150.機械仕掛けの心


〜DENJI side〜

 アカギと出会ったのは、オレが十になるかならないかというときだった。丁度、エレキッドを最初のパートナーとしたくらいだ。
 その日、オレはエレキッドと遊ぶつもりで朝早くから海岸に出掛けたら、既にあいつがいた。誰もいない浜辺で、ヤミカラスと一緒に見たこともない機械を動かしていた。オレはそれが珍しくて、遠目でじっと見ていた。
 今のオレの性格からもわかるように、当時のオレも興味がないものには見向きもしない性格をしていた。だから、自分から友達を作ろうともしないし、大勢よりも一人で好きな遊びをするような、子供らしくない子供だった。
 しかし、そのときは違ったのだ。生きたように動く機械を見て、初めてポケモンと触れたときのような気持ちを覚えた。

『それ、あんたが作ったのか?』

 気付けばそう話しかけていて、当時十五だったアカギは一度だけ頷いた。

 その日はそれだけで別れたが、それからオレたちはたまに浜辺で会うようになった。いや、オレがアカギに会いに行くようになったのだ。あいつは誰もいない早朝と深夜に浜辺に出て、機械を動かしていた。ほんの十五の時点でありとあらゆる知識を取得し、機械について知り尽くしていた。
 そのときからオレは、当時から腐れ縁だったオーバと遊び、当時のジムリーダーにポケモンのことを教えてもらう傍ら、アカギから機械に関する様々な知識を教わった。アカギは時々煩わしそうにするときはあったが、オレを追い返そうとはしなかった。
 のめり込んだらハマるところまでハマり、執着するタイプのオレは、ちょうど父親も機械いじりが趣味だったこともあり、家に帰ってからも機械について勉強するようになった。教えたことに対するオレの吸収が速いからか、アカギは時折感心するような素振りを見せることもあった。アカギに教わった通りに作った電気仕掛けの人形を持って行ったら、一度だけ、たった一度だけあいつは微かに笑った。
 二人でいる時間は決して長くはなかったし、互いの性格が性格なので交わす言葉も多くなかったが、幼いオレは勝手に友達だと思っていた。
 
 一度だけ、アカギの家に行ったことがある。機械に関する貴重な本を見せてもらうように頼み込み、渋々承諾してもらったからだ。あまり長くは居られないと念を押され、アカギはオレを家に連れて行った。
 アカギの家はナギサの郊外にあった。家の周りはシンとしていて音がなく、少し不気味だったことを覚えている。
 アカギの家はどこにでもあるような普通の一軒家で、あいつの部屋は家の一番奥にあった。オレが言うのもなんだが、あいつの部屋からは生活感というものが感じられなかった。コンクリートの壁に囲まれた部屋にあるのは机と本棚とパソコン、そして機械の部品や道具などだけで、テレビやゲームといった子供が好きそうなものが何一つなかった。
 当時のオレはそんなことを気にも止めず、本棚にある本を手当たり次第引っ張り出し、読み漁った。自分でもたくさん本を読んで知識を得ていたと思っていたが、自分の知らない知識がこの部屋にはまだまだたくさん詰まっていて、新しい知識を頭に入れようと食い入るように本を読んだ。その間、アカギはパソコンに向かってキーボードを叩いていた。
 夢中になって本をめくっていると、突然ものすごい勢いで扉が開いた。

『子供なんか家に上げて、勉強はどうしたの!? あんたもうちの子の勉強の邪魔をしないで!』

 それは、アカギの母親だった。まだ若いだろうに、髪には白髪が数本混じっていて、年齢よりも老けて見えた。しかし、その目は怒りでつり上がり爛々としていた。
 アカギの母親はオレを摘み上げ、外に放り出した。それを、アカギは感情の籠もらない目で見ていた。

 翌日に浜辺で会ったときに、昨日オレが行ったせいで怒られたことを謝ると、あいつは「気にするな」とだけ言った。今思えば、あいつの心は既に病んでいたのだ。

『あの人たちはわたしに期待し過ぎている』

 空と海の境界線を見ながら、アカギは言った。
 アカギは同年代の他の子供から群を抜いて頭がよかった。親はアカギに期待するあまり、あいつを机に縛り付けていたという。

『心を殺すことができればどれだけ楽なんだろうな』

 ひっそりと呟かれた言葉に、あいつの心にたまっていた淀み、全てが込められていた。

 その日を境に、オレがアカギを外で見ることはなくなった。いつもの時間に浜辺へと行っても、現れなかった。家に行き、こっそり窓から中を覗いたこともあったが、カーテンは全て閉められていた。アカギの祖父と思わしき人が家まで来て、孫を引き取るだのなんだの、アカギの親と口論しているのも見た。アカギを見ることはなかったが、街の人たちが機械ばかりいじって外に出ない子供がいると噂しているのは聞いた。

