004.遥か遠い場所へ


「三人続けてか……一人一匹ずつで十分だな」

 目の前に立つ挑戦者たちを一目見て、デンジ君は言い放った。ジムリーダーを務めてきた経験から、相手を見ただけである程度の実力を測ることができるみたいだ。
 そうだとしても、一人につき一匹だけで相手をする、なんて宣言してしまったデンジ君を少しだけ心配してしまった。挑戦者だって、今まで七つのジムバッジをゲットしてきた実力者だ。易々と負けるわけがないのでは、と私はハラハラしていた。

「いくぞ。サンダース、こうそくいどう。そして、続けてチャージビームだ」

 でも、バトルが始まると、それは杞憂であることがわかった。デンジ君とサンダースは、相手のポケモンを次々に倒していく。デンジ君のバトルを少し見ないうちに、彼はまた強くなっていた。

「とどめだ、サンダース。めざめるパワー」

 相手に、攻撃させる隙を与えない。素早い動きで相手を翻弄して、チャージビームで攻撃しつつ、とくこうを上げていく。デンジ君がサンダースを使うときの主な戦い方だ。
 氷の刃を受けて、相手のカバルドンは戦闘不能になった。宣言通り、デンジ君は最初の挑戦者をサンダース一匹だけで下した。

「すごいね。相手はじめんタイプを持っていたのに」
「ブイブイッ!」
「めざめるパワーを覚えさせてたんだな。技をこおりタイプにすることで、苦手なじめんタイプだけじゃなくドラゴンタイプやくさタイプに対しても有利になるってわけか。腕上げたなぁ、あいつ」

 オーバ君の解説を、私は頭に刻み込んだ。私はポケモントレーナーではない。でも、孤児院を出ると決めた以上、ポケモントレーナーにならないわけにはいかなかった。
 この世界を旅するには、ポケモンという存在は必要不可欠なのだ。彼らのことをよく知って、せめて一人で生き抜いていけるくらいには戦えるようにならなきゃ。
 それにしても、デンジ君は本当に強くなった。彼だけじゃなくて、オーバ君も。
 カントー地方からやってきたイーブイも、二人はそれぞれサンダースとブースターに進化させている。私のイーブイもいずれ、姿を変えて別の生き物になるのかな。そう考えると、少しだけ、寂しい。
 私は腕の中のイーブイをギュッと抱きしめた。

「それで、オーバ君」
「ん?」
「私に用事ってなぁに?」
「……ちゃんと、聞きたいことがあったんだよ」

 デンジ君は次の挑戦者のために、ポケモンを変えた。サンダースに変わって、現れたのはレントラーだ。自慢の黒い毛を逆立てて、電気をバチバチと散らせば、それだけで相手は気圧される。
 始まった戦いから目を逸らさずに、オーバ君は呟いた。

「孤児院を出るのか?」

 一瞬、冷水を頭からかけたような感覚に陥った。
 どうして、オーバ君が知ってるの? だって、決意を固めたのはついさっきなのよ。母さんにだって、まだ話していないのに。
 相談をしている人はいたけど、彼女が人の悩みを他言するような人とは思えない。

「……誰から聞いたの?」
「うちのチャンピオン。知ったのは数日前だったかな」
「……」
「誤解するなよ。偶然、レインと電話してるのを俺が聞いちまっただけだ。チャンピオンは他言してねぇよ」

 私が相談をしていたのは、四天王より遙かに強い、ポケモンリーグ史上初の女性チャンピオン――シロナさんという人だ。
 チャンピオンと四天王の職場は、もちろん同じだ。まさか電話をオーバ君に聞かれるなんて考えもしなかったけど、仕方ないことかもしれない。
 私は観念して、オーバ君からの質問に淡々と答えた。

「いつ、出るんだ?」
「まだわからないわ。母さんたちには今夜言うつもりだし、それにシロナさんからトゲキッスを借りなきゃいけないから、シロナさんの都合がいいとき、かしら」
「チャンピオンも本職が忙しいからなぁ。で、孤児院を出て何をするんだ?」
「……探したい、ものがあるの。だから、シンオウ地方を旅して回るつもり」

 探したいものがある、見つけたいものがある、知りたいことがあるの。
 それが、孤児院を出る理由。ひとつの街にいたままじゃ、きっと永遠に見つけられない。だから、世界を旅して、見つけたいの。

「シンオウで見つけられなかったら、他の地方にも行くつもりなの」
「そうかぁ」
「……怒って、ないの?」
「ん?」
「言ってなかったこと。ずっと昔にちらっと話したことはあった気がするけど、それっきりだったから」
「別にそこまでは。レインが決めたことなら、俺は応援するぜ」
「オーバ君……!」
「ただ……デンジはなんて言うだろうな」

