127.波導の勇者
パラパラ、パラパラ。本のページがめくられる音と、静かな波の音だけが聞こえてくる。
窓辺で本を読んでいるのは主だ。空にはニャルマーの目のように細い月が浮かんでいる。開け放たれた窓からは気持ちがよさそうな風がそよそよとカーテンを、主の髪を揺らしている。
顔にかかった髪を耳にかけながら、主はモンスターボール内にいる自分に話しかけてきた。
「ジーランス。貴方、化石になる前に戦争を経験した……って、言ってたわよね」
(ああ)
「どんな戦争だったか聞いてもいい?」
そうか。今の時代に生きる主は戦争を知らないのか。それは幸せなことであるが、知るべきことではあると思う。あのような悲劇を繰り返さないよう、自分たちは語り継いでいかなければならないのだろう。
主が望むなら、聞かせよう。
(……愚かとしか言いようがない戦争だった。ポケモンも人間も、憎しみの心に支配され敵が尽きるまで戦おうとした。ポケモンは人間を殺し、人間もポケモンを殺した。ポケモンや人間同士が殺し合うことも当たり前だった)
「そんな……」
(人間もポケモンも愚かだったのだ。ただ、その中でただ一人、平和を願い立ち上がった男がいた)
「え?」
(自らの命と引き換えに戦争を終わらせた。後に波導の勇者と呼ばれた男だ)
波導の勇者という単語を口にした直後、主の目が大きく見開かれた。その視線を本に落とす。「……おとぎ話じゃなかったのね」と呟くと、主は本に書いて物語を語り始めた。
――数百年前、世界を分断する戦争が勃発した。その戦争を沈めたのが、波導の勇者と呼ばれた男だった。波導の勇者は自らの波導を使い切り、世界に癒しの光を降り注がせ、争いを止めたという。
それはまさしく、自分が体験した戦争だった。
「……この後ろ姿」
本の最後のページには、波導の勇者と思われる人物の後ろ姿が描かれていた。長いマント、特徴的な帽子、水晶のような石飾りを持つ長い杖。
自分と主が考えていることは同じだろう。顔は見えないのに、その雰囲気はなぜか、ある人物を思い出させるものだった。
「波導伝説の本かい?」
「っ、ゲン、さん」
声の方向へ振り向くと同時に、主はバタンと本を閉じた。主も、波導使いも、どちらも何も話さない。おそらく、互いにとって気まずいであろう沈黙ばかりに、数秒間支配されていた。
「レインちゃんも古代文字が読めるんだね」
「……ゲンさんも?」
その問いに、波導使いが浮かべたのは肯定にも否定にもとれない曖昧な笑みだった。
「本当の伝説を知りたくないかい?」
「本当の……伝説……?」
彼曰く『本当の伝説』を、波導使いは静かに話し出した。
――波導使いの男だけが英雄とされていたが、彼一人が世界を救ったわけではなかった。男の相棒であるルカリオと、男の弟子であり妻であった波導使いの女性、その相棒のリオルに支えられたからこそ、男は癒しの光を解放し世界を救えたという。
その結果、男は波導の勇者として後世に語り継がれることになったのだ。そして、彼らの体は世界のどこかで、未だ永遠の眠りに就いているというのだ。
「おとぎ話だよ。しょせんはね」
ああ。確かに、今の時代の人間にはおとぎ話と取られても仕方がない出来事である。しかし、おとぎ話だと、本当にそう思っているのならなぜ、お前はそんなに悲しそうに笑うのだ。