170.貴方はいつも遠くを見ている


 エレベーターに乗っている間、なぜかわからないけれど、ずっとドキドキが止まらなかった。久しぶりに、会う、せい? なんだか、すごく、緊張する。

「……デンジ君」

 ナギサシティを一望できるシルベの灯台の最上階に、デンジ君はいた。彼の向こう側にある窓ガラスからは、ナギサシティの街並みと蒼穹、そして海が見える。
 ゆっくりとデンジ君が振り向き、目が合った瞬間、不思議な気持ちで胸がいっぱいになった。なんだろう。この、気持ち。なぜか泣いてしまいそうになる。悲しいんじゃなくて、もちろん嬉しいけど、もっと、違う、気持ち。
 なんだか、デンジ君に、思い切り、抱きつきたい、ような。

「おかえり。レイン」

 低い声で、名前を呼ばれた。私はやっとの思いで「ただいま」と返すのが精一杯だった。瞼の裏が熱くなって、喉の奥がつんとした。息が、詰まった。

「レインに言いたいことがあるんだ」
「え……? なぁに?」

 デンジ君の声色がいつもと違う。口元はゆるく弧を描いているのに、目は笑っていない。その目を見て、アカギさんを思いだしてしまった。プラスチックのように感情の色を宿さない空虚な瞳は、まるでここではない遙か彼方を見ているようで、少しだけ怖くなる。
 どうかしたの? 私がそう問おうとする前に、デンジ君が口を開いた。

「今日から三日間の間に、オレを破る挑戦者が現れなければ、オレは四天王になるためにシンオウリーグにチャレンジする」
「え……?」
「リーグから四天王にならないかって誘われているんだ。ジムリーダーの仕事もナギサシティも好きだけど、リーグに行けば確実に強い奴らと戦えるからな」
「そう……。そう、よね。でっ、でも。もし、そんなチャレンジャーが現れたら?」
「そのときは今まで通りジムリーダーを続けるが……その可能性は低いだろうな」

 デンジ君は強すぎたのだ。ジムリーダーという枠内では収まらない程に。
 ジムに挑戦するチャレンジャーにはレベル制限や手持ち数の制限はないけど、ジムリーダーにはそれがある。例えばデンジ君なら、ポケモン協会に登録している四体のポケモン以外は、公式戦では使用不可とされている。ポケモンたちのレベルも相手のチャレンジャーに合わせて、一体目は何レベル、二体目は何レベルと決まっていて、公式戦前には特別な機械にモンスターボールを通し、ポケモンのレベルをジムのレベルに合わせなくてはならない。
 そういった制限で強さを抑制される中、デンジ君はジムリーダーに就任してからほぼ負け知らずだった。シンオウ地方最後のジムリーダーであるデンジ君が負けないから四天王である自分も暇だと、よくオーバ君がぼやいていた気がする。
 デンジ君は常に強さを求めていた。痺れるような、胸焦がれる熱いバトルを望んでいた。四天王になるということは、今よりバトルをする機会は減るけれど、バトルとなると確実に強い挑戦者と戦える。
 デンジ君が高見に行けることは私にとっても嬉しい。嬉しい、はずなのに。何かが引っかかる。素直に、喜べ、ない。どうして、どうして?

「そのときは、ナギサシティを出ることになるだろう」
「……え?」
「レインとも会えなくなるな」

 会えなくなる? 私と、デンジ君、が?
 思考回路がバグを起こして、頭の中が真っ白で、目の前が真っ暗で。
 デンジ君は私の横を通り過ぎて、展望台を出ていった。私はその場に立ち尽くしたまま、デンジが立っていた場所を見て途方に暮れた。
 ナギサシティが、私の帰る場所だ。大好きなみんなが、デンジ君がいてくれるから、だから、私はここに戻ってきた。
 旅に出ている間も、ナギサシティでデンジ君が待ってくれているとわかっていたから、安心して旅ができた。
 でも、もう、ここにデンジ君はいない。彼がいなくなっては、この街にいても何の意味もない。
 私はなんて我儘なんだろう。そんなの嫌だ嫌だ。いや、だ。

「いか……ない、で……」

 ポタリ。冷たい床が涙で濡れた。





- ナノ -