129.月明かりに消える


 とある日の朝のことだった。いつも通り朝食の準備をしようとゲンさんより早めに起きたけど、今日はそれ以上にゲンさんのほうが早く起きていた。なにやら慌ただしく外出の準備をしているようで、モンスターボールの数を確認して腰に装着しているところだった。

「そんなに急いでどうしたんですか?」
「レインちゃん。至急、満月島に行く用事ができたんだ」
「満月島……に?」
「ああ。今日は修行ができないな。もしよかったら、一緒に来てもらいたい」
「はい。それは大丈夫ですけど」
「よし。では、行こう。船が来るよりもボーマンダで行ったほうが早いな」

 船が来るのも待たずに、私たちはゲンさんのボーマンダに乗って鋼鉄島を発った。
 空を飛ぶのは二度目だけれど、海の上を飛ぶのは正直、少し怖かった。でも、ゲンさんに後ろから抱き抱えられるように支えられていたので、落ちたらどうしようという気持ちよりも、ドキドキと煩い心音を隠すのに精一杯だった。
 そんな私の耳元で、ゲンさんは現状に至っている理由を話し始めた。

「知り合いの船乗りの息子さんが、前回の新月の日から悪夢の虜になって目覚めないらしいんだ」
「目覚めないって、どういうことですか?」
「ミオシティには昔から、悪夢にはまりこんで目覚めなくなる事件があったんだ。新月島に住むダークライの仕業だと言われている」
「ダークライ……」
「そこで今朝、トウガンさんから連絡があって頼まれたんだ。『満月島で見付かるクレセリアというポケモンの三日月の羽根があれば、その子は悪夢から目を覚ますらしい。そこで、ゲン。おまえに頼みたい。おまえの波導を使って三日月の羽根を探してくれないか』……ってね」
「クレセリアの三日月の羽根……」
「ダークライの力は強い。ダークライ自身が望まなくても、周りの人やポケモンに恐ろしい夢を見せてしまうんだ。ナイトメアという特性も持っているしね」
「聞いたことがあります。ダークライが悪夢を見せるのは、決まって新月だって」
「そう。だから、ダークライは新月島に一人でいるんだ。ダークライ以外は誰もいない。恐ろしい夢を見る者はいない。ダークライの力が一番強くなる新月を除いて」

 ダークライが悪いんじゃない。望んで悪夢を見させているんじゃない。自身の体質がそうさせているのに、悲しいポケモンだ。迷惑をかけないように森で孤独に耐えているのに、新月にはその力が制御しきれず拡大して他人に悪夢を見せ、忌むべき存在とされる。

「ダークライと対をなす、それがクレセリアだ。その羽根があれば、みんな悪夢から目を覚ます」
「そうなんですね……クレセリアはどこに?」
「満月島というところだよ」
「あ、あの島ですか?」

 前方に島が見えてきたので、私はそこを指さした。しかし、ボーマンダは上空を通り過ぎるだけで着地する気配を見せなかった。

「……いや。あの島は違うよ。今は人もポケモンも住んでいない無人の島だ」
「そうなんですね」
「……」

 そこから、私たちの間に会話はなかった。数十分で、私たちはクレセリアがいると言われている満月島に着いた。辺りに波導を張り巡らせれば、他とは明らかに違う異質な波導を感知することができた。

「あっちに何か強い力を感じるね。わかるかい?」
「はい。行ってみましょう」

 草木をかき分けて波導が導く方向へと進む。
 その先に、クレセリアはいた。一言で言うと、とても美しいポケモンだった。三日月の化身という名にふさわしい輝きと、そして気高さが感じられる。

「クレセリア。きみに頼みがある。ダークライの悪夢で目を覚まさなくなった子供がいるんだ。その子の為に、きみの羽根を一枚もらえないだろうか」

 ふわり。クレセリアは無言で、自分の羽根をゲンさんの手に落とした。「ありがとう」と彼が礼を言えば、そのまま立ち去るつもりなのか私たちに背を向けた。「待って」と、私は思わず話しかけていた。

「あの、人を悪夢から目覚めさせる力を持つ貴方なら、ダークライの力を和らげることができないかしら」
「レインちゃん」
「ダークライはみんなに悪夢を見せないようにずっと独りでいるの。でも、独りは、きっと悲しい。だから」
(大丈夫)

 頭の中に響いたのは、中性的だけれどどこか女らしさが感じられる柔らかい声だった。

(わたしはいつもダークライと一緒にいます。ただ、新月の日だけは、いくらわたしが傍にいても悪夢に負けてしまうけれど、新月が過ぎればまた悪夢は醒めるから)
「クレセリア」
(ダークライを責めないであげてください。もし、悪夢から目覚めない場合は、わたしの羽根をいくらでも差し上げますから)

 クレセリアはまた私の手に羽根を落として、今度こそ姿を消した。手のひらの上にある羽根に視線を落とす。金色に輝くそれは、三日月のような形をしていて、見る人が見れば一目でクレセリアのものだとわかる形をしていた。
 ふわりと頭を撫でられた。その手が誰のものか顔を上げなくてもわかったので、私はクレセリアの羽根に視線を落としたままだった。

「レインちゃんは優しいんだね」
「いえ……ただ、独りが辛いことを知っているだけです」

 自分の『力』が波導だとは知らなかった、まだ幼かった頃。異端の力であるがために、私は周りから孤立していた。でも、デンジ君だけはいつも傍にいてくれたから、私は少しずつ笑顔になれた。
 そう、たった一人でもいいの。誰かが居てくれれば、耐えられるから。
 私の言葉にゲンさんは「……そうだね」と、一言だけ返して再びボーマンダを呼び出した。私たちはそのままミオシティに向かった。このとき、次の日の夜にまた新月が巡って来ることに、私たちは少しも気付いていなかった。





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