165.水葬された少女


 私が生まれたのは、新月島と満月島の間にある名前もない島だった。住人全員に波導使いの素質があり、みんな子供の頃から波導を使ってポケモンたちと話し、仲良く助け合って暮らしていた。
 ある程度波導が使えるようになると、子供たちは自分のパートナーとなるリオルのタマゴを貰い、生まれてきたリオルと共に波導の応用訓練をする。だから、一般的には生息数が少ないとされているリオルやルカリオが、この島には多数暮らしていた。
 小さな島だったけど、だからこそ住民同士に知らない人はいなくて、みんな仲がよくて楽しい毎日を過ごしていた。
 特に、近所に住んでいたゲンさんとは、よく遊んでもらっていた。小さい頃から遊んでもらっていて、本当の兄妹みたいだと周りから言われていて、それがとても嬉しかった。そんな私だったから、当時はゲンさんのことをお兄ちゃんって呼ばせてもらっていた。

『────お兄ちゃん。今日も修行を見てていい?』
『いいよ。いつもの森でリオルと修行してるから、いつでもおいで』
『うん! 私、リオルのタマゴを持ってくるね』
『わかった。先に行っているよ。────ちゃん』

 私よりも年上のゲンさんは自分のパートナーであるリオルと共に、既に波導の修行を始めていた。それを見るのが私の日課で、今日はどんな修行をするんだろうっていつもわくわくしていた。
 私は今日十二歳になって、ようやく私にもお父さんとお母さんからリオルのタマゴが与えられた。リオルのタマゴを抱いて、森に行く前にまず浜辺へと向かった。

『チョンチー。今日も森に行くの。一緒に来る?』
(うん!行く!)

 真っ青な海から顔を出したのは、色違いのチョンチーだ。この子は普通のチョンチーに比べて体の色が違うから、仲間から外れてよく一匹でいる。最初は私のことも警戒していたチョンチーだけど、話しているうちにこうして仲良くなることができたのだ。
 チョンチーの隣を海岸沿いに歩き、海から繋がる川を通り、森にある泉へ向かう。そこで、私とチョンチー、ゲンさんとリオルで過ごすのだ。
 バトルの経験があるのはゲンさんとリオルだけだけれど、野生のポケモンに襲われる心配はない。だって、この島のポケモンたちは人間と仲がいいから。
 今日は雨が降っていたけれど、頭上を覆う緑の葉っぱが傘の役割を果たしてくれた。

『リオル。はどうだん!』

 リオルの手の内に青白い光の球体が作り出され、それは近くにある大岩を粉々に砕いた。普通のリオルでは覚えないはどうだんという技を、ゲンさんのリオルは修行により身につけていた。
 リオルだけでなくゲンさん自身も、どんどん波導を使いこなせるようになってきている。私はまだポケモンの波導を読むことしか――つまりポケモンと会話することしかできない。早く、ゲンさんに追い付きたいな。

『いいなぁ。私も早くこの子と一緒に修行をしたいな……』
(ずっと一緒にいたら生まれるんでしょう?)
『うん。元気があるポケモンと一緒にいると生まれるんだって。この子が生まれたら、一緒に強くなって、島の外に出てみたいの。いろんなところを旅して、みんなでたくさんの世界を見たいの』
(そのときは、わたしも一緒に連れて行ってくれる?)
『私と一緒に来てくれるの?』
(わたしに優しくしてくれたのは────だけだから、わたしはずっと────を守りたいの)
『チョンチー……! ありがとう!』

 素敵な約束をして、その日も終わった。平凡のまま終わるはずだった。
 夕方になってチョンチーと別れて、私はゲンさんとリオルと一緒に家路についた。そういえば、今日は野生のポケモンに会わなかったなぁとぼんやり思った。
 村が近付くにつれて、なにやら騒々しく、空気が熱を帯びていることに気が付いた。

『何……? なんだか、熱い?』
『! ────ちゃん、走るよ』
『えっ? ────お兄ちゃん?』

 ゲンさんに手を引かれて、言われるがままに走った。ゲンさんもリオルも、いつもと違って険しい顔をしている。タマゴが重くて片手でうまく持てずにいると、ゲンさんが私の手からタマゴを取り上げて持ってくれた。
 段々、騒々しい空気の中に悲鳴のようなものが聞こえてくるようになった。ただ熱いだけでなく、焦げ臭い臭いがしてくるようになった。

『『!』』

 村が、燃えている。私たちが育った村が、紅蓮の炎に包まれている。
 それだけじゃない。この島に住んでいる野生のポケモンに、人間が襲われている。見慣れていた景色は、火の粉と人の断末魔が飛び交う、地獄絵図と化していた。
 なんで、なんで、なん、で。

