016.受け継いだ意志


――マサゴタウン――

 デンジ君と電話を終えて、さらに歩くこと一時間弱。私は次の町に辿り着いた。
 木々の匂いの中に微かに香る、潮の匂いが鼻をくすぐる。マサゴタウンは、ナギサシティと同じ、海に近い町。

「見えてきたわ。マサゴタウン」

 木々が消えて、視界が開ける。初めて訪れたマサゴタウンは、ポケモンセンターやフレンドリーショップがあるものの、フタバタウンと同じくらい小さな町だった。
 その町並みの中に、一際目立つ青い屋根の大きな建物がある。その建物の前には一人の男の子が立っていて、ぱちりと、視線がかち合った。

「レインさん?」

 初対面のはずなのに、その男の子は確かに私の名前を呼んだ。少し戸惑っていると、男の子は私に歩み寄り、もう一度確認するように問いかけた。

「アイスブルーの髪と瞳に、イーブイを連れた女の人。レインさん、ですよね?」
「え、ええ」
「ぼく、ナナカマド博士の助手をしてます。コウキです」

 黒い短髪に帽子をかぶった男の子――コウキ君が手を差し出してきたから、私は戸惑いつつもその手を握り返した。でも、彼が何者か、どうして私を知っているのか、疑問は消えない。
 それが顔に出ていたのか、コウキ君が説明を始めた。

「ヒカリやジュンから、レインさんの話を聞いたんです。ナナカマド博士が、是非レインさんに会いたいと仰っているので、一緒に来てもらえますか?」
「そういうことだったのね。わかったわ。私も、ナナカマド博士にはお会いしてみたかったの」
「では、研究所にどうぞ」

 予想はついていたけど、コウキ君の背後に建っている青い屋根の建物が、ポケモン研究所だった。彼に続いて、少し緊張しながらも、研究所内に足を踏み入れる。
 まず目に付いたのは、慌ただしげに行ったり来たりする、白衣を着た人たちだった。他に気になるものといえば、大きな装置、山積みになった資料、パソコンのモニターに映っている難しそうな数式だ。
 研究所なのだから当然のことではあるけれど、いかにも「研究をしています」という感じがして、少しだけわくわくした。

「ナナカマド博士、レインさんです」

 コウキ君の声で、研究所の一番奥にいる人物に気付いた。白い髪と髭をたくわえた、威圧感のある初老の男性――この人が、ナナカマド博士。自然と、背筋が真っ直ぐになってしまう。

「おお。君がレイン君かね?わたしがナナカマドだ」
「はい。お会いできて光栄です。ナナカマド博士」
「ヒカリやジュンから聞いたよ。ポケモンの言葉を理解し、ポケモンのレベル以上の力を引き出せるトレーナーだと。それに、君のパートナーのイーブイ」
「ブイ?」
「ふむ……君たちを見て確信した。レイン君、君はその気になればどこまでも強くなれる。それこそ、チャンピオンに匹敵するほどに」
「いえ。私はそんな……」
「いや、わたしはこの通り老いぼれだが、トレーナーの実力を見抜く眼力は衰えておらんと、自負しておるよ」

 ナナカマド博士は自分の目を指さすと、不敵に笑ってみせた。博士がいうチャンピオンとは――つまり、シロナさんだ。
 彼女はシンオウで一番のバトルの腕を持つポケモントレーナー。 私がそこまで達せられるとは、到底思えない。
 でも、強くなりたい気持ちは私にだってある。強くならなければ、シンオウ地方を一人で回ることなんてできないから。だから、ナナカマド博士の言葉は、少しの自信を私にくれた。

「ウォッホン! さて、本題だ。君をここに呼んだのには理由がある。君にはいくつか不思議な力があるそうだが、中でもポケモンと話せる力があるそうだね?」
「……はい」
「その力が本物か知りたい。証明してみてはくれないか」

