100.水うお親子


「えっ? ジュン君だったの?」
「マジでごめん! まさかレインが落ちちゃったなんてさ!」

 ジュン君は、顔の前で両手を合わせると勢いよく頭を下げた。
 落とし穴を作った犯人は、なんとジュン君だったらしい。……と驚いてはみたけれど、彼ならやりかねないという思いもあるので「大湿原の珍しいポケモンを捕まえるために、昨日ポケモンと一緒にせっせと沼地を掘り返した」という理由を聞いても、彼らしくて笑ってしまったくらいだ。

「私は怪我がないけれど、大湿原に罠を仕掛けるのはあまりいいことじゃないんじゃない?」
「うっ、そうだよな。反省」
「でも、今回は落とし穴に感謝ね。おかげで、この子は襲いかかってきたポケモンから逃げられたらしいわ」

 私は足元に視線を落とした。落とし穴の中にいるところを見付けた迷子のウパーは、興味深そうに周りを忙しく見ている。

「ウパーか。まだ小さいな」
「まだ赤ちゃんみたいなの。逃げられたはいいけどママとはぐれちゃったみたいだから、この子のママを捜さなくちゃ」
「よーしっ! おれも手伝うぜ! 勝負はいったんお預けだな! ムクバード! おまえは空から探してくれ! 頼んだぜ!」

 ジュン君が声をかけると、ムクバードは雄々しく鳴いて空へと飛び立っていった。
 ウパーはシャワーズの背中の上に落ち着くと、水飲み場の水に浸して柔らかくしたポケモンフードを美味しそうに食べてくれた。だいぶんお腹が空いていたみたいね。ママもきっと心配しているでしょうし、早く見付けてあげられるといいのだけど。

「レインはポケモンを捕まえたか?」
「ううん。さっきトロピウスに出くわしたけど、泥を投げたら怒らせちゃって」
「泥を投げたらこっちにポケモンの意識が向いて捕まえやすくなるけど、怒りっぽくなってすぐに逃げるんだよ。逆に、餌を投げると逃げにくくなる代わりに、ポケモンの意識が餌に向いて捕まえにくくなる」
「詳しいのね」
「大湿原のことはここ数日で研究し尽くしたからな!」
「ふふっ……きゃっ!」

 話に夢中になっていると、私の体は腰近くまで泥濘に沈んでしまった。「大丈夫かよ!?」と目を丸くしながら、ジュン君は私の手を引いて泥濘から脱出するのを手伝ってくれた。
 いくらこの繋ぎや長靴が防水とはいえ、何度も泥濘にハマって体が少し冷えてしまい、小さくくしゃみをした。

「さっきから私、ハマってばかり……」
「レインの服、異様に汚れてるよなー。レイン、もしかして鈍くさい?」
「……運動神経は、確かに、よくないかも」
「あー! ぽいなー!」

 グサリ、と頭にジュン君の言葉が突き刺さった気がした。いくら自覚していても、改めて指摘されると……。
 ジュン君は私の気も知らないで「お! なんか美味そうな果物が生ってるぜ!」と言って、器用にも木に登っていった。……あら? ちょっと、待っ、て。それは……!

「ジ、ジュン君……!」
「レインも食うかー? この木の実、ナナのみみたいで美味いぞー!」
「それ、確かに果物だけど、違うわ!」
「へ?」

 それは、先ほど私が機嫌を曲げてしまったトロピウスだったのだ。
 トロピウスはジュン君を睨み付けると、首を激しく左右に振った。ベチャン! と、ニョロトノが潰れたような音と共に、ジュン君は顔面から沼地に落ちた。
 「うぇ、口の中に泥が入っちまった」と苦い顔をしているジュン君を起こし、今度は私が腕を引いて、走る。怒りに狂ったトロピウスがまたしても追いかけてきたのだ。

