158.淀んだ群青


〜DENJI side〜

――破れた世界――

 爪先から静かに水面へと浸かったような、奇妙な感覚を覚えた。それが頭のてっぺんまでを包んだところで、ゆっくりと目を開けた。
 世界の裏というから、一体どんなに不気味な世界だろうかと身構えていたが、そう恐れる必要はなかった。オーバ曰く、オレの感性は一般とズレているらしいので、他がどう感じているかは不明だが……綺麗だ、と思った。浮遊している足場、奇形の木、下から上へと昇る滝。常識に捕らわれない幻想の世界だ。
 ただ、少しだけこの世界に寂しさを感じた。音もない。生きているものの気配もない。止まった空間。きっと、死に最も似ている場所が、ここなのだ。
 それでも、本当に美しいと思う。果てしなく広がる群青は、朝とも昼とも夜とも言い表せない宙に違和感なく溶け込み、迷い込んだ者を圧倒させる。

「ここは……」
「ポケモンがいる気配はないね」
「なんだか、時間が止まっているみたいです」
「空間も不安定だな」
「掟破りの世界ね。破れた世界、と呼ぶべきかしら」

 時間の流れを感じない。正しい空間という概念もない。言い表しがたい世界を形容するならば、常識から破れた世界……そう言えるのだろう。

「とにかく、ギラティナを探しましょう。やりのはしらから広がる歪みを止めるためにも……」

 そのとき、頭上を影が横切った。視界に入りきれないほどの巨体を持った飛行物体が、重力とは逆向きに飛び去っていく。影が見えなくなった直後、滝が逆に昇るこの世界にオレたちが想像する重力を当てはめてもきっと無意味なのだろうと察した。

「シロナさん! 今のは!」
「ええ……ギラティナ!」
「急いだほうがよさそうだ。このままでは、破れた世界も、わたしたちがいた世界も歪んでしまう」

 とりあえず、オレたちは現在立っている足場が許す限りの範囲を歩き出した。しかし、宙に浮いているこの足場は一つ一つがそう大きくはない。数十メートルと歩かないところで端まで辿り着いてしまった。

「あれ? 行き止まりですよ」
「大丈夫だよ」

 ゲンは何もない空間に、その身を投げた。思わず息を止めてしまった。しかし、当のゲンは涼しい顔をしていて、宙から現れた足場に軽々と足を着けた。
 ああ、これも波導とやらの力か。

「わたしの後ろをついてくるといい。足を踏み外さないようにね」
「……波導ってすごい」

 ゲンは次の足場に跳び乗った。そうすれば、今まで乗っていた足場はまた宙に消えた。ゲンに続き、ヒカリも宙に跳び出した。
 しかし、後ろをついて行けば平気だとわかってはいても、何もない場所に足を踏み出すのは中々根性が試される。ヒカリは恐る恐るといった様子でゲンのあとを追った。チャンピオン、オレの順であとから続く。
 トン、トン、トン。リズミカルな音がしばらく続いた。十ほど足場を跳んだところで、ゲンの目の前に巨大な壁が現れた。

「これはどうするんだ?」
「……」

 ゲンは少し悩む素振りを見せたあと、壁に向かってジャンプした。すると、ゲンだけかかる重力が変わったかのように、その足が壁に吸いついたのだ。

「進めるみたいだよ。あそこに大きな足場があるから、あれに乗ってみよう」

 まったく、波導には脱帽するばかりだ。
 壁を渡り、四人が乗れる広さの足場へと全員同時に跳び乗ると、足場はゆっくりと下降を始めた。

「こうやって降りていけばギラティナに会えるんでしょうか?」
「そうね。……この破れた世界では、下に登って行く、と言うのかもしれない」

 ガタン。一度だけ大きく揺れて、足場は停止した。

「エムリット!」

 先にこの世界に着いていたエムリットは、ヒカリの周りをぐるりと一周回ると、さらに下へと飛んでいった。テンガン山のときのように、時折ちらちらとこちらを振り返り、オレたちが追いつくまで立ち止まる。ついてこい。まるでそう言っているようだ。

「僅かに伝わるギラティナの神話……そこで語られていたこの世の裏側……」
「それがこの世界のことですか?」
「恐らくね。この世界の役割……そして、ギラティナはなぜ一匹でここにいるのか……わからないことばかりだけど、今はやることがあるわね」

 道は二手に別れている。一つはエムリットが導く道。もう一つはどこへ通じているか不明な道だ。

「一緒に行くよりも、手分けして正しい道を探しましょう」
「そうだね。それが一番手っ取り早い」
「あたしはヒカリちゃんと行くわ。エムリットのあとを追ってみましょう」
「はい」
「ゲンはデンジと一緒にレインちゃんを探してちょうだい。ゲンが波導を使えばわかるでしょう?」
「分かったよ」
「……」

 マジかよ、チャンピオン。空気読め、というか読んでくれ。なんて、こんな場面で言えるはずもなかった。
 ヒカリとチャンピオンはエムリットを追ってさっさと行ってしまい、オレとゲンだけが取り残された。

「微量だけど、あっちからレインちゃんの波導を感じる。行こう」
「……ああ」

 どんなに不本意でも、ゲンに頼るしかない自分が、情けない。ゲンが感じ取る波導を追うことが、レインを救う一番の近道なのだろうから。





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