131.真実の鍵と悪夢の扉
ただ、何かが足りないと思ったら、今夜は月が出ていなかったのだ。ゲンさんの部屋のドアをノックしたときに、そのことに気が付いた。ベッドに腰掛けている彼の背後にある窓からも、月は見えなかった。
「ゲンさん。私、明日ミオジムに再挑戦してみます」
「そうか」
「今までありがとうございました。修行に付き合っていただいたり、波導の使いかたを教えていただいたり、お世話になってばかりで」
「こちらこそ。きみがいる間、美味しい食事を食べられて嬉しかったよ」
少しだ笑いあって、会話が途切れた。心臓がドクドクいってる。緊張する。でも、聞くなら今しかない。このときを逃したら、謎は一生謎のままになってしまう気がした。
「……あの、聞きたいことが、あるんです」
「なんだい?」
「この前、ギンガ団を退けるときに言いかけたことです」
「きみとわたしが、昔に出会っていたことがあるか?」
「はい……それに、私、ゲンさんとランターンがお昼に話していたことを、聞いてしまって……ごめんなさい」
「……」
「あの、私、ゲンさんのこともランターンのことも、何も覚えていなくて。あのときの様子じゃ、ランターンはきっと教えてくれないし、だから……」
私は必死に頭を下げた。過去の私を知りたい。生きてきた証を知りたい。ゲンさんやランターンといた過去があるなら、それも含めて全部を知りたい。ランターンは私が傷付くと言っていたけれど、それでもいいから、全てを。
「本当に」
「え?」
「わたしだけが覚えているんだね」
「……ゲン、さん?」
「最後まで、きみは思い出してくれなかったね」
私が顔を上げたとき、ゲンさんはいつものように微笑んでいた。でもそれはとても哀しい色をした微笑みで、私までズキリと胸が痛んだ。
ゲンさんの左手が私の右頬に伸びてきた。触れた指先が酷く冷たかった。
「わたしはずっときみのことを待っていたんだ。それこそ、この世界に生まれる前からずっと。奇跡的に生まれ変われたのに、また離ればなれになってしまった。それでも、ようやくこうして再会できたのに、きみは過去も前世も全て忘れてしまっているんだね」
「なに、を」
「きみにとっては、その程度の記憶だったのかい?」
ゲンさんが何を言っているかわからない。ただ、どうしようもないくらい哀しい波導が伝わってくる。
こんな顔をさせているのも、こんな気持ちにさせているのも、全て私だとしたら、私は彼に何をして詫びればいいのだろう。胸が痛い。でも、本当にわからない。
「あの、ゲンさん、私、本当に、何も覚えてなくて」
「……」
「だから、あの……っきゃ」
腕を引かれ、体が反転した。沈んだ場所がベッドだったので痛みはなかった。普段は見ない景色が目の前に広がっている。ゲンさんの黒い髪が、部屋の明かりで少し白く見えた。
こんなに近くにいるのに、私の体は火照るどころか冷える一方だ。手首を痛いくらいに掴まれて、私はそのまま押さえつけられていた。
「ゲン、さん」
「愛していると、ずっと一緒だと、言ってくれたのに」
「わた、し」
「そんなに、あの事件を思い出したくないのかい?」
「じ、けん?」
「それとも、わたしと過ごした記憶以上に、大切な者との記憶がきみの中にあるのかい?」
わたしの、たいせつな、ひと? デンジ、くん?
私の考えを見透かされたのかもしれない。ゲンさんは私の手首を掴む力を強めた。どこにそんな力があるのだろうと思うほどに、骨が軋んで折れてしまいそうだ。
その整った顔を近付けて、ゲンさんは私の目を射抜くように見つめた。
「――――」
息がかかる距離にゲンさんの顔があって、その唇が四文字の言葉を紡いだそのとき、頭に激痛が走った。まるで脳を何かにかき回されているようなドロドロとした痛みだった。
私は顔を歪めて声にならない声を上げた。それは、私にのしかかるゲンさんも同じで、苦痛に顔を歪ませて浅い息を繰り返している。
私と同じ痛みを味わっているであろう彼は、頭を抱え込みながら、私に覆い被さるように倒れてきた。頭が痛くて、いっそ割れてしまったほうが楽なんじゃないかと思う。
目尻を涙が伝ったとき、窓が見えた。月が見えない。今夜は新月だ。
私もゲンさんも、重なり合いながら悪夢の世界へと誘われていった。