137.知恵の欠失


〜HIKARI side〜

――エイチ湖――

 電話越しにレインさんから悲しい結果を聞いた。シンジ湖のポケモンも、ギンガ団に捕まってしまったらしい。これからレインさんたちもこちらに来るということを聞き、あたしは電話を切った。
 電話をしている間、あたしの口からはずっと、白くなった二酸化炭素が吐き出されていた。ここは寒さで有名なシンオウ地方の最北の地。辺り一面銀世界……と言えば聞こえはいいけれど、現在のエイチ湖は吹雪いていて美しいどころの話ではない。寒さで爪先まで凍り付いてしまいそうだ。
 あたしは、雪の先に微かに見える金髪を見つめた。ジュンはあたしに背を向けて、雪の大地に膝を付いている。あたしがここに来たとき、すでに勝敗は付いていたのだ。

 ――ドダイトス、ムクホーク、ギャロップ、フローゼル、カビゴン、ヘラクロス。ジュンの手持ちは全てが戦闘不能にされていた。彼の相手をしていたであろうギンガ団幹部は、薄く嫌らしい笑みを浮かべていた。

『ちくしょう! ギンガ団めっ!』
『ふぅーん。もう終わり? あなたのポケモンはまあまあでも、あなたが弱いのね。それでは、湖のポケモンを助けるなんてムリな話……ポケモンチャンピオンだって諦めたほうがいいわね。それにしてもここ、寒すぎるわ。トバリのアジトに戻りましょう』

 ジュンの横を通り過ぎたときに、幹部はあたしの存在に気付いたようだった。

『あら。あの子のお友達? あの子と同じように、ポケモンが可哀想とか下らないことであたしたちの邪魔をするのはやめてね。あなたたち子供がどう足掻いても、ボスが率いるギンガ団に敵うわけないのだから』

 そんな台詞を吐き捨てて、幹部はあたしの隣を通り過ぎ、エイチ湖を後にした。
 いつものあたしだったら言い返してる。追いかけて、あんたたちがしてることは間違ってるって叩きのめしてる。
 でも、今は足が動かなかった。項垂れるジュンの背中が痛々しくて、視線を逸らせなかったのだ。

「……ジュン」

 ジュンの肩がピクリと震えた。あたしがレインさんに電話していたときも微動だにしなかったのに。もしかしたら今ようやく、あたしの存在に気付いたのかもしれない。

「……」
「ジュンってば」

 雪を踏みしめて、ジュンの傍に歩み寄る。あたしはジュンの肩に手を伸ばそうとした。でも、指先が肩に触れる前にジュンは勢いよく立ち上がり、あたしのほうへと振り返った。

「そーだよ! ギンガ団相手に何もできなかったんだよ!」
「ジュン……あんたを責めてるわけじゃ」
「あのユクシーとかいわれてたポケモン、すごく辛そうだった……」
「……」
「おれ、強くなる……なんか、勝ち負けとか、そういうのじゃなくて、強くならないとダメなんだ……最強のトレーナーって、なりたいだけじゃダメなんだよ……何があっても折れない強い心を持たないと、守りたいものも守れない……」
「……うん。でも、その前に」

 あたしはジュンの手を取った。ガチガチに冷え切った手は爪が紫色に変色している。手のひらにはくっきりと爪の跡が付いて、血が滲んでいる。悔しかったと思う。歯痒い思いもしたでしょう。でもね。
 ――ハァッ。あたしはジュンの手に息を吐きかけた。

「何かを守りたかったら、まずは自分を大切にしなさいよ」
「……」
「まずは体を休めましょう。キッサキシティに行って、温かいものでも飲もう。ポケモンたちも回復してあげなきゃ。ね?」
「……ヒカリ」
「なに? ジュ……」

 ジュンはあたしに最後まで名前を呼ばせてくれなかった。彼はあたしを強く抱きしめたのだ。ううん、抱きつかれたというほうが正しいかもしれない。あたしの肩に顔を埋めて、ジュンは声を押し殺して、泣いているのだ。
 ジュンとあたしは幼馴染だ。怪我をして泣いたとか、怒られて泣いたとか、お互いの泣き顔なんて飽きるほど見てきた。でもあたしは、ジュンの悔し泣きを、初めて見た。悔しい、もう負けたくない、守ってやりたい、だから強くなりたい。そんな想いが、あたしにまで注がれてくるようだ。
 あたしはジュンの背中に腕を回そうとして、あることに気付いた。ああ。こいつの体って、こんなに大きかったんだ……って。こんな状況なのに、そんなことを頭の隅で思いながら、あたしはジュンの頭をぎゅっと抱きしめた。





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