 そこ、なのだ。私が一番悩んでいるのは。
 私にとって幼馴染であり親友でもあるオーバ君に相談せずに、わざわざあまり会えないシロナさんを頼ってまで、デンジ君には知られたくなかった。
 だって彼は、言ったら絶対に反対する。反対されたら、私はきっと行けない。彼の言うことには、逆らえないから。
 だから、何も言わずに、旅立つつもりだった。

「ダメだって……言われるよね」
「そうだなぁ。あいつはレインにたいしては超がつくほど過保護だからな。でも、ダメと言われても行く気なんだろ?」
「でも、言ったら、怒られちゃうかも。ダメって言われて、それでも振り切って行ったら、嫌われちゃう、かも」
「何も言わずに旅立っても、あいつは相当怒ると思うぞ」

 オーバ君の言葉が切欠で、私の中の何かがプツリと切れたした気がした。
 怒られる? 嫌われる? 見放される?
 ねぇ、そうしたら私、きっと、生きていけないよ。だって、私にとって、デンジ君は。
 隣にいるオーバ君が息を息を呑んだ気配が伝わってきた。ごめんね、今すごく困らせてる。イーブイも戸惑っている。オーバ君が背中を擦ってくれてるけど、でも、私、涙が止まらないよ。

「おいおい、レイン」
「イヤ……デンジ君にだけは嫌われたくないの……」
「頼むから泣くなって」
「だって……デンジ君は、私の、太陽だもの」

 消え入りそうな声で、そう呟いた。
 十年前、暗闇を照らしてくれた、眩しい光。私を明るい世界に連れ出してくれた、神様よりも尊い存在。
 そんな光に見放されたら、ねぇ、私は一体どうしたらいいの?

「レントラー、ほうでん」

 俯いていた顔を上げる。離れたところで技の指示が聞こえたのに、ほうでんの衝撃はすぐ傍に感じた。
 隣に座っているはずのオーバ君は、なぜかひきつった顔でその場を離れている。彼が座っていたところには、焼き焦げた痕跡があった。
 視線をバトルフィールドに向ければ、悪びれもせずに片手をあげるデンジ君がいた。

「ああ、悪い。外したみたいだ」
「外したみたいだ、じゃねぇよ! 絶対わざとだろ! って、レイン!」

 イーブイを抱えて、走った。オーバ君が何か叫んでたけど、聞こえないふりをしてジムを後にした。
 どうしよう、泣き顔、見られたかも。でも、バトルフィールドから観覧席まで結構、距離あるし。デンジ君って、目、よかったっけ?
 頭の中がごちゃごちゃする。気付けば私は浜辺に来ていた。ナギサシティの海は、見ていると何もかも忘れてしまうくらい、綺麗だ。
 波打ち際にしゃがみ込むと、私の腕の中から飛び出したイーブイが、心配そうに小さく鳴いた。

「ブィ……」
「嫌われたくはないけど……もう、決めたんだもの」
(レイン)

 私を呼ぶ声が、脳内に響いた。イーブイではない、だってこの子は私のことをマスターと呼ぶ。でも、聞き覚えのない声じゃない。
 海の方から聞こえる声に、顔を上げる。
 水面にひょっこりと顔を出したのは、頭にライトを持ったみずポケモン――ランターンだった。ただ、一般的にランターンといえば体が青色だけど、この子は色違いらしく紫色の体をしている。
 ランターンはナギサシティ周辺には生息していないはずなのに、この子はいつの間にかこの海に住み着いてしまったらしい。群からはぐれたとか、色違いであることから孤立してしまったとか、いろいろ考えたけどこの子からは結局何も聞いていない。この子がこの子であることに、変わりはないから。
 数年前からこのランターンと顔見知りになった私は、時折浜辺でお喋りを楽しんでいる。そして最近は、お喋りとは別にこの子と過ごしている時間がある。
 ランターンは私の頬の涙の跡に気付くと、浜辺のギリギリまで近寄ってくれた。

(どうしたの? 泣かないで)
「大丈夫よ。何でもないから」
(そう……今日も戦う?)
「ええ。お願いするわ。こんなことを頼めるの、貴方しかいないから」

 孤児院を出ることを考え始めてから、このランターンに頼んだこと。ポケモンバトルの相手になって欲しい、と。
 勉強していろんな知識を詰め込んでも、実戦で生かせなきゃ意味がない。だからといって、デンジ君たちには頼めないから。

「イーブイ、準備はいい?」
「ブイッ!」

 やる気満々に、イーブイは鳴いた。さっきのデンジ君たちの戦いを見て、興奮しているのかもしれない。今日はいい結果が出そうだ。

「イーブイ、でんこうせっか!」

 目にもとまらない速さで、先手必勝の技を繰り出す。
 ねぇ、オーバ君、デンジ君。私もイーブイも、何もできないままじゃないんだよ。





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