 それから二年ほど経ち、オレはエレキッド以外にも手持ちを増やしてジム戦に挑戦しようと思い始めた。この頃には、もうアカギのことを思い出す日はほとんどなかった。あの浜辺を通るときだけ、そういえばそんな奴もいたなと思う程度だった。
 だがある日、街が妙に騒がしく、レインコートを着たジュンサーさんが道をあっちへこっちへと走り回っていたときがあった。何か事件でもあったのかと首を傾げたオレに、母親は言った。「ナギサの郊外にある家の子供が、数日前からドンカラスと一緒に行方不明らしいわよ」と。体裁を気にして周りには言っていなかったが、何日経っても子供が見付からないので、親が警察に通報したらしい。
 オレは、馬鹿な親だと鼻を鳴らした。体裁と自分の子供、天秤に掛けるまでもないだろうに。
 なぜなのかわからないが、オレの脳はその子供、イコールアカギだという数式を叩き出した。あのヤミカラスはドンカラスに進化したのか、というどうでもいい考えしか浮かんでこない。当時のオレにとって、二年間も姿を見せなかった友の存在なんてとっくに薄れていたんだ。
 「デンジも行方不明になるなら行き先を書いたメモを残して行きなさいよー」といった母親の冗談なのか本気なのかわからない言葉を聞き流し、オレは『満月島と新月島間にある小島、謎の全焼。生存者は0』という記事が載っていた新聞のテレビ欄を読みつつ、トーストを頬張った。

 窓ガラスには雨がバチバチと叩きつけられる、嵐の兆候を感じさせる朝の出来事だった。

 アカギはオレが十二になる年に、ナギサシティから姿を消した。レインがナギサシティに流れ着いたのは、アカギが消えたという情報を耳にした、その日の夜だった。

 ――オレの話を最後まで聞くと、オーバは目を丸くして素っ頓狂な声を出した。

「そういや、そんな事件もあったなぁ! 今の今まで忘れてたぜ。当時、機械の仕組みを教わってる奴がいることはおまえから聞いていたけど、そいつが行方不明になった子供で、現在のギンガ団のボスだったなんでよ」
「でも、聞いた感じだと行方不明っていうか、自分から家出したみたいです」
「ああ。オレもそう考えている」

 親からの期待に応えることに疲れて、心が病みきった末に逃亡したのかもしれないし、他にも何か理由があったのかもしれない。どちらにせよ、オレを追い出した親だ。アカギに、悩みを吐き出すような友を作ることも許さなかったのだろう。
 あいつは、いつもどこか遠いところを見ていた。死人のような目で、世界の裏側を見ているようだった。あのときから既に、アカギがギンガ団のボスになるべくシナリオは、あいつ自身の頭の中で完成していたのかもしれない。

「でも」
「どうした?」
「アカギがナギサシティを出て数日後、入れ替わるようにレインさんがナギサシティに来た。……これって偶然ですか?」

 オーバが小さく息を呑んだ。ヒカリというこの少女は、だいぶん賢いらしい。
 『十年前、死んだとばかり思っていたが……』あの映像で、アカギは十年前と言った。アカギがナギサシティを出た時期と、レインがナギサシティに来た時期はほぼ一致する。
 あの二人は面識があるのだろうか。推測するに、レインはそれを忘れているように見えた。あのとき……死んだ……?
 アカギの蒸発を知ったその日に読んでいた新聞の片隅にあった、生存者0と書かれた記事が、妙に引っかかる。なぜ、オレは十年前の新聞に載っていたこんな見出しを覚えている? どうして今になって、こうもはっきりと思い出す?
 まるで、脳の一番奥にある引き出しに眠っていた記憶が、勝手に出てきたみたいだ。この記憶が、今、必要?

「……まあ、そんなことはいいか。追ってわかることだ」
「おいおい。そんなことってなぁ」
「言っただろ。レインが泣いていた。理由なんてそれだけで充分だ。それに」

 ……アカギ。おまえが、今回の件の最重要容疑者だとすれば、オレがとるべき行動は一つ。

「レインを泣かせて、シンオウをおかしなことに巻き込んでいる元凶が、ナギサシティ出身のアカギなんだ。ナギサジムリーダーとして戦う理由は充分過ぎるほどある」

 例え、世界が何者かにより滅ぼされようとしても、オレは誰かが何とかしてくれと他人任せにするか、残った時間をどう過ごそうかとぼんやり考えるか、いずれかしかしないだろう。オレは正義のヒーローでも善人でも何でもないのだ。他人にも、最悪自分にも関心がない。
 ただ、自分が特別な思いを抱いている相手が関連しているなら話は別だ。例えば、手持ちのポケモンたち。例えば、ナギサシティの人々。例えば、腐れ縁の赤いアフロ。例えば、何よりも大切な存在と、その大切なものたち。
 はっきりと口に出したことはないが、なんだかんだ言いつつオレはあいつらが好きなんだ。彼らが危険に晒されているとしたら、彼らが居なくなる恐れがあるのなら、『オレの世界』は一つ崩れる。だからオレは、オレのためでもあいつらのためでもなく、『オレの世界』を守るためになら、どんな危険にでも立ち向かおうとするのだろう。
 高い口笛が聞こえてきた直後、嬉しそうな高い声が響いた。

「なーんだ! デンジさんってニートって聞いてたからどんな人かと思ってたんですけど、かっこいいじゃないですか。見かけ倒しじゃなくてよかった」
「ちょっと待て。オレがニートだとそんなでたらめ誰から聞いた」
「レインさん」
「は?」
「が通訳したシャワーズ」
「っ」
「は、オーバさんがそう言ってたって」
「アフロ。てめぇ……」
「ちょ、ちょっと待て待て! ライチュウが入ってるボールをしまえ! 謝るから! 電撃も地上に降りてから受けるから! 今は止めてくれぇぇ!」

 オレは嫌みったらしく舌打ちをして、ライチュウが入ったモンスターボールを腰に戻した。あいつはナギサシティに戻ってから雷の刑だ。
 いつの間にか、空は分厚い雲に包まれていて、今にも雨が降り出してしまいそうな天候となっていた。
 決戦の地。テンガン山まで、あと少し。





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