140.君の面影を抱きしめた


〜DENJI side〜

 ジムの営業時間ギリギリに起きて、寝ぼけ眼でジムに向かい、機械をいじりつつ、たまに来る挑戦者と戦い、定時にはジムを閉めて家に帰り、日付が変わるまでまた機械いじりに明け暮れ、深夜に眠り、また仕事ギリギリに起きる。
 この繰り返しの毎日だ。オーバからはどこのニートだと言われたが、これが最近のオレの体内時計で一番いい時間に設定されているから仕方ない。というか、オレはジムリーダーとして働いてる。断じてニートではない。
 レインがいないということ以外、オレとしては快適で不自由ない生活だが、どこか満たされない日々だった。ナギサシティの停電はとっくに復旧したが、しばらくジムの改造は禁止で細々とした機械いじりしかできない。相も変わらずオレまで辿り着く挑戦者は来やしない。一般トレーナーのレベルも落ちたもんだ。嘆かわしい。
 味気ない毎日。退屈な毎日。嗚呼、非凡が欲しい。強い奴と戦いたい。追い込まれるようなギリギリのバトルがしたい。
 ヒョウタでもしょうぶどころに呼び出して戦おうかとぼんやり思ったとき、ポケットの中のスマホが震えた。オーバから電話のようだ。憂鬱なオレの心情を知りもしないオーバは、いつものように耳につんと来るデカい声で話し出した。

『よっ!』
「なんだ?」
『いい話だぜ! そんなにやる気ない声で聞くなって!』
「いい話かどうかはオレが決める。なんだよ」
『実はな、リーグの上層部が次の四天王にデンジはどうかって言ってるんだよ』

 思わず目が点になる。オレに、四天王にならないか……だと? しかも、リーグのほうから指名なんて今まで聞いたことがない。いや、前にもぼんやりとそんな話をもらったが、まさか本決まりになるなんて思わなかった。
 強い奴と戦いたい。非凡が欲しい。さっきまで散々そんなことを思っていたオレだ。もちろん、この話には惹かれている。しかし、逆に戸惑っているのもまた事実だった。

『普通なら四天王になるには俺みたいに志願して試験を受けるんだけどな。こんなこと滅多にないぜ!』
「ああ……」
『なんだよ。乗り気じゃねーな。給料も上がるし待遇もよくなる。んでもって、滅多には来ないが確実に強い奴とも戦える! いいこと尽くしじゃねぇか』
「わかってる」
『デンジ。おまえ、自分の実力がジムリーダーの枠に収まり切れていないことくらい気付いてるだろ?』
「はっ。今日はおだててくるじゃないか」
『や、真剣な話だよ。はっきり言って、ジムリーダーとしておまえは強すぎる。ナギサジムの壁が厚すぎてリーグへのチャレンジャーが少ないからデンジを四天王に、ってのも理由の一つらしいぜ』
「……」
『はー。本当にどうしたんだよ? おまえなら二つ返事で了承すると思ってたのに。こっちからの指名なんだから、試験だってあってないようなものだぜ?』

 いい話だとわかってる。しかし、それと同じくらいの躊躇いがオレの中にあり、その躊躇いの理由にも気付いている。
 シンオウリーグはナギサシティより北海の遙か向こうにあり、滝を登り険しいチャンピオンロードを越えた先にある。聞くところによると四天王は、忙しいときはリーグに泊まり込みだが、オーバは基本的にナギサシティからフワライドに乗り出勤している。
 だが、オレが四天王になるとすれば、通勤手段がないのでリーグに移り住むことになるだろう。海を渡れるポケモンはいるが、そこから毎回チャンピオンロードを越えて通勤していては、気力が持たない。
 オレが四天王になる、イコール、ナギサシティを離れる、のだ。なんだかんだで、オレは生まれ育ったナギサシティが好きだ。住民と触れ合えるジムリーダーという仕事も好きだ。できるならここを離れたくない。それに……。

『まさかおまえ、レインと会えなくなるから躊躇ってる、とか言うんじゃねぇよな?』
「……」
『……マジ?』

 電話の向こう側で絶句した様子が伝わってきた。肯定はしなかったが、オーバの言っていることはおおかた正解だった。さすがは腐れ縁。オレのことをよくわかっている。

『そんなにレインと離れたくなきゃさっさと告白しろ! んで、プロポーズでも何でもしてついてきてもらえ!』
「簡単に言うな! できたらこんなことになってないだろ!」
『そりゃそうだな。はぁ〜。とにかく、俺は伝えたからな。よく考えてみろよ?』
「ああ。わかった」

 スマホを切り、上着のポケットにつっこんだ。それを見計らったかのように、このナギサジムに設置されている電話が鳴る。電話機が置いてあるのは、一番最初の仕掛けの部屋と、休憩室と、ここジムリーダーと戦うバトルフィールドだけだ。
 ジムの至る所に設置されているカメラの様子が映し出されている、巨大モニターを見上げる。休憩室には誰もいない。ジムの最初の部屋にいるアドバイザーはトレーナーにアドバイス中だ。どうやらオレが電話に一番近いらしい。
 こういうのは下っ端がとるものだぞ、と密かに毒づき、オレはキッサキシティポケモンセンターからの電話をとった。

