134.悲劇の幕開け


 ミオジムを出た直後、久しぶりに会う、でも見知った顔に出くわした。ヒカリちゃんとジュン君だ。
 お互い動きが止まること数秒。ヒカリちゃんは私を指さして声を上げた。

「あ! レインさん!」
「やっぱりミオシティに来てたんだな!」
「ええ。何も言わずにカンナギを発っちゃってごめんなさいね」
「今、ジム戦を終えたんですか?」
「ええ」
「おれたちも昨日ようやくバッジをゲットしたんだ! 一度負けたんだけどな、鋼鉄島で修行したんだ!」
「本当? 私もずっと鋼鉄島にいたのよ。会わなかったわね」
「あそこ、地味に広いですもんね」

 その流れで二人が進む方角に従って歩いていき、ふと気付く。

「二人はどこに向かっているの?」
「図書館です」
「コウキからメッセージが来ててさ。ナナカマド博士がおれたちに話があるらしいぜ!」
「メッセージ……」

 そういえば…………ジムに入る直前にスマートフォンが鳴っていたことを思い出した。あのときは、ジム戦に集中するため、メッセージを見ずにマナーモードにしてバッグの中に戻したのだった。今の今まですっかり忘れていたわ。
 私はスマートフォンを開いて未読メッセージを確認した。確かにそれはコウキ君からのもので、今日の十時にミオシティ図書館の三階に集合するようにとのことだった。

「本当だわ」
「じゃあ、レインさんもあたしたちと一緒に行きましょう!」
「ええ。そうね」

 私は二度目となるミオシティ図書館に訪れた。初めて訪れたときと変わらず、本はぎっしりと本棚に並べられており、すでにたくさんの人がそこにいるのに図書館は静寂を保ったままだ。
 借りていた波導伝説の本を返し、私たちは三階へと上がった。そこにはすでに、ナナカマド博士とコウキ君がいた。そして、今し方来た私たち。私たち以外にこの階には誰もいなかった。
 挨拶をそこそこに交わして空いていた椅子に座ると、ナナカマド博士は大きく咳払いをした。

「うむ……そろったな。みんな、聞きなさい! おまえたち、ポケモン図鑑はちゃんと埋めておるか?」
「はい」

 返事をしたのはコウキ君だけだった。ヒカリちゃんの肩は小さく跳ねて、なぜか窓の外に視線を移した。

「……ヒカリは返事がないようだが」
「えぇーっと、ついジム戦に夢中になってというか。で、でも! 鋼鉄島で見つけた光の石でトゲチックがトゲキッスに進化しましたし! テンガン山で見つけた目覚め石でキルリアがエルレイドに進化したんですよ! 図鑑もばっちり!」
「ほう……レインはどうだ?」
「私はこの前、クレセリアという幻のポケモンに出会えました」
「なんと! 他には!?」
「えっと……あ、ダークライのデータも記入されています。あとはシェイミも……それから、この子」

 私はバッグの中で丸まっていたリオルを抱き抱え、机の上に座らせた。リオルはくわぁっと欠伸をすると、目をこすりながら自分をのぞき込んでいる人間たちを見上げた。
 リオルはまだ生まれたばかりの小さな子。見るものすべてに興味津々といった様子で、目をまん丸に開いた。

「リオル。ルカリオの進化前のポケモンです」
「さっきから気になってたんですけど、バッグから顔を出していたその子、生きてたんですね。ぬいぐるみじゃなかったんだ」
『……リオル、ぬいぐるみじゃないです』
「……えぇーっ!? ポ、ポケモンが喋った!?」
「この子は波導というものが使えて、それで人間の言葉がわかるし話せるのよ」
「すっげー!」
「可愛いー! でも、レインさん、その子でポケモン七体目じゃないですか? どの子か預けたんですか?」
「いえ……この子はまだ生まれたての赤ちゃんだし、戦闘にはまだ出さないから、連れ歩いてもいいかなと思って」
「うむ。問題ないだろう」

 ナナカマド博士の大きな手のひらに撫でられて、リオルは嬉しそうに目を細めた。

「おまえたちも、図鑑のことを忘れてはいなかったようだな。わたしは、ポケモンの進化について研究している。だか、研究すればするほどわからないことが増えていくばかりだ。進化するポケモン、進化しないポケモン。何が違うのか? 生き物として未熟なものが進化するのか。だとしたら、進化しないとされる伝説のポケモンは生き物としての完成系か? そこでだ。シンオウ地方にある三つの湖には幻のポケモンがいるとされていう。それを見ることができれば、ポケモンの進化について何かわかるかもしれん。おまえたちに頼む! 是非、幻のポケモンを探して欲しいのだ!」

 シンオウ地方の三大湖。シンジ湖。リッシ湖。エイチ湖。そこに眠るとされる幻のポケモン。エムリット。アグノム。ユクシー。
 カンナギタウンや本に語り継がれている神話は現実なのか、この目で見られるかもしれない。私は是非、神話として生きる幻のポケモンに会ってみたいと思った。
 しかし、普通なら一番に乗り気になると思われたジュン君は、なぜか不満そうに唇を尖らせている。

