015.聞きたかった言葉


 ここは201番道路。フタバタウンとマサゴタウンを繋ぐ、短い林の小道。

「イーブイ、たいあたり!」
「ブイーッ!」

 草むらから飛び出してきたビッパは、イーブイの攻撃を受けて、また草むらに逃げ帰っていった。この辺の野生のポケモンは、レベルが低いから簡単な技でも一撃で倒せる。ポケモンを交代させることもなく、私の隣を歩いているイーブイが倒してくれるから、ランターンはモンスターボールの中でお昼寝中だ。
 野生のポケモンたちを倒してきて、経験と自信を積んだからか、イーブイの歩く姿は意気揚々としていた。その後ろ姿を頼もしく思いながら、私はイーブイに続いて小さな段差を飛び降りた。
 ワンピースで旅立ってしまったこと、今更だけど少し後悔している。ナギサシティにいたころは実感がなかったけど、シンオウ地方は凸凹した地形がやけに多い。歩きやすいブーツを履いてきたことは正解だけど、服もパンツスタイルにすればよかったかなと思った。
 道端の木陰で少しだけ一休み。タウンマップを広げて、現在地を確かめる。次の町までちょうど半分くらいまで来たところだった。

「あと一時間くらい歩けば、マサゴタウンに着きそうね」
(マスター)
「なぁに? イーブイ」
(イーブイ、おなか空いた)
「そうね。さっきからイーブイには戦ってもらってばかりだものね。アヤコさんからもらったおにぎり、食べましょうか」
(わーい!)

 イーブイがご機嫌で肩に飛び乗ってきたから、思わずふらついた。この子はイーブイという種族の標準体型より少し小さめなはずだけど……最近ご飯をあげすぎたかしら。バッグから出したおにぎりを半分に分けて食べさせたあと、これからは少し食事を控えさせようと思った。
 残りの半分を頬張って、味を噛み締めたあとに飲み込む。普通のおにぎりと変わらないはずなのに、なぜかとても温かい。……ああ、そっか。きっと、アヤコさんが心を込めて作ってくれたからなのね。

「旅をしてたら、アヤコさんに感じたこともきっとわかるわよね」

 そもそも、旅をしなかったら出会わなかった人だ。アヤコさんだけじゃない、ヒカリちゃんも、ジュン君も。

「さあ。まずはヒカリちゃんとジュン君にタウンマップを届けなきゃね」
「ブイブイ」
「早く二人に追いつけるように、急がなきゃ……」

 出発しようと立ち上がったそのとき、バッグの内ポケットに入れている、スマートフォンが鳴った。
 最近、私はこの音に敏感だ。心臓が縮こまって、ロック画面を開くのを躊躇ってしまう。

「……デンジ君」 

 ディスプレイに表示されているのは、幼馴染の片割れ。なかなか終わらない通知音は、それが電話であることを示している。
 思わず足を止めると、イーブイが出ろと言わんばかりに、私の足に前足をかけて鳴いた。デンジ君はもうきっと、私が旅に出たことは知ってる。
 出たほうがいい? 出ないほうがいい?
 悩んでいるうちに、電話は切れた。少しだけ、心に後ろめたさが生まれ、やるせない気持ちが残る。
 ため息をついて電源ボタンを押し、一歩を踏み出したとき、今度は短い音が鳴った。メッセージアプリの通知音だ。メッセージ未読の通知数が、また一つ増えた。
 ここしばらく、デンジ君とのトーク画面だけ見られずにいた……でも。
 私は恐る恐る、今来たメッセージを開いてみた。

『電話に出ろ』

 記号も何もなしに、ただ一言、そう書かれていた。文面だけを見ると、完全に怒っているとしか思えなかった。
 そして、再び電話の着信音が鳴る。これ以上逃げていたら、本当に嫌われてしまう、気がした。
 電話もメッセージも、来るうちはまだ私のことを考えてくれてるということだ。それが来なくなったら、もう……
 私はゆっくりと、通話ボタンを押した。

「……もしもし」
『やっと出たか』

 久しぶりに聞いたデンジ君の声はため息混じりで、いつもより冷たい気がした。私に罪悪感があるからか、それとも彼が怒っているからか。 きっと、両方なのでしょう。
 その声色を聞いて思わず口にしたのは、謝罪の言葉だった。

「……ごめんなさい」
『上着に入ってた手紙、読んだ』
「……」
『何年一緒にいると思ってるんだ? 相談もなしに突然いなくなりやがって』
「……っ」
『怒ってない、って言ったら嘘になるけどな』

 ああ、やっぱり怒ってるんだ。
 震える手でスマートフォンを握りしめて、ぎゅっと瞳を閉じたけど。

『旅、頑張れよ』

 聞こえてきた声は、とても優しい言葉で、とても優しい声色で。私の胸の中にずっと抱えていた不安を、すっと溶かしてしまった。溶けたものは涙となって、意志とは逆に零れ落ちていく。

「っ……デンジ……君……っ」
『レインのことをオレが嫌いになるわけないんだから。自分が納得するまで、精一杯旅してこいよ』
「っ、うん……っ」
『ただ、帰ってきたときは覚悟しとけよ。いろんな意味で』
「はい」

 覚悟って、やっぱり、少しは怒られるのかな。いろんな意味でって……どういうことだろう。
 でも、今はどうでもよかった。デンジ君と私の関係は、これからも変わらないんだもの。今の私にとっては、それだけで充分過ぎるくらいの幸せだわ。

『じゃあ、またな』
「うん」
『今度からはちゃんと電話に出ろよ。メッセージにも返信しろよ』
「はい」

 通話を終えると、すぐにデンジ君とのトーク画面を開いた。今度は、開くのを躊躇わなかった。
 一番古い未読メッセージから、一つずつ開いて、書いてある言葉を噛みしめる。
『電話に出ないけど、忙しいのか?』
『メッセージくらい返信できるだろ』
『なんでオレを避けるんだよ』
『この前泣いてたけど、それが原因か?』
『泣いてた原因って……オレか?』
『頼むから何か答えてくれ』
『サンダースがイーブイに会いたがってるし、ジムに来れないか?』
『挑戦者が多くても、おまえがジムに来なきゃやる気でねーよ』
『……本当はオレがレインに逢いたいだけなんだ。待ってるからな』
 ……ああ、彼はどうしてこんなに。

「イーブイ」
「ブイ?」
「やっぱり、デンジ君は優しいね」
「ブイブイッ!」

 イーブイは嬉しそうに鳴くと、私に飛びついてきた。デンジ君のサンダースと仲がよく、彼自身にも懐いているこの子にとっても、きっと辛かったのでしょう。ごめんね、心配させちゃったね、ありがとう。
 私は腕の中の小さな存在を抱きしめて、今は遠い場所にいる幼馴染を想った。





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