『や……お母さん! お父さん!』
『────ちゃん!』

 私の家も燃えていた。いつも私の家にご飯をもらいに来ていた野生のデルビルが、火を放っていた。その傍らには、喉を噛み切られたお父さんとお母さん、ルカリオたちの姿があって……頭の中が真っ白になった。

『お母さん! お父さん!』
『────ちゃん!』

 ゲンさんに腕を引かれた。彼は私を家から引き離そうとぐいぐい引っ張った。

『逃げよう! わたしたちだけじゃ、この数相手に戦えない』
『────お兄ちゃん……』
『ポケモンたちの様子が変だ。波導は読めないし、目の焦点が定まっていない。まるで何者かに操られているか、混乱状態に陥っているみたいに……』
『────お兄ちゃんの、お母さんたち、は?』
『……』

 よく見たら、ゲンさんも泣いていた。瞳に涙を溜めて、溢れそうになるのを必死に堪えていた。それだけで、私はゲンさんの家族の結末を悟った。
 ゲンさんに手を引かれて、泣きながら浜辺に向かって逃げた。これだけ家や森が燃えていれば、ミオシティやハクタイシティから見えてると思う。きっと、誰かが助けに来てくれる。そう信じるしかなかった。
 涙でボヤケる視界に、炎の中に立っている男の人が飛び込んできた。彼だけはポケモンたちに襲われていない。
 そう。彼こそが、アカギさんだった。

『波導使いの少女か。……きみに協力してもらおう』
『『!』』

 アカギさんはドンカラスを繰り出して、私たちに攻撃を仕掛けてきた。ゲンさんがリオルにはどうだんを命じたけど、まだ未熟なそれはドンカラスの大きな翼に払われた。その翼をはためかせ、ドンカラスは熱風を飛ばしてきた。
 私たちも焼かれてしまうんじゃないかと思った。ゲンさんと繋いでいた手が、風に煽られて放れてしまい、風圧によって私たちの体は崖から放り出された。ゲンさんも、リオルも、私のタマゴも、真っ黒な荒れた海の中に沈んで、見えなく、なった。
 私だけ、ドンカラスの背に拾われ、アカギさんの腕に捕まった。

『────お兄ちゃん!』
『これで、生きている波導使いはきみだけだ』
『え……?』
『ポケモンたちには島を全滅させるように、機械を使った超音波で洗脳させたからな』

 激しい雨が頬を叩く。私とアカギさんを乗せたまま、ドンカラスは東へ飛ぶ。赤く燃える私の故郷が、見る見るうちに遠ざかっていく。
 私はガチガチと歯を震わせながら、恐怖に耐えきれずにまたボロボロと涙を流した。

『どうして、こんなこと、するの? どうして、みんなを、殺したの?』
『きみたちが悪いのだよ。波導なんて奇妙な力を、人間が持つには強すぎる力を持っているから。いずれ驚異となる力は潰し、そして……わたし自身の力とする』

 私たちが、私が、悪い? だから、みんな死んじゃった? みんな、誰も、いなくなった? 優しいお母さんも、頼りになるお父さんも、仲良しだった二人のルカリオも、ゲンさんもリオルも生まれてくるはずだった私のパートナーも、みんな、みんな。
 私はアカギさんの手を思いきり噛んだ。腕の拘束が弛んだ隙に、この体を宙に投げた。重力に忠実に従う私の体は、下へ下へと落ちていく。アカギさんは追って来なかった。
 忘れたい。忘れたい。こんな、悪夢。私の存在も何もかも、なかったことにしてしまいたい。
 そのとき、ポケモンの声が、聞こえた。ユクシーが、現れた。

『波導使い。ポケモンと人間を繋ぐ、希望。本当に、全て、忘れたい?』
『忘れたい。怖い。辛い。もう、生きていたくない。お母さんとお父さんと、────お兄ちゃんがいる場所に行きたい』
『……忘れさせてあげる。でも……死なせない』

 堅く閉じられていたユクシーの瞼が上下に開き、その目を直に見た瞬間、喪失感に襲われた。生まれたての赤ちゃんのように、脳がクリアな状態になった。

 ――わたしはだぁれ? どうしてわたしはおちているの? わたしは、わたしは、わたし、は?

 ユクシーの目を見たものは、何もかも忘れて思い出せなくなると言われている。このとき、既に私は自身の記憶を失ったのだ。
 ユクシーの念力で、海に叩きつけられる衝撃が弱まった。私の体は暗くて冷たい海の中に沈んでいく。息ができなくて、肺まで水が流れ込んできて、もういいよという声が聞こえた気がして、私は意識を手放した。
 意識が消える刹那、あのチョンチーを暗い海で見た気がした。

 ――次に目覚めたとき、私は全てを失った状態で、ナギサシティの病室に横たわっていた。ただ、真っ暗な闇と、激しい雨の音と、冷たい海の恐怖だけが、いつまでも体に刻み込まれていた。





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