 少しだけ、不安だった。初対面の人にこの『力』を見せるなんて。私の躊躇いを察してか、ナナカマド博士は静かに私の返事を待った。
 ナナカマド博士は、ヒカリちゃんとジュン君に、ポケモンを与えた人だ。きっと、悪い人じゃない。
 私は自分に言い聞かせると、コウキの腰にあるモンスターボールの一つを凝視した。モンスターボールから熱いオーラのようなものが伝わってくる。
 そのモンスターボールの中身は、ほのおタイプのこざるポケモン――ヒコザルだと見抜けた。そしてヒコザルが今何を考えているのか。それを伝えたら、信じてもらえるはず。

「コウキ君のパートナーはヒコザルね?」
「え!? どうしてそれを……」
「昨日201番道路でヒカリちゃんたちに会う前、ムックルと戦ったでしょう? その時に新しく技を覚えた……合ってる?」

 こくりと、惚けたようにコウキ君は頷いた。その隣では、まるで子供のように目をキラキラさせたナナカマド博士が、興奮気味に喋り出した。

「素晴らしい! まさか本当にポケモンの考えていることがわかるとは!」
「本当にすごいや。ポケモンの気持ちがわかるなんて……夢みたいだ」
「すみません。このことをあまり他言には……」
「うむ。もちろんしないと約束しよう」
「ぼくも」
「ヒカリとジュンにも言っておいたから安心しなさい。わたしに話してくれたことは有り難いが、他人の秘密を軽々と口にしてはいけない、とな」

 それを聞いて、少しだけホッとした。もしあの二人が、行く先々で『力』のことを話していたらと思うと、不安だったから。ナナカマド博士が釘を刺しておいてくれたのなら、安心だわ。
 まだ興奮は冷めない様子のまま、ナナカマド博士は口を開く。

「レイン君。わたしはポケモンの研究をしている。それに君の力を貸して欲しいのだ」
「はい。私なんかでよければ。ただ、私は旅をしなきゃいけないので、マサゴタウンに留まり続けるのは……」
「いや、旅をしてもらったほうが都合がいいのだ」
「?」
「ポケモンの研究をするに当たり、まずシンオウ地方にはどんなポケモンがいるのか、その全てを知っておきたい!」
「……あ。だからヒカリちゃんたちにポケモン図鑑を渡したんですね。旅をして、全てのポケモンを図鑑に記録するために」
「その通りだ」
「でも、ジュンは図鑑を受け取る前に研究所を飛び出して……」

 呆れたようにため息を吐くコウキ君を見て、私も苦笑した。相変わらずせっかちというか、落ち着きがないというか。でも、ジュン君らしい。

「どうかね? ポケモン図鑑を持っていれば、君の旅にも役立てるだろう。この図鑑を託されてはくれないか?」

 そう言って、ナナカマド博士は深いブルーのポケモン図鑑を差し出した。ヒカリちゃんが持っていたピンクのものと、色違いのそれを見つめて、私はこれからのことを考えた。
 ポケモン図鑑があれば、ポケモンを知る上でとても役に立つでしょう。これから行く先々では、たくさんのポケモンと出会って、もちろん戦うこともあるのだから。ポケモンの知識を深く得るに越したことはない。
 それに何より、ナナカマド博士とお近付きになれたことも大きい。この縁をここで切ってしまうなんて、勿体ない。
 うん。気持ちは固まった。

「わかりました。なるべくたくさんのポケモンと会えるように努力します」
「うむ! それから、君のその不思議な力なのだが……」
「私の力が研究に役立つのなら、いつでも仰ってください」
「ありがとう、レイン君」

 ナナカマド博士の手から私の手へと、渡ったポケモン図鑑。ヒカリちゃんに見せてもらった時も思ったけど、それは意外にもコンパクトで、軽かった。
 この中に、たくさんのポケモンたちのデータが詰まっていると思うと、不思議でたまらない。これから先、きっと何度もこの図鑑に助けられることになるでしょう。
 私はそれを、バッグの一番奥へと大切にしまいこんだ。





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