「うわああああ! 一つ食べたくらいでなんだってんだよーっ!?」
「さっき、私が怒らせたトロピウスだわ!」
「だからかぁぁぁ!」
「ウパッ、ウパァ……」
(ウパー! シャワーズ急ぐからしっかり掴まってて……)
「ウパッ」
(ああ!)
「っ、ウパー!」
「レイン!!」

 バランスを崩したウパーの体は、宙に放り出されて地面に落ちる。シャワーズの後ろを走っていたおかげで、なんとか抱き止めることができたけど、バランスを崩した私もその場に尻餅をついてしまった。
 迫り来るトロピウスを前にどうすることもできなくて、ただウパーを守らなきゃってことばかり考えて、体を丸めウパーを隠すように抱いた。
 トロピウスの巨体がすぐ傍まで近付き、影が私たちに覆い被さってきたとき、私は思わず「デンジ君……!」と小さく叫んだ。こんなところに、彼が、いるはずがないのに、私は、どうして、彼に縋ってばかり。
 でも、いくら時間が経っても何の衝撃も来ない。
 恐る恐る顔を上げたそのとき、トロピウスの巨体が、傾いた。私たちよりほんの少し手前で倒れてしまったトロピウスが、攻撃を受けた形跡はない。スヤスヤと気持ちよさそうに寝息を立てているだけだ。

「……」
(マスター!)
「レイン! ウパー! 大丈夫か!?」
「ええ。でも、このトロピウス、眠ってる……?」
「レインさーん! ジューン!」
「ヒカリ!」

 私たちが今し方逃げてきた方向から、ヒカリちゃんが駆けてきた。その傍らでのっそりのっそり走っているのは、ウパーの進化系であるヌオーだ。
 私の腕の中にいたウパーは(ママ!)と叫び、跳ねてヌオーへと抱きついた。なるほど、あの子がウパーのお母さんで、私たちを助けるためにあくびを使ってくれたのね。

「このヌオー、困ったようにきょろきょろして何か探していたから、一緒に連れ歩いてたんです。そうしたら、空を飛んでいたフワンテがジュンのムクバードを連れてきて、ムクバードがこっちに来いって急かしたから」
「そうだったのね! 本当に助かったわ。ウパーも、ママが見付かってよかったわね」
(うん!)
(ありがとうございます)

 二匹揃ってペコリと頭を下げると、ウパーの親子はのそのそと湿原の中に姿を消した。同時に、高い笛のようなブザー音が大湿原中に鳴り響く。これは、サファリゲームの制限時間がきたことを参加者に告げる音だ。
 ジュン君は盛大にため息を吐き、大きく肩を落とした。

「あーあ。結局は何も捕まえられなかったなー。せめてグレッグルを見たかったぜ」
「いろいろあったけれど、楽しかったからいいじゃない。いいこともしたし、ね?」
「んー、まぁそうだな!」
「楽しかったけど、早くシャワーを浴びたーい! 体中ドロドロー!」

 ヒカリちゃんの叫びには大賛成だった。髪には泥がこびりついて固まっているし、下半身には泥がまとわりついてうまく動けない状態だ。
 ゲートまで戻ると「ここまで泥だらけになるかたも珍しいですよ」とスタッフさんに苦笑され、私は顔を赤くしながら隠れるようにシャワー室へ駆け込んだ。頭から温かいお湯を浴びたら、泥が流れて体が軽くなっていく。思わず息を吐きながら、体の芯まで暖まっていく心地よい感覚に身を委ねた。

(マスター)
「ああ、シャワーズも泥を落とさなきゃね。貴方はお湯より水のほうが……」
(さっき、デンジ君のことを呼んでたね)

 にこり、シャワーズは笑う。私はバツが悪い思いを苦笑で隠しながら、シャワーズへとシャワーを向けた。
 トロピウスが倒れたあのときも、本当は、デンジ君が駆けつけてくれたんだと思ってしまったなんて、恥ずかしくてこの子には言えない。





- ナノ -