145.瞬く間に崩れた現実


〜HIKARI side〜

 ワープパネルで飛ばされた先は薄暗い研究施設だった。そこには様々な機械や薬品が並んでいて、妙な音と臭いが充満している。白衣を着ている人たちがちらほらいるけれど、誰もあたしに構わない。みんな青い顔をして俯いている。

「ううっぷ……今回の実験は……アカギ様に……ついて行く自信がなくなってしまった……」
「うう……気分が悪いわ……。作り出されたあれ……いったい何に使うのかしら」

 通路の脇に一定の距離ごとに置かれているカプセルには緑の液体が充満し、その中にグロテスクな何かが浮いている。……吐き気がする。こんなところにいて、今まで気が狂わなかったほうが奇跡だとあたしは思う。
 喉の奥から込み上げてくる苦味を堪えて、先に進んだ。脇をあまり見ないようにして研究施設を走り抜けていくと、再奥に巨大な装置を見つけられた。
 機械に設置された三つのカプセルの中にはそれぞれ、アグノム、エムリット、ユクシーが閉じ込められている。目を閉じ、尻尾を引き攣らせ、体を震わせながら力なく鳴いている。
 あたしは体中から怒りが込み上げてくる感覚を覚えた。その矛先は、機械の前にいる二人へと向けられる。リッシ湖にいたサターンと、発電所にいたプルートだ。サターンはあたしを見て微かに驚愕の色を見せた。

「おまえ……ポケモンを助けるためにわざわざここまで?」
「それ以外に、こんな悪趣味な場所に来る理由はないわ」
「……いつものことながら、ボスの考えはわからない。なぜ、こんな子供を自由にさせておくのか……?」
「早くその子たちを出してあげて! 苦しそうじゃない!」
「……わたしたちギンガ団は必要なものを独占し、いらないものは捨てるだけ。もう用なしとなったこいつらを逃がしても構わないが……ギンガ団なりの持て成しをしよう」

 サターンはモンスターボールを手にとって、剣で刺すようにあたしへと突き出した。

「それに、湖でやられたそのリベンジもあるしな! ゴルバット!」
「エルレイド! サイコキネシス!」

 ゴルバットを上回る駿足で、エルレイドは間合いを詰めて、間近でサイコキネシスを放った。効果は抜群。ゴルバットは一撃で戦闘不能だ。

「くっ! ドーミラー行ってこい!」
「ミミロップ!」

 サターンはシャドーボールを放つように命じた。思わず笑ってしまう。ノーマルタイプと格闘タイプに、ゴースト技は効果がないというのに。ポケモンに触れてまだまだ日が浅いあたしでも理解していることだ。
 こいつらは、ポケモンを本当に戦いの道具としか思ってなくて、彼ら自身にはきっと興味すらないのだ。ミミロップはシャドーボールを突っ切り、自慢の脚力で高く飛び上がった。

「にどげり!」

 まずは一度、重力が加わり威力が増した左足ストレートが叩き込まれる。間を入れずに右足で同じ場所を回し蹴れば、ドーミラーの表面に小さくヒビが入った。

「くっそー! ドクロッグ!」
「ポッチャマ! 行くわよ!」
「かわらわり!」
「避けるのよ!」

 許せない、許せない、許せない。ポケモンはあたしたちのために戦って、生活を助けてくれる大切なパートナーなのに。彼らをただの道具としか思っていないこいつらが、許せない。

「ハイドロポンプ!!」

 圧倒的な水圧を放出し、ドクロッグを押し潰す。サターンが次のポケモンを出す気配はない。あたしたちの勝利だ。

「強い! だが、哀れだな」
「退きなさい!」

 サターンを押し退けて機械に駆け寄る。なんだかよくわからないボタンがたくさんあったけど、目立ったボタンが三つあったのでそれらを押してみた。ビンゴ、だった。
 湖のポケモンを閉じ込めていたカプセルが開いて、三匹が宙に解き放たれ、姿を消した。エムリットがあたしのほうを向いて、笑いかけてくれたような気がした。

