106.停電王子の憂鬱


〜side O-BA〜

 サンダルの裏で感じた浜辺の感触は、ナギサシティを少し離れただけでは忘れられないほど、俺の中に染み付いていた。ポケモンリーグからここまで運んでくれたフワライドをモンスターボールに戻し、俺はナギサジムを目指すために足を街へと向けた。
 浜辺から硬い歩道へと足場が変わり、ガラス張りのようなソーラーパネルの立体歩道を歩く。すると、正面から見知った顔が歩いてきた。レインの母さんだ。視線が合うと、彼女はふっくらした輪郭に笑顔を浮かべた。

「おや、オーバ君じゃないかい。久しぶりだね!」
「っす! どうも!」
「今日は四天王の仕事は休みなのかい?」
「いや、仕事はあるといえばあるんですけど、ナギサのスター様が問題を起こしたみたいなんで、ちょっと説教に」
「それは助かるよ。まったく、デンジ君もこれさえなければいい男なんだけどねぇ……」
「孤児院や病院は大丈夫ですか?」
「今のところね。ソーラーパネルで電力が間に合わない分は、チマリちゃんのピカチュウたちや他のでんきポケモンたちが交代で発電してくれてるからね。とにかく! 早く電気を復旧させるように、ガツンと言ってやっとくれ!」
「了解っす」

 そんなやりとりをしたあと、レインの母さんは俺が歩いてきた方向へ、そして俺は彼女が歩いてきた方向へ進んだ。
 昼間だからわかりにくいが、この街は今、全ての機能を停止しているのだ。ショップの自動ドアは手動じゃないと開かないし、夜になっても街灯が点かないし、標となる光を放つ灯台は役目を失っている。こんなときに限って曇り続きで、ソーラーパネルもあまり役に立っていない。この街にある電気で動くもの全ては、ほぼ飾り状態なのだ。
 理由は明確にして単純。ナギサジムリーダーであるデンジが大停電を起こしたからだ。あいつは昔から機械いじりが大好きで、ジムリーダーになってからは度々ジムの改造を行い、こうして街中の電気を落とす。まったく、ジムリーダーの風上は当然ながら風下にも置けない男だ。
 しかし残念なことに、ナギサシティに住む身であるならば度々遭遇する停電に、もはや慣れきってしまい「あー、またか」と感じる程度になってしまったのが現実である。停電自体は珍しくもないことなのだが、今回のように一週間近くも電気が戻らないのは初めてで、どうしたものかと俺は様子を見るためナギサシティに帰ってきたということだ。
 前述したとおり、自動ドアはもはや自動ではない。ナギサジムの自動ドアを無理矢理こじ開けると、そこにはデンジの下で働くジムトレーナーが死屍累々と倒れていた。

「うぉっ! みんなどうした!?」
「ああ……オーバ、さん」
「ショウマ! どうしたんだよ!?」
「うう……また電話が……電話が鳴ってる……」
「いや、鳴ってねーよ!? 幻聴か?」
「電話……こわい……こわい……」
「ショウマー!」

 ガクリ。頭を落としてショウマは動かなくなった。どうやら深い眠りに就いたらしい。ショウマの脇にはナズナという女トレーナーが倒れており、手紙やファックス用紙がその周りにバラバラと散っている。もちろん全てがクレームのようだ。クレーム処理を任されたエリートトレーナーの二人に合掌する。
 さて、恐らく最奥にいるであろう停電の原因に会いに向かうことにしよう。
 レインに教えてもらった抜け道を試そうにも、電気が流れていないからそこは開かない。となれば、動かない仕掛けを超えて進むしかないというわけだ。頭を使い床を動かす仕掛けも厄介だが、動かない床を進むのも一苦労だ。
 最終的にはゴウカザルにおぶってもらい、ヒョイヒョイと足場から足場までを渡り飛び、最後の扉の前まで辿り着けた。またしても手動で自動ドアをこじ開ける。薄暗いバトルフィールドの中心に、デンジはいた。

「おい! デンジ!」
「あ゙ぁ?」

 どこのチンピラだ。俺が言えたことじゃないが、ガラが悪過ぎる。言いたくはないが顔がいい分、凄みが増すから厄介だ。
 どうやらご機嫌斜めのジムリーダー様は、何やら設計図と睨めっこしている。

「おまえ、懲りずにまた改造しようとしてるんじゃないだろうな!?」
「そこまで常識知らずじゃねぇよ、おまえと一緒にするな。これは復旧作業に使う設計図だ。くそ、なんでオレが……」
「それはおまえが大停電の原因で、ナギサのソーラーシステムを作ったのもおまえだからだろ」
「あー! 気が散るうるせぇ。親友のためを思うなら外に出てゴウカザルたちに、にほんばれでも頼んでくれ。少しは発電効果が上がるだろ」
「こんなときだけ腐れ縁じゃなくて親友って言葉を使いやがって……」

