156.夜の帳に覆われて


〜DENJI side〜

 もう少しで手が届きそうだった。もう少しでレインに触れられた。
 しかし、突然広がった暗闇がそれを妨害した。
 まるで墨汁が海に流し込まれたように、景色は一瞬で闇に染まった。自分の姿がようやく見えるというほど深い闇だ。下手には動けない。

「なんだ!? どうなったんだ! デンジ!」
「オレはこっちだ」
「レインは!?」
『レインさま! レインさまっ!』

 リオルがどこかに駆け寄る気配がした。おそらく、波導を使ってレインの位置を特定できたのだろう。そのままじっとレインの傍にいてくれ。レインはまだ動けないだろうから。

「何だ、この気配……何者かが怒り狂っている?」

 アカギの声は微かに戸惑いを含んでいた。どうやらこの闇はアカギの仕業ではないらしい。
 何が起こるのか、身構えて耳と目を暗闇に慣れさせる。すると、ディアルガとパルキアの背後に二つの赤い玉が現れた。……いや、あれは目玉だ。赤い目玉を持つ何者かが、影の中から現れたのだ。

「面白い。影でしか出て来れないポケモンがいるのか」

 赤い目玉がある場所を中心に、墨汁よりも濃い闇が広がっていく。まるで、あの影に潜むポケモンが翼を広げているかのように。

「それにしても、愚かな……ディアルガとパルキアの二匹の力を操るこのわたしに、逆ら」

 アカギの言葉が、途切れた。オレたちがいる場所まで深い闇が勢いよく広がり、視界を埋め尽くした。目を開けていても閉じていても最早関係ないが、反射的にぎゅっと目を瞑ってしまった。

 ――腕で顔を覆い隠したまま、どのくらい時間が経っただろうか。恐る恐る目を開けてみると、既に闇は晴れていた。

「レイン? リオル?」

 レインとリオルがいない。アカギもいなくなっている。神隠しにでもあったように、影さえも残らず、レインたちは忽然と姿を消した。
 ヒカリとコウキ、ジュンがオレたちのいる場所まで駆け寄ってきた。

「デンジさん! オーバさん! どうなったんですか!?」
「さっきまで真っ暗で、ぼくたちなにも見えなくなって……」
「あ! あれなんだ!?」

 ジュンが祭壇を指さした。そこには直径三メートルほどの穴が開いていた。何の前触れもなく突然出現したそれは、ブラックホールのようにぱっくりと口を開き、何かがそこに飛び込むのを待っているようにも見えた。

「なんてこと……!」

 地面を叩くヒールの音と共に、チャンピオンが走ってきた。同時に、アグノムとエムリットとユクシーが穴の中へと飛び込んでいく。

「シロナさん!」
「ああー! シンオウリーグのチャンピオン!」
「なんだとー!? チャンピオン!?」
「ごめんなさい。遅くなって」

 子供たち三人の注目を軽く流し、チャンピオンは祭壇にできた穴を渋い顔で見つめた。

「神話を調べていてわかったの。この世界を創るとき、生み出されたディアルガとパルキア。実はそのとき、もう一匹ポケモンが生まれていたらしいの。ディアルガにもパルキアにも負けないくらいの力を持ちつつ、語られることのなかったポケモン。それが、ギラティナ!」
「ギラティナ!? 聞いたことないぜ! そんなポケモン!」
「あたしもよ。でも、神話にはこう記されていたの。もう一つの世界、というか、あたしたちの世界の裏側……ギラティナはそこに潜んでいるんですって!」
「さっきの影……あれがギラティナか」

 そのとき、奇妙な感覚に襲われた。両足をちゃんと地面につけているはずなのに、真っ直ぐ立っていられない。思わずふらついてしまいそうになり、両足に力を込めた。胃の中がかき混ぜられているようで気分が悪い。視界までもおかしくなってきたようだ。柱が歪んで見える。
 オレだけの異変ならおかしいだけで済んだ。しかし、残念ながらこの場にいる全員がそれを感じ取っているようだ。首を左右に動かしながら、ヒカリが叫んだ。

「何……? 柱が歪んでるの?」
「あの穴ができてもう一つの世界と繋がったせいね」
「あの……このままだと、どうなるんですか?」
「このままでは、歪みはシンオウ全体に広がるわ……」
「なんだってんだよ……それって……世界が壊れるのか!?」

 チャンピオンは肯定も否定もしなかった。しかし、無言であることは肯定しているようなものだ。
 世界の終わり。SF映画などでよく出てくる事態が、今目の前で起ころうとしている。
 正直、実感はあまりない。こんなに簡単に世界は滅んでいくのかと、ぼんやりとしたイメージしか沸いてこない。
 しかし、掴めるはずだったのに掴めなかった、レインの体温が腕の中にないという事実が、妙に現実味を帯びていた。

「でも、黙ってそれを見ていなくてもいい。あたしたちにも何かできるはずよ」
「世界の裏側とやらに乗り込むんだな」
「ええ」
「デンジ! チャンピオン! マジかよ!? どんな場所かわからないんだろ!?」
「それを知ることのできる人物が、あたしたちの味方にいるの。……ゲン」

 コツリ。革靴の音が静かに響いた。祭壇に上がってきたのは、ルカリオを引き連れた青いスーツのトレーナー――ゲンだった。





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