「ギンガ団が子供に負けるとはな……ギンガ団の未来も心配だのう……。アカギの言っていたテンガン山頂上での作戦もうまく行くのかどうか」

 嗄れた声が聞こえてきたので、あたしは勢いよく振り向いた。

「あんたたち、あの子たちを使って何をしていたの!?」
「……ボスは三匹の体から生み出した結晶で赤い鎖を作り出した」
「赤い鎖? 何よ、それ」
「テンガン山で何かを繋ぎ止めるために……そして何かを生み出すために必要なものらしい……」
「何かって」
「知らん。ボスがテンガン山で何をするのかすら、わたしも知らないのだからな」

 敗北を認めたのか、サターンとプルートはそれ以上何もしてこなかった。
 エムリットたちは助け出した。でも、これで終わりじゃない。肝心なことがまだ解決していないのだ。
 アカギはテンガン山で、いったい何をしようとしているの? 赤い鎖を持って……何かを繋ぎ止め……新しい何かを生む……?
 さっき、演説でアカギが言っていた言葉から考えると、新しく生まれるもの――それは宇宙だ。そんなことが本当に可能かわからないけれど、可能だとしたら、何を繋ぎ止めて力を得るというの?
 なんだか嫌な予感がする。……この部屋を出よう。気分が悪い。……そうだ。

「レインさん!」

 アカギと同じ部屋に残した、彼女は無事だろうか。あたしは来た道を急いで戻り、ワープパネルに飛び乗った。
 すぐに、アカギの書斎が目の前に現れた。そこには、アカギも、レインさんも、いない。二人がバトルをした痕跡はあった。本棚からは本が雪崩落ち、机と椅子はグシャグシャになっているし、花瓶は倒れて割れている。二人の姿だけが、ない。
 右足に何かが当たった。モンスターボールだった。一つではなかった。床には六つのモンスターボールが転がっていた。そのいずれも、開閉スイッチが壊されている。顔を近付けて中身を覗き込むと、あたしの悪い予想と全て一致するポケモンたちが入っていた。
 憤っているランターン。恐怖さえ感じるほど冷静なジーランス。悔しさに唇を噛んでいるトリトドン。落ち込んでいるミロカロス。泣き喚いているラプラス。そして、最後のモンスターボールの中身は空だった。
 消えたレインさん、壊されたレインさんのモンスターボール、いなくなったシャワーズ。いったい何があったの? 自分を落ち着かせようとしても、どうしても、指先が震える。

「……レインさん……? レインさん!」

 そのとき、視界の端で何かが動いた。反射的に体ごとそちらを向き、ポッチャマを構えさせた。
 動いたのは、倒れた花瓶から零れる水だった。床に散らばったそれは、まるで念力で操られているかのようにぶくぶくと集まって、盛り上がる。頬を冷たい汗が伝った。
 水が何かの形に形成されていく。四本の足、長い尻尾、鰭のような耳。それはあたしの知る生き物だった。

「シャワーズ!?」

 現れたのはレインさんのシャワーズだった。恐らく『とける』を使って、水に紛れていたのだろう。
 シャワーズはあたしの姿を確認すると走り寄ってきて、わんわん泣き出した。とたんに、ポッチャマの目付きが変わった。

「シャワァ、シャ、シャワー」
「ポチャポチャ! ポーッチャ! チャマー!」
「ええーっ……何言ってるの? 何かあったの?」
「ポッチャマーッ!」
「わかんないわよ……」

 あたしにはレインさんのような『力』はない。この子たちが言ってることを理解できない。ここで何が起きたのか、知る術はない。
 唇を噛んでいたそのとき、高い鳴き声が聞こえた、直後。宙からピンク色のポケモンが踊るように現れた。エムリット、だ。

『悲しい、苦しい、悔しい。ここは、負の感情でいっぱい』
「!」

 エムリットの言葉を理解できたことに、あたし自身衝撃を受けた。でも、この子は伝説のポケモンだ。少し冷静になって考えてみると、言語を人間に合わせることくらい容易なことかもしれないと予想がつく。

「エムリット! あたしの仲間がどこにもいないの! 傷付いたポケモンたちばかり残ってて……あたし、どうしたら……」

 エムリットは小さな両手をシャワーズの頭に当てた。エムリットの額にある赤い石が煌めき、そこから放たれた光が壁にスクリーンを作り出し、映像が映し出された。
 あたしはそれを見て、ただ愕然とすることしかできなかった。シャワーズのように泣くこともできず、モンスターボールを揺らすランターンのように激情を表すこともできず、映し出された映像を信じることができなくて、ショックの余りにただ途方に暮れていた。



Next……ナギサシティ


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