148.籠の中に囚われた雨


〜HIKARI side〜

 エムリットが見せた映像は、あたしがワープパネルに乗った直後のものだと思われる、レインさんとアカギの会話から始まった。

『エムリット……』
『処分するなんて……』
『それにしても……』
『……関係なくなんか……』
『ほう……』
『ポケモンと人間は……』
『ふん……』

 アカギがマニューラを繰り出して、二人のバトルが始まった。あたしはアカギのバトルを初めて見たけれど、一つの組織を統率する立場にいるだけあって、一般トレーナーの域を越える強さを感じられた。
 レインさんはアカギに、必死に食いついて戦っていた。相手を瀕死にしてはさせられ、また別のポケモンを出して。これの繰り返しだ。
 アカギはクロバット出した直後、微かに口角を上げた。

『おもしろい。そして興味深い』
『っ』
『その力の源は、ポケモンへの優しさと言うわけだ。……もったいない。そんなものはまやかしだ』
『まや、かし?』
『そうだ。見えないものは揺らぎ、消えてしまうものなのだ。死んでしまえばなくなるものだ。だから、わたしは全ての感情を殺した』

 クロバットが、その大きな翼でシャワーズに攻撃を仕掛けた。シャワーズが避ければ、攻撃は本棚に当たり、中身がバサバサと床に落下した。
 バリン。大きな音を立てて花瓶が割れた。アカギはそんなことを気にもとめず、足下に散らばったバラの花を革靴の底でグシャリと踏み潰した。

『……まあ、いい。きみとはわかりあえないだろう。ただ、先ほど言ったように興味はある。そう、シンジ湖で会ったときからだ』

 レインさんは、ハッと目を見開いた。

『きみに一つだけ質問がある』
『え?』
『先ほど、きみはもう一人の少女を先に行かせるために、わたしに攻撃を仕掛けてきたな。少女が駆け出したのはほぼ同時だった。その合図はいつ決めていた?』
『!』
『きみたちがこの部屋に入ってから、言葉を交わした様子もなければ、目を合わせてもいなかった。ならば、いつだ? 部屋に入る前とは想像しがたい。わたしがここにいることも、この部屋にワープパネルがあることも、実際に入ってみなければわかるはずがない。エスパータイプのポケモンなら可能かもしれないが』
『それ、は』
『目も合わせず、言葉も出さず、合図も送らず、きみはどうやって彼女に先へ行けと伝えた?』

 アカギの放つ言葉が、レインさんの逃げ道を一つ一つ塞いでいく。攻め寄られるレインさんを、デンジさんは目を逸らさずに見ている。

『まるでどちらかが、それこそ超能力か何かを持っていて、相手に自分の意志を伝えたかのようだ』
『っ』

 核心を突く言葉に、その場にいないあたしですら心臓が震えたのだから、レインさんにかかっていた圧力は相当なものだったと思う。
 氷のような眼差しと、刃のような言葉で、精神をズタズタに引き裂かれ、追い詰められる。それでも、レインさんは沈黙を守った。耐えるようにぎゅっと噛んだ唇が赤く腫れて、痛々しい。
 口を割らないレインさんに、アカギはとうとう苛立ちを見せた。

『クロバット。ちょうおんぱ』
『きゃあああ!』

 あたしの左隣で「レイン!」と赤い髪の人が叫んだ。クロバットはシャワーズではなく、レインさん自身に直接攻撃を仕掛けたのだ。至近距離からのちょうおんぱに、モンスターボールの開閉スイッチにはヒビが入ってしまった。レインさんは耳を押さえながら、目を見開いた。これではもう、中にいるポケモンたちを呼び出せない。
 シャワーズの高い鳴き声が響いた直後、クロバットにれいとうビームが当たった。ちょうおんぱでの攻撃は止んだ。けれど、レインさんはその場にガクリと膝を突いてしまった。瀕死寸前のクロバットに代わって、アカギさんはドンカラスを繰り出した。

『答えろ』
『っ』
『わたしの予想が正しければ、きみは』

 そのとき、レインさんの手のひらから青白い光が放たれた。それはレインさんとシャワーズを囲むバリアのように光り、膜を作っている。ドンカラスは膜を破ろうと鋭い嘴で攻撃を始めた。レインさんは小声で、シャワーズに命じた。