「!」

 その瞬間、オレはもう少し早く電話に出なかったことを、少しだけ後悔した。ジムに電話をかけてきたのがレインだったからだ。モニターに映し出されたレインの姿が久し振りすぎて、一瞬だけ息が止まった。

「……レイン」
『デンジ君』
「なんだか……顔を見るのは久しぶりだな」
『ええ』

 うっすらと笑みを浮かべたレインは、少しだけ逞しくなったような、大人びたような、そんな雰囲気を感じられた。キッサキシティまで行けるほどの実力があるのだ。オレの知らないところで、強くなったんだな。
 しかし、いつもはオレのスマホへと直接連絡をしてくるのに、今回はどうしたのだろうか。

『あのね。その、デンジ君にお願いがあるの』
「オレに? どうしたんだ?」

 聞き返したところで、モニターの半分くらいに青い生き物が入ってきた。確か、リオルとかいうベイビィポケモンだ。しかも見た感じ、このリオルは生まれて間もない印象を受ける。

『この子をしばらく預かっていて欲しいの』
「リオルか。また珍しいポケモンを捕まえたな」
『ええ。人からもらったタマゴからこの子が孵ったの』
「まだ本当に赤ん坊みたいだな」
『そうなの。だから、一緒に連れて回るのは少し厳しいところがあるかなって。どこかに預けることも考えたけど、まだ赤ちゃんだから可哀想で。……デンジ君、忙しいと思うけど』
「いや。オレは構わない」
『本当。じゃあ、今から転送しても大丈夫?』
「ああ」
『ありがとう』

 そのためにポケモンセンターからジムにかけてきたのか、と納得した。
 オレは転移装置の電源を入れた。パソコンがチカチカと動き、モンスターボールに入ったリオルが転送されてきた。すぐに中から出してやると、リオルはオレの顔を見上げてこてんと首を傾げた。

『あなたがデンジさま?』
「! こいつ、喋るのか!?」
『リオルは波導で人の言語を理解できるらしいの。波導を使えないと人間はリオルの言葉がわからないらしいけど、この子は人間に波導を合わせられるみたいだから、会話できるはずよ』

 そういえば、たまにしょうぶところに来る青スーツの男――ゲンのルカリオも、人と喋っていた気がする。しかし、スモモやチャンピオンのルカリオが会話をしているところは見たことがない。このリオルと、ゲンのルカリオが、特別なのだろうか。

『リオル。デンジ君の言うことをしっかり聞くのよ。迷惑をかけないようにね』
『はい。レインさま』
『デンジ君。よろしくお願いします』
「ああ。任せとけ」
『じゃあ……』
「待てよ」

 用件だけで通信を切ろうとするレインを引き留めた。

「旅は終わりそうか?」

 オレが一番気になっている問いを投げかける。レインは一瞬だけ目を見開いて、口を開いた。

『……もう少ししたら、ナギサシティに帰ってくるわ。そのときに、全部報告するわね』
「そうか。順調なんだな。それならよかった」
『……デンジ君』
「ん?」

 アイスブルーの瞳にじっと見つめられる。レインは何か言いたそうに唇を動かしたが、躊躇いのあとにようやく言葉となった。

『あの、私の名前を、呼んで欲しいの』
「名前を?」
『そう』
「……どうしたんだ?」
『あっ、変なことを言ってごめんなさい。でも、どうしてもデンジ君に呼んで欲しくて……私……』
「別に、名前呼ぶくらい簡単なことだ」

 オレが贈った、彼女の名前。

「レイン」

 その名を口にするだけで、どこか優しい気持ちになれる。オレ自身の表情さえも、柔らかくなる気がするんだ。

「会ったら直接いくらでも呼んでやるから、早くナギサに帰って来いよ。レイン」
『デンジ君……そう。私はレイン、レイン……ありがとう』

まるでまじないのように繰り返し呟いたあと、レインは通信を切った。モニターには先ほどのように、ジム内の映像が映し出されている。
 オレはリオルを両手で抱き上げた。種族の平均より、こいつの体格はずいぶん小さい。しかし、今はまだ幼くても、鍛えればそれこそどこまででも強くなれるであろう実力を秘めていることが、感じられた。

「おまえの主人、様子がおかしかったな。何かあったのか?」
『レインさま。さっきジム戦が終わったばっかりなんです』
「そうか。疲れていたのかもしれないな」

 くしゃくしゃと頭を撫でてやると、リオルは嬉しそうに目を閉じて、頬をオレの手のひらにすり寄せてきた。可愛い。それに、大人しいし礼儀正しいし、いい子だ。どこかレインに似ている気がして、思わず抱きしめた。
 オレはこのとき、レイン本人の異変に気付いてはいたが、リオルのほうに気がいっていて深くまで考えていなかったんだ。レインが悪の集団との戦いに巻き込まれようとしているなんて、これっぽちも気付かずに、彼女がオレを信頼して預けてくれたリオルを、ただ抱きしめていたんだ。



Next……ギンガ団アジト


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