008.海に誓おうか


〜side DENJI〜

「っ!」

 手紙を力任せに握りしめて、そのままオレは走り出した。
 なんだよ、それ。なんで勝手にいなくなってんだよ……!

「よぉ! デンジ! 暇だから遊びに来た……って、おい!」

 視界の隅に、こちらに向かって手を振るオーバを見付けたが、その隣をオレは走り抜けた。
 どこに向かっているかなんて、自分でもわからない。ただ、気付いたときにはいつもの浜辺に立っていて、腹立たしいほどの青空を睨み付けていた。

「レイン……! くそっ! なんだよ……っ」
「おいおい、どうしたんだよ。レインと喧嘩でもしたか?」

 追ってきたオーバの顔を見ないまま、くしゃくしゃになった手紙を乱暴に渡す。
 オーバが沈黙すること、数分間。波が浜辺に打ち寄せる音とキャモメたちの鳴き声くらいしか聞こえてこない。
 いつもなら「暑苦しい」と周りから言われるほどひとつひとつの挙動が大げさなオーバだが、今はそう驚いた様子がない。むしろ、オレ以上に落ち着いているように見える。

「今日だったのか」
「……おまえ、知ってたのか」
「ああ」
「……知らなかったのはオレだけ、か」

 全身の力が抜けていく。汚れるのも気にせずに浜辺に寝転ぶと、真っ青な空と太陽が眩しくて、顔をしかめた。目を影で隠すように、太陽に手を伸ばしてみた。
 オレの何を思って、レインはオレを太陽のようだと言ってくれたのだろう。オレは一人の女がいなくなっただけで、こんなにも輝きを失ってしまうのに。
 寝転ぶオレの脇に尻をつき、オーバが話しかけてくる。

「なぁ、おまえには言えなかったレインの気持ちもわかってやれよ」
「……」
「言ってたらおまえ、絶対反対しただろ?」
「……当たり前だ」
「だから、だよ。デンジには嫌われたくない。心配かけたくないって、だからレインは泣いてたんだ」
「……」
「なぁ、レインももう大人だぜ? そんなに心配する必要ねぇって」

 オーバがあまりにも気楽に語るもんだから、オレは思わずその胸倉を掴んだ。
 自分でも沸点が低すぎると呆れる。自分が子供だとも自覚している。だから今も、どうにもならない苛立ちをオーバにぶつけているんだ。

「おまえは知らないから、そう言えるんだよ」
「なにを、だよ」
「オレと初めて逢ったとき、レインがどんなに弱かったか」

 ――あれは、ある雨が強い夜のことだった。家の窓から外を眺めていると、海の中に光を見付けた。シルベの灯台の明かりとは違う、チカチカと点滅する小さな光だった。なんだろうと凝らしていた目を、オレは見開いた。
 人が、溺れていた。小さな体は頼りなく、今にも海に沈んでしまいそうで、オレはエレキッドと一緒に家を飛び出した。
 エレキッドのフラッシュを頼りに、オレは浜辺まで全力疾走したあと、海に飛び込んだ。こう見えてもナギサの子供だ。幼い頃から海での泳ぎには慣れているし、顔見知りの野生のみずポケモンがすぐに手を貸してくれたから、嵐の中でも進むことができた。それでも、水温が思いの外低く、一瞬で体温を奪われたことを覚えている。
 なんとか人影まで辿り着くと、すでに光はなくなっていたが、薄暗い中でもわかった。溺れていたのが、自分と同い年くらいの女の子だ、と。
 意識がある様子はなかった。でも、冷えた体を震わせて、生きようと、オレにしがみついてきたんだ。
 その体を抱きしめ返して、オレはみずポケモンと一緒に浜辺まで必死に泳いだ。浜辺には、エレキッドが呼んでくれたのか、いくつもの人集りができていた。
 その後、女の子はこの街の病院も兼ねる、孤児院に運ばれていった。
 女の子はしばらく昏睡状態だったという。しかし数日後、意識が戻ったと連絡をもらったオレは、その足で孤児院に向かった。
 未だ、ベッドから離れられないようだったけど、女の子はちゃんと生きていた。オレを見ると、痩せ過ぎともとれる細い体を、必死に起こした。

『貴方が私を助けてくれたの……?』
『ああ』
『っ……ひっ……く……』
『どうしたんだ? どこか痛いのか?』
『……あ……り、が……とう』

 まるで雨を固めてできたような大きな瞳から、大粒の涙をポロポロと零して、女の子は、オレの手を握ってきた。
 基本的に、オレは他人への関心が薄いほうだと思う。でも、無我夢中で海に飛び込んだ時点で、その子のことは特別だったんだ。まるで、傷付き迷子になったポケモンを拾ったかのような、そんな感覚。
 その手があまりにも小さくて、ああ、守ってやらなきゃと……そう、思ったんだ。

「あいつは、誰かが傍にいてやらないとダメなんだよ……!」
「だったらよ、さっさと言えばよかったのにな。好きだ、って」

 ああ。なんて痛いところを突くんだ、こいつは。
 思わず、力が緩む。その隙に、オーバはオレの手を振り払った。

「とっくの昔に自覚してるんだろ? だったら、幼馴染じゃなくて恋人っていう立ち位置だったら、何か変わっていたかもしれないのにな」
「……」

 オーバの言うとおりだ。まるで拾ったポケモンを育てるように溺愛し、過保護なまでに守ってきたレインのことを、オレはいつからか一人の女として好きになっていた。
 いくら他の女と付き合っても、長く続かないのはそのせいだ。それなのに、一番大切なレインには、あまりにも大切すぎて、気持ちを伝えることが怖い、なんて。
 結果、いつも素直になれないオレは、暇だからと言って会いに行ったり、呼び出すくらいしかできなかった。幼馴染で、レインとも仲がよくて当たり前のオーバにすら嫉妬するんだから、重症だ。
 こうして考えると、なんて情けなくて、なんて女々しくて、なんて子供なんだ、オレは。
 その点、オーバは違う。レインのことを一人前として、しっかり見てる。

「目標を持って、旅立つと決めたのはレインの意志なんだぜ? その時点で、レインはもう昔とは違うんだ。永遠の別れじゃあるまいし、好きな女のことなんだから応援してやれよ」
「……あれだよな。おまえは意外と大人だよな」
「おっ! 今更気付いたのか?」

 ニッ、と屈託なく笑うもんだから、なんだか無性に腹が立ったので、頭をどついてやった。「何すんだよ!」と抗議する声なんて、どこ吹く風だ。
 オレもそろそろ、大人にならないといけないな。
 オレは砂を払いながら、立ち上がって、静かな水面を見下ろした。ランターンが入っているオレのモンスターボールが、揺れない。どうやら、海面にだけじゃなく、海の中にもあの色違いのランターンはいないらしい。きっと一緒に旅立ったんだなと、少し安心した。
 オレの代わりに守ってやってくれ、レインのことを。

「レイン……帰ってきたときは覚悟してろよ」

 そのときは必ず、想いを伝えて。レインがなんて答えようと、絶対に、手放してやらないから。



Next……フタバタウン


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