144.新世界を望む理由


 その部屋は、書斎のような部屋だった。本棚に並んでいるのは天文学、生物学、科学、機械工学と思われる分厚い本ばかり。部屋の中央には広々とした机と、ずっしり身を沈めることのできる椅子がある。窓はトバリの街並みを悠々と見下ろすことができる広さだ。
 そんな部屋の中心に、アカギさんはいた。まるで私たちが来ることを予測していたように、突然部屋に入ってきた私とヒカリちゃんを見ても驚きすらしなかった。

「……来たか。先ほどの演説、聞いていたな」
「あんた! いったい何をしようとしてるのよ!?」
「威勢のいい小娘だ……フフフ。あれは嘘だ」

 思わず呆気にとられる。大勢の部下を前にして、あれだけ高らかと宣言していたものが、嘘? アカギさんは薄く笑った。

「もちろん、わたしは新しい世界を生み出す。だが、それはギンガ団のためではない。わたしはわたしのためだけに、新しい世界を望むのだ」

 これが、一つの組織の頂点に立つカリスマの真の姿。全ては自分のためだけの行動。部下たちが流す汗も、ポケモンたちの忠誠も、今まで傷付いた人たちの血も、なくなった命も、彼は何とも思っていない。自己中心的な望みを持つ、ただの野心家だ。彼を止めなくちゃ。そして、湖のポケモンたちを助けなくちゃ。
 ヒカリちゃんがアカギさんに噛みついているうちに、私は目を伏せて、この部屋中に波導を巡らせた。修行を積んで日が浅い私は、ゲンさんや彼のルカリオのようにシンオウ全土まで波導を張り巡らせられないけれど、このビル全体……ううん、この部屋の構造が漠然とでもわかれば充分だ。
 アカギさんの背後にある机を挟んだ部屋の奥に、あのワープパネルがある。それがどうも怪しい。今まで辿ってきたどのパネルにも繋がっていない。ということは、あの先に新しい道が開けていると考えられる。入り口の脇にももう一つワープパネルがあるけれど、それはビルの入り口に繋がっているみたいだ。
 私は意識を集中させて、ヒカリちゃんに向けて波導を飛ばした。鋼鉄島での修行によって、私の『力』、波導はポケモンだけでなく人へも有効になったのだ。彼女は一瞬だけ体をビクつかせたけど、すぐに平静を取り戻して、私の言葉に耳を傾けた。(私が彼の気を逸らすから、その間に部屋の奥にあるワープパネルに乗って)と。

「そうでなければ、完全な世界はあり得ない。なにしろ、ギンガ団の連中は揃いも揃って役に立たない、不完全な奴ばかりだからな」
「っ、シャワーズ!」

 シャワーズがアカギさんに向かって突進していく。それと同時に、ヒカリちゃんは走り出した。彼のマニューラが飛び出してきて、シャワーズの攻撃を受け止めた頃には、ヒカリちゃんはワープパネルに乗ってこの部屋から姿を消していた。
 出し抜いた。ヒカリちゃんは、きっと湖のポケモンたちを助けてくれる。あとは、私がここをどう乗り切るか……。
 唾を飲み込み、アカギさんと正面から向き合う。彼はヒカリちゃんが消えたワープパネルを一瞥し、他愛もないというように嘲笑した。

「エムリット、アグノム、ユクシーを助けに行ったか。あのポケモンたちはもう必要ない。きみたちが引き取ってくれるなら処分する手間が省ける」
「処分するなんて、そんなこと……!」
「それにしても」

 プラスチックの色をしたその瞳で、哀れみを含んだ声色で、アカギさんは私を打ち抜いた。

「きみには呆れたよ。そもそも、あのポケモンたちときみは関係ないのだろう? なのに、可哀想という下らない感情のため、助けに来るとは愚か過ぎる」
「……関係なくなんか、ありません」
「ほう?」
「ポケモンと人間は、助け合い支え合って生きているんです。どちらかが欠けてしまってはきっと悲しい。だから、直接は関係がなくても、同じ世界に生きる種族同士、助け合うのは当然だと私は思うから」
「ふん。心という不完全なものが感じる哀れみや優しさ、か。そんな曖昧なものに突き動かされここに来たことを、わたしが後悔させてあげよう」

 戦いの鐘が、静かに鳴り響いた。





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