007.冷たい風が通り過ぎた


〜side DENJI〜

 ジムにこもって早一週間。オレの苛々はピークに達そうとしていた。
 こんなときに限って、どうしてこんなに挑戦者が多いんだ。百歩譲って、挑戦者が多いことは有り難いとしよう。だが、そのくせ手応えのない奴らばかりだとやる気を失わせる。はっきり言って、ジムの改造をしたほうがまだ暇潰しになる。
 だからといって、ジムの改造をしたからって、きっと苛々が消えることはない。原因は分かってる……レインだ。
 オレのバトルを見たあの日から、あいつは理由をつけてオレの電話に出なくなった。なら会いに行こうと思ったが、タイミング悪く挑戦者が多くてこの様だ。
 オレに何か非があるのか? あるとすればあの日、オーバとレインの距離が近いことに苛立ち、オーバに電撃を浴びせようとしたことくらいだ。
 だが、そんなことだけじゃないだろう?
 他に思い当たる節がないから、さらに苛々は募るばかり。あの日、レインは泣いていたけど、その理由も、オレは知らないから。

「……くそっ!」

 バトル中だというのに、思わず悪態も出てくる。
 ああ、悪い悪い。そんなにビクビクするなよ。
 怯んだ挑戦者に、オレたちは最後の技を放つ。

「エレキブル、終わらせろ。れいとうパンチだ」

 挑戦者は馬鹿の一つ覚えみたいにじめんタイプばかりを使ってくるが、オレがその対策をしていないわけがないだろう。
 戦闘不能になったドサイドンに駆け寄る挑戦者の横を通り、オレはバトルフィールドを出て行った。さらに、オレに次ぎこのジムで実力を持つトレーナー――ショウマの前までも通り過ぎたからか、背後から慌てた声が聞こえてきた。

「リーダー」
「少し出てくる」
「挑戦者が来たら……」
「ああ。だから、絶対通すなよ?」

 つまりは「負けるんじゃないぞ」と。ひらひらと手を振りながら、オレはそのままジムを出て行った。
 ジムリーダーが業務時間中にジムを空けるなんて、オレに限ったことじゃない。オレは息抜きに孤児院やシルベの灯台や浜辺に向かうことがあるが、とあるいわ使いはジムより炭坑にいることが多いし、とあるゴースト使いはコンテスト会場に入り浸ってるのだから。
 オレの足は、いうまでもなく孤児院に向かっていた。いつも着ている青いジャケットはあの夜レインに貸したままで、オレは黒いTシャツだけを着ている。
 昼間とはいえ、海から吹く風は強く、若干冷える。無意識のうちに歩く速度が速まってしまう。
 しばらくすると、シルベの灯台の麓に孤児院の門が見えてきた。
 閉ざされている門の前に立つと、オレの存在に気付いた子供たちが錠を開けてくれた。

「あっ! デンジお兄ちゃんだ!」
「こんにちはー!」
「ああ。こんにちは。レインはどこにいるかわかるか?」
「えー? レインお姉ちゃんはもういないよー。イーブイもー」
「……は?」
「だって、昨日お別れ会したもんねー」
「ねー」

 何を言ってるんだ、こいつらは。と、口にはもちろん出さなかったが、平静を装ったままオレの頭は混乱していた。
 もういない? お別れ会? ……意味がわからない。
 ただ唖然としていると、レインの『母さん』が出てきた。

「おや? デンジ君じゃないかい」
「……あいつは、レインは」
「今朝、旅だったよ。聞いてなかったのかい? チマリちゃんからも?」
「……何も」

 だから、何がだよ。旅立ったって、どういうことだ。レインと同じ孤児院に住んでいるチマリですら、何も口にしてはいないのに。
 沈黙したオレを見て『母さん』は口に手を当てた。

「あらやだよ! あの子ったら、まさかデンジ君に何も話してないなんてねぇ……」
「……レインは、どこに行ったんですか」
「どんなつもりかわからないけど、あの子は何か思うことがあったんだろう。あたしの口からは言えないよ」
「……」
「そうだ。ちょっと待ってておくれ」

 そう言ってオレを待たせること、五分弱。
 孤児院に戻った『母さん』は、綺麗に畳まれたオレの上着を持って再び現れた。あの夜、レインに貸したやつだ。

「あの子から預かってたんだよ、これ」
「……どうも」
「じゃあ、あたしは仕事があるからね」

 『母さん』はオレに上着を渡すと、子供たちと一緒に門の中へと入っていった。
 未だに、頭の整理がつかない。
 とりあえず、その上着を羽織った。洗濯までされていたのか、微かに洗剤のいい匂いがする。
 いつもの癖でポケットに両手を突っ込むと、手が紙のようなものに触れた感触があった。そこに、何かがある。
 取り出してみると、それは手紙だった。まるでナギサシティの夜明けを思わせるような、爽やかな色の海と空が描かれた封筒だ。
 躊躇うことなく、オレは封を切った。便箋にしたためられていた見慣れた文字は、紛れもなくレインのものだった。

『デンジ君へ。

 最初に謝らせてください。電話に出なかったこと。あの日、泣いてしまったこと。そして、顔を合わせずに旅立ってしまったこと。本当に、ごめんなさい。
 私は、十年間ずっと探したいものがありました。それは、デンジ君に助けられるまでの、過去の『私』。孤児院で母さんたちに恩返しをしながら生きていくつもりだったけど、本当はずっと迷っていました。
 今までは勇気がなくて、外に出ることができなかったけど、ようやく決心が付いたんです。シンオウ地方を旅して、昔の『私』が生きていた跡を探すと。
 デンジ君に言えなかったのは、反対されると思ったから。小さい頃からずっと一緒にいてくれた、優しい貴方だから、私が一人旅するなんて言ったら心配するでしょう?
 反対されたら、私は貴方に逆らえない。だって、貴方には嫌われたくないから。貴方は私の、太陽そのものだから。
 だから、何も言わずに旅立ちました。オーバ君からは、黙って旅立つほうが怒られると言われたけど、それでも、私は『私』を知りたかった。
 心配しないでください。私には、貴方が出逢わせてくれた大切なパートナーがいます。あの子と一緒に、色違いのランターンとバトルの練習をしました。デンジ君やオーバ君の足元にも及ばないけれど、人並みに戦えるようになりました。
 だから、私は大丈夫。デンジ君もジムリーダーとしての勤めを頑張ってね。
 今まで本当にありがとう。デンジ君には、いくら感謝しても足りないくらいです。
 私はまた、ナギサシティに帰ってくるつもりです。だって、太陽に照らされて輝くこの街が、私は大好きだから。
 そのときは、どうか、しょうがないやつだと笑って、少しだけ怒ってください。それだけできっと、私はここが帰る場所だと実感できるから。

 レイン』





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