「なんだよ! おれはポケモン図鑑をもらってないぜ!」
「……渡す前に研究所を飛び出したのはどこの誰だというのだ」
「ジュン君……」
「まあよい! 色んなポケモンをその目で見るのも強くなるために大事なことだぞ」
「当然です! これでポケモン図鑑がさらに充実して、博士の研究も進みますね!」
「うむ! どっちにしろ行ってもらうがな!」

 ナナカマド博士は私たちを見回しながら、指を三本立てた。

「湖は三つ。おまえたちは四人。分かれて調査しよう! コウキはシンジ湖」
「わかりました!」
「ジュン。おまえはエイチ湖を頼む」
「エイチ湖っていったら、キッサキシティ付近にある湖ですよね」
「えーっ! あの辺ってすっごく寒いし険しい道って有名じゃない!」
「うむ。だから強いトレーナーに頼みたい」
「ま、まーな! なんだよじいさん、おれのことよくわかってんじゃねーの!? それに、そーだよ!」

 途端に機嫌がよくなったジュン君は、ヒカリちゃんを見ながら思い出したようにパチンと指を鳴らした。

「おれたち201番道路でポケモンをもらったお礼に、伝説のポケモンを捕まえるつもりだったんだぜ!」
「そういえば! 今の今まですっかり忘れてた」
「では、頼むぞ。そして、ヒカリとレインがリッシ湖だな!」
「はい!」
「わかりました」
「確か、トバリとノモセの間か……」

 そのとき、だった。遠くで何かがぷつりと切れるような、そんな波導を感じた。
 例えば、ヒビが入っていたガラスが粉々に砕けたような。例えば、星が一瞬だけ強く輝いたあとに燃え尽きたような。例えば、信じていた人に繋いでいた手をふりほどかれたような。
 そんな、強くて悲しい破壊の波導を感じ取った、刹那。

「……っ!?」

 大地や大気までも揺らす地鳴りが響いた。本が本棚から飛び出してバサバサと床に落ちていく。私はリオルとシャワーズを抱え込んでその場にうずくまった。幸い、本棚は倒れないように固定してあったし、ガラスも割れなかったからみんなに怪我はなかったみたい。
 それでも、指先の震えが止まらない。こんなに大きい地震は初めて……ううん。地震じゃ、ない。だって、さっき感じ取った波導は自然現象にしては異常だった。

「……止まったか。みんな、大丈夫か?」
「は、はい」
「なんだってんだよーっ!? つーか、テレビ! テレビっ! なんかニュース!」

 ヒカリちゃんと一緒に机の下に隠れていたジュン君は、床に落ちたリモコンを拾い上げてテレビを付けた。
 そのとき、リオルの房がふわふわと揺れた。

「レインさん、リオルが」
『悲しい気持ち、流れ込んできます。痛い、辛いって気持ちが、たくさん伝わってくるんです』
「……これが、波導よ」

 テレビでは早くもニュースとして先ほどの揺れが取り上げられていた。リッシ湖周辺にいたカメラマンが偶然その瞬間をカメラにとらえたのだ。
 テロップにはこう書かれていた。『リッシ湖で謎の大爆発。死傷者、そこに住むポケモンの安否は不明』

「じーさん! 謎の大爆発だってよ!?」
「うむう……なぜリッシ湖で……?」
「ナナカマド博士、とりあえず外に出てみましょう」
「うむ。おまえたち、気をつけて階段を下りるんだぞ! まだ揺れるかもしれん」

 怯えるリオルを宥めるように抱き抱えて、階段を下る。下の階も、その下の階も、崩れ落ちてきた本で床が散らかっていた。
 外に出ると、思った通り、街はざわついていた。

「……さっきの揺れは自然のものではないな」
「じいさん!! おれ行くぜ! なんかやばい気がするんだ! ムクホーク!」

 私が最後に見たときはムクバードだったポケモン――ムクホークを呼び出して、その背に飛び乗ったジュン君は風を切って北の蒼穹に消えた。風で吹き飛びかけた帽子を押さえながら、ヒカリちゃんが唸る。

「もう! ジュンったら! また飛び出して!」
「ヒカリちゃん、私たちも急いでリッシ湖に向かいましょう。ここまで響く爆音ですもの。それに、リオルが感じた波導……気になるわ」
「わたしたちもシンジ湖の様子を見たらそっちに行くからな」
「レインさん、ヒカリ。無理しないでね」

 私たちはこくりと頷いてみせた。ヒカリちゃんがエルレイドを呼び出して、いつものようにテレポートを命じる。
 視界が捻れ、再び正しく形成されたそこに広がっていたのは、荒野のように荒れ果てた残酷な景色だった。



Next……キッサキシティ


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