に作る。落ちてきたモンスターボールを受け止めると、私は砂浜に腰を下ろした。
波と遊ぶイーブイと、水をかき分けて気持ちよさそうに泳ぐランターン。この子たちが嬉しそうだと、私まで嬉しくなってしまう。
そういえば。ジュン君が言っていたことを思い出して、バッグの中からポケモン図鑑を取り出した。それを開けば、まだ数少ないページから、ランターンのページはすぐに見付けることができた。
図鑑にも示してある通り、野生のランターンの生息地は220番水道だった。ここからなみのりしたら、数分で辿り着ける距離だ。
「ねぇ、ランターン」
(なあに?)
「貴方は本当はここで生まれて、ナギサシティに来たの?」
私がそう問いかけたら、波打ち際まで近寄ってきたランターンは、ピタリと動きを止めた。なにも言わずに、その赤く大きな瞳で、ただ私を見つめるだけ。
しばらくの沈黙の後、ようやくランターンの声が聞こえてきた。
(……内緒)
「そう」
(ごめんね)
「言いたくないならいいの。少し気になっただけだから」
立ち上がってスカートについた砂を払い、ランターンの頭をよしよしと撫でる。言えない理由があるのなら、それでも構わないの。この子がこの子であることに、変わりはないのだから。
海から一際強い風が吹いて、私の髪を激しく乱した。まるで、全てをさらっていくかのように、その風は海から空へと吹き上げる。
私でさえもよろめく風に、イーブイは耐えきれずにころりと転がってしまった。慌てて助け起こしに向かう私の背後から、小さな声が聞こえた。
(――のために、言わないの)
それは確かに、ランターンの声だった。でも、風が言葉までもさらってしまって、よく聞き取ることができなかった。
Next……コトブキシティ