166.共に生きるという事


 デンジ君は私を強く抱きしめた。掻き抱くように私を腕の中に閉じ込めて、耳元で名前を呼んでくれた。
 優しい彼に甘えて、残酷な記憶を見せてしまったかもしれない。でも、彼には何もかも知って欲しかったのだ。私の我が儘だとしても、私の全てを知って、一緒に震えて欲しかった。

「私は、この世界を、人を、私自身を、憎んで、自分自身で、記憶を手放すことを、望んだんだ」

 デンジ君の肩越しに、ユクシーが飛んでいるのを見た。そんなに悲しそうな顔をしないで。貴方は何も悪くない。
 私が弱かったから。全てを受け入れる力がなかったから。何もかもを投げ出して、楽になる道を選んでしまった。

「悲しい心に囚われて、両親のことも、ゲンさんと過ごした日々も、さらわれた私を追ってくれたチョンチーが私を海から押し上げてくれたことも、全部、素敵な記憶を忘れていたの」
「あの日の夜、オレがレインの周りに見た光は、チョンチーの……ランターンのライトだったのか」

 私を夜の海から助け出してくれたとき、デンジ君は私の周りに点滅する光が見えたと言っていた。きっとそれは、私を海から押し上げてくれたチョンチーが出してくれたSOSのサインだったのだ。
 私はデンジ君の腰にあるランターンのモンスターボールに手を伸ばした。
 ねぇ、ごめんない。ランターン。今も昔も、貴方はずっと私の傍にいてくれた。昔の記憶を思い出すことによって私が傷付くことを知っていて、黙っていてくれていた。

「でも、もう、手放したりしない、から。どんなに辛くても、もう、忘れない。憎しみに、負けたりしない、から」
「レイン」

 デンジ君に支えられて、力の入らない足で立ち上がる。

(ギラティナ)

 波導に私の想いを乗せて、ギラティナへと放つ。まだ戦いは続いている。でも、聞いて欲しいことがある。

(確かに、何かを壊すのはいつも人間よ)

 私の過去の記憶を、言葉と一緒に波導で送った。故郷を滅ぼされたこと。波導を持つ故にのけ者にされたこと。トレーナーに見捨てられたポケモンを仲間にしたこと。
 物を破壊するのも、人間同士の関係を破壊するのも、ポケモンとの関係を破壊するのも、いつも人間だ。

(私の故郷も、人間に、壊された。辛いよ、悲しいよ、苦しいよ。……でも)

 ナギサシティの海でデンジ君に助けられたこと。新しく家族となってくれた母さんと父さん。いつも仲良くしてくれたオーバ君。旅をして、ヒカリちゃんやジュン君、コウキ君やゲンさんに出会えたこと。
 全部の思い出が、私の大切な宝物。

(私が救われたのも、人間なの)

 悪ばかりが人間じゃないとわかって欲しい。人間にだって、勿論ポケモンにだって、誰にだって醜い部分がある。
 完全な生き物はいない。不完全だからこそ、支え合いながら暮らしていけるんだと思う。勿論みんな、醜い部分と同じくらい、ううん、それ以上に素敵な部分を持っている。

(ここにいるみんなを見て欲しいの。人間とポケモンが、こんなに強い絆で結ばれているから)

 傷付きながらもトレーナーを守ろうとするポケモンたち。ポケモンに最善の指示を伝えようとするトレーナーたち。
 ポケモンとトレーナー。それは、互いを信頼しているからこそ、成り立つ関係。
 だから、まだ間に合うはず。

(もう一度だけチャンスを下さい。不器用だけど、人間もポケモンも、助け合って生きていくから。人間とポケモン。どちらが欠けてしまっても、きっと、とても悲しいから)

 ふ、と。ギラティナの攻撃が止んだ。まだ、完全に心を許してくれたわけではない。ギラティナは今、信用と疑惑の狭間で揺れ動いている。だから今度は、私自身の言葉で語りかけた。

「ギラティナ。私たちと一緒に外の世界を見に行かない?」
『……この破れた世界を出ろと言うのか』
「貴方はずっと、世界の裏側で、たった独りで、私たちの世界を見ているだけだった。だから、一緒に来て、感じて欲しいの。貴方が見守ってくれている世界は、とても素敵な世界だから」
『我がここを出れば、世界は崩れるぞ』
「そんなことないわ。私たちはみんな世界に愛されてると思うの。だから、誰も消えたりしない。この世界を創った存在が、世界を愛していないわけないでしょう? 貴方がこんなに怒ってくれるのだって、世界を、そしてそこに住んでいる人間やポケモンのことを、愛してくれているからでしょう?」
『……』

 ギラティナから、殺気が消えたのがわかった。本当は、きっと寂しかった。だから私をこの世界に連れて来たのだと思う。
 誰もいない世界の裏側から、独りきりで表の世界を見ているだけの毎日を、何世紀と続けてきた。人間とポケモンの関係を羨んだり、悲しんだりしながら、それでも目を逸らさずに私たちの世界を見つめていた。
 それは、世界を愛してくれているからだと、思う。

「レインさん」

 ヒカリちゃんにモンスターボールを差し出された。それを受け取って、真っ直ぐにギラティナへと差し出した。
 ギラティナは自分の意思でモンスターボールの中へと体を収めた。主を失った世界の底で、目を閉じて、耳を澄ませる。とく、とく、とく、とく。生きている波導を感じられる。
 ほら、世界は崩れない。





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