167.降り積もる孤独を温めて


「ギラティナ……暴れ者ゆえ、追い出されたが、破れた世界といわれる場所で、静かに元の世界を見ていた……」

 ヒカリちゃんはポケモン図鑑の説明文を読み上げると、そっとそれを閉じた。私はギラティナが入ってくれたモンスターボールをぎゅっと抱きしめた。
 もう寂しくない。貴方のことを知る人は、ここにたくさんいるから。

「あのポケモンを……影のポケモンを捕まえただと!? そうすることでこのおかしな世界を残した! ということは、もう一度赤い鎖を使っても新しい世界を生み出すことはできないのか!?」

 アカギさんが私に掴みかかろうとしてきたけど、デンジ君が背後に庇ってくれた。さらに、シロナさんが進み出て激情するアカギさんと対峙した。

「なぜだ! この世界を守る理由はなんなのだ!? そんなに、不完全で曖昧な心とやらが大事か!」
「……生まれた場所。生まれてから過ごした時間。話す言葉。みんな違う。……だけど、隣にポケモンがいてくれたから、ポケモンがいることが嬉しいから、知らない人とも……」
「黙れっ!! もういい! たくさんだ! だから心が大事だと言いたいのか! そんなもの、今まで幸せに生きてきたと思い込んでいる人間の戯れ言だ! 今わたしが感じている怒り、苦しみ、憤り……この醜い感情は不完全な心のせいだ!」

 私の肩に置かれたデンジ君の手に、一瞬だけ力が入った気がした。少しだけ、彼から波導が流れ込んでくる。アカギさんに対する、これは、憐れみ?

「……わたしは世界の謎を解き明かし、必ず完全な世界を創り出す。いつの日か、気付けば、おまえたちは! わたしが創り出した心のない世界で生きている……」

 そう言い残し、アカギさんは足場から飛び降り……消えた。
 どうして、そんなにも心を否定するのか、その理由が私にはわからない。怒りや憎しみ、悲しみや苦しみが不要だと彼は言うけれど、私はそう思わない。光があれば影が出来るように、表があれば裏があるように、負の感情は正の感情を感じるためにも必要だと思う。
 アカギさんが飛び降りたあとを見つめながら、ゲンさんは帽子を深く被り直した。

「確かに、人間は醜い部分が多いかもしれない……だけど、それが心のせいだと、わたしは思わない」
「……悲しみがあるから喜びを嬉しく思い、怒りがあるから優しさが生まれるのに……」

 シロナさんもまた、小さく息を吐いて首を振った。
 訪れた静寂に安堵していると、軽く眩暈を覚えて足下がふらついた。デンジ君が肩を支えてくれたお陰で、どうにか座り込まずに済んだ。まだ、本調子じゃないみたい。
 ヒカリちゃんが心配そうに駆け寄ってきてくれた。

「レインさん。大丈夫ですか?」
「ええ」
『レインさま!』
「リオル、ありがとう。貴方にも心配かけちゃって……あ、ランターン」

 ランターンが入った壊れたモンスターボールを、後ろから差し出された。それを受け取るとき、デンジ君と目が合った。
 振り向きながら見上げる形となり、目があった彼は、うっすらと笑ってくれた。でも、その笑顔に、何か違和感があるように感じた。うまく言い表せないけれど、なんだか、何かを隠している、偽物の表情の、ような。
 私が口を開こうとしたのと同時に、シロナさんがみんなに話しかけた。

「さっきアカギが飛び降りた先の空間に穴があるわ。きっとあたしたちの世界に繋がっている。ギラティナは世界の裏側にいると神話に残されたポケモンだもの。繋がっていないとおかしいでしょ」
「帰れるんですね……。あたしたちの世界に」
「ええ。帰りましょう! みんなが待ってるわ」

 そう、ね。今は帰らなくちゃ。ギラティナが見守ってくれていた、私たちの愛しい世界へ。
 私たちは五人で横に並び、一人ずつ穴の中に飛び込んでいった。シロナさん、ヒカリちゃんと続き、私とゲンさんとデンジ君だけが残った。
 最後に、破れた世界を見返る。ここもまた、私たちの世界の一部だと感じた。そう思うと、この不可思議な世界がとても愛おしく感じた。
 デンジ君とゲンさんから差し出された手を、両手でそれぞれ取る。私たちはそのまま、三人同時に地を蹴った。
 眩しい光に包まれて、初めて産声を上げたときのように、私たちはまた世界に生まれ落ちた。



Next……ナギサシティ


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