 ナギサシティはソーラーパネルによって太陽光から電気を生み出す街として有名だが、昔からこういうシステムがあったわけじゃない。そのシステムを作ったのは、ジムリーダーに就任したてのデンジだった。デンジはジムリーダーという特権と自らの技術をフル活用して、半分趣味がてらナギサのソーラーシステムを完成させたのだ。
 シンオウ随一のハイテク都市となったナギサシティはメディアに取り上げられ、観光客も増え、もちろん環境に優しい街として世間からは好評をもらった。だから、ジム改造が原因で街が停電しようとも、多少のことには目を瞑ってもらってきたが、今回ばかりはポケモンリーグ本部からもナギサシティの長からも大目玉を食らったようだ。
 そのとき、俺の隣を誰か通り過ぎた。後ろ姿を見て「あ」と小さく声を漏らす。デンジは俺たちに背を向けていて独り言を漏らしながら設計図と睨めっこしているため、彼女の存在に気付いていない。

「でっ!」

 その人物――チャンピオンは、ピンヒールでデンジの背中を思い切り踏みつけた。

「この停電男……!」
「げっ、チャンピオン」
「げっ、はこっちの台詞よ! 部下の教育がなってないんじゃないかって、リーグ上層部からネチネチ言われちゃったわ……オーバくん!」
「はっ! はい!?」
「きみも! 腐れ縁の行動くらいちゃんと監視してなさい!」
「えー、なんで俺が怒られてんの。だいたい、こういうのは俺が言うよりレインが泣いて頼むほうが効果ありますよ」
「てめ、このアフロ、また余計なことを」
「あ、レインちゃんと言えば」

 チャンピオンがようやくデンジの背から足を下ろすと、デンジは背中をさすりながらチャンピオンを睨み上げた。

「この前、リッシ湖の畔でレインちゃんに会ったんだけど、急に倒れてびっくりしたわ」
「な!?」

 途端に目の色を変えて、デンジは立ち上った。安心なさいと、チャンピオンは微かに笑う。

「ノモセジムでのジム戦でプールに落ちたみたいでね、少し熱があったみたい」
「風邪っすか?」
「ええ。今はノモセシティのポケモンセンターで安静に……って!」
「ぐえっ!」

 俺たちの脇を走り抜けようとしたデンジの服の襟を掴み、チャンピオンはそれを阻止した。

「行かせないわよ。きみは一刻も早く停電を直す義務があります!」
「つか、デンジはひこうタイプを持ってねぇだろ。ナギサシティのゲートが開かないのに、どうやってノモセシティに行くんだよ。あ、フワライドは貸さないからな!」
「……」

 言い返す余地もない俺たちの言葉にふてくされたデンジは、再びその場に腰を下ろした。少しだけ、その背中が、小さく見えて、デンジの不安定な部分を垣間見た気がした。
 「きみはしばくナギサシティでこの子を見張ってなさい。挑戦者が来たら知らせるから」と言って、チャンピオンは足早に帰っていった。
 完全に二人っきりになったことを確認して、俺は呟く。

「おまえってほんっとうにレインに対して過保護だよな」
「おまえは心配じゃないのかよ」
「そりゃ心配だけどさ、レインもたまには風邪引くくらいあるだろ」
「そりゃそうだが……」

 「また倒れたのか」と、デンジは呟いた。……また?

「なんだよ。レインと連絡取ってるのか? レイン、最近体調がよくなかったのか?」
「いや、元気だとは思う。ただ……何か悪いことに巻き込まれているような気がするんだよ」
「悪いこと? どんな?」
「本当に勘だから何とも言えないんだが……あぁ!」

 設計図とペンを放って、デンジは仰向けに寝転んだ。顔を腕で覆い隠して「レイン……」と呟くその姿は、本当に、俺でも滅多に見ないようなこいつの弱々しい姿。
 少しだけ安心するんだ。好きな奴のことで悩んでいるデンジを見ると、こいつにも人間らしい感情があるんだな、って。

「ほんっとーに好きなんだな。レインのこと」
「……当たり前だろ。そこらの女相手で遊ぶレベルじゃない」
「いつからだっけ? おまえがレインのこと、そういう風に意識しだしたのって」
「……」

 「そう昔でもないな」と、語り出したデンジの表情には、懐古と慈愛が微かに刻まれているような気がした。





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