『シャワーズ。とけるを使って、そこに倒れている花瓶の水に扮すのよ』
『シャワ!? シャワー!』
『今の私たちじゃ勝てない。この状態じゃきっと逃げられない。だから』
『シャワワッ!』
『言うことを聞いて。貴方だけが頼りなの。ここから逃げて、誰かにこのことを伝えて……っ』

 モンスターボールが壊されてあとがない。シャワーズ一体で、卑劣な攻撃をしてくる相手にどこまで食いついていけるかわからないと考えた上での判断だったのでしょう。レインさんは自身を犠牲にするのではなく、逃げられる可能性があるシャワーズを逃がすことで、誰かに助けを求めようとしたのだ。
 シャワーズが戸惑っている間も、ドンカラスの攻撃は絶え間なく続いている。次第に、青い膜にヒビが入ってきた。レインさんの額に汗が滲んでる。彼女の限界は、近い。
 とうとう、シャワーズは自らの体の輪郭を弛め、とけるを使って水に扮した。視界は固定され、レインさんを見上げる形になった。
 その直後、バリアは破られた。レインさんはその場に崩れ落ちて、荒い息を細かく吐き出した。アカギさんが足早に彼女へと近寄ると、その細い腕を掴んで無理矢理に立たせた。

『あの光はシャワーズを逃がすための目くらましか。……しかし、これで確信した。やはり、わたしの勘は間違っていなかった』
『痛……っ』
『きみはあのときの、波導使いの末裔の少女だったのだな』
『やっ』
『十年前、死んだとばかり思っていたが……今度こそ逃がしはしない。わたしの計画に協力してもらおう』

 この辺りは、何を言っているのかあたしにもわからない。でも、さっきレインさんが出した力を、アカギが欲していることは読みとれる。
 ここから先の映像は、正直見ていられなかった。アカギはクロバットに、もう一度ちょうおんぱを命じた。耳を塞ぎたくなる不快音がこちらまで届いているのだから、レインさんが聞いている音は壮絶なものだったと思う。鋭い音が鼓膜に刺さり、脳をかき混ぜて、精神を蝕んでいく。
 レインさんの絶叫が木霊した。目の隅からは、狂ったように次々と涙が落ちていく。あたしの隣で、赤い髪の男の人が顔を背けたのがわかった。拷問に近い映像だ。直視できなくなったんだと思う。あたしも最初は見られなかった。
 でも、デンジさんは一度も目を逸らさなかった。視線をそこに固定されたかのように、一度も動かず、視線を揺らがず、ずっと映像を見ていた。
 レインさんが精神を狂わされていく。焦点の合っていない目は虚ろで、断末魔のような悲鳴が次第に弱まっていく。でも、最後の最後に力を振り絞って、レインさんは薄い唇を開いた。

『たす、け……でん……じ……く……』

 そう呟いて、レインさんは意識を手放した。力の抜けた体をアカギは片手で支え、相変わらず冷たい目で彼女を見下ろした。

『わたしはポケモンをパートナーとしない。他のギンガ団のように道具にもしない。わたしはポケモンの力をわたし自身の力とする。それは、人間の力も同じだ』

 アカギはレインさんを抱えたまま、ドンカラスに飛び乗った。そのとき、レインさんの壊れたモンスターボールとシャワーズが入るべき空のモンスターボールは、邪魔だというように投げ捨てられた。

『行くぞ。テンガン山だ。新しい世界を生み出すのだ』

 ドンカラスは割れた窓から空へと飛んでいった。それから少し経ってから、あたしが部屋に戻ってきてシャワーズを発見し、そこで映像は終わった。
 エムリットはシャワーズの記憶を映像化し、デンジさんたちに見せたのだ。あたしがこれを見るのは二度目。だいぶ落ち着いて見られるようになったけど、ショックは消えない。

「レインさんは、ギンガ団のボスであるアカギに連れ去られてしまったんです」

 あたしがここまで来た理由。それは、レインさんが最後の最後まで助けを求めていたのが彼――デンジさんだったから。
 デンジさんは何も言わなかった。一言も発さずに、映像が映し出されていた壁を茫然と見ていた。

「お願いします。一緒に、レインさんを助けてください」

 クロガネシティで、デンジさんと電話していたときの、レインさんの嬉しそうな横顔が、あたしの中で消えない。





- ナノ -