99.ロストチャイルド


 大湿原はノモセシティの北部に位置し、一部のエリアではサファリゲームが楽しめる、その名の通り巨大な湿原だ。サファリゲームでは私たちが普段使うようなモンスターボールではなく、サファリボールという特別なモンスターボールを使わなくてはならない。参加費五百円と引き換えに、サファリボール三十個とポケモンフーズ少量をもらえる仕組みだ。サファリボールがなくなるか、制限時間がくるか、いずれかでゲームは終了となる。
 ちなみに、手持ちのポケモンは一体だけ連れていけるけれど、バトルは不可でサファリゾーン内のポケモンを傷付けることは禁止されている。餌を与えて懐かせるか、湿原にある泥を投げて動きを鈍らせ捕まえやすくするか、どちらかの方法でポケモンをゲットするしかないのだ。
 私はシャワーズを、ジュン君はムクバードを、ヒカリちゃんはフワンテを選んでボールから出した。大湿原に行く前に、展望台で望遠鏡を覗きながら、私たちはどこのエリアに向かうかそれぞれ計画を練っていた。

「へー。六つもエリアがあるんだぁ」
「エリアの間は、クイック号に乗って行き来できるのね」
「ああ! 遠くのエリアにもすぐに行けるよう、それから大湿原が荒れないようにって運営されてるらしいぜ!」
「ふーん。で、この格好は?」

 明らかに『気に入りません』というように、ヒカリちゃんは眉間にしわを寄せた。この格好とは、サファリゲーム参加者に貸し出されている専用の繋ぎのことだ。私たちはこの繋ぎに加え、長靴とグローブとポシェットを身につけて、エスカレーターを降りた。

「沼草の上を歩いていると、泥濘にハマって沈むときがあるんだよ。だから、汚れてもいいようにってこと!」
「えー。ヤだなー……」
「気を付けないとね」

 私は長い髪を高い位置に結い上げた。準備は万端だ。

「行くぜ! サファリゲームスタートだ! 一番多くポケモンを捕まえた奴が勝ち! 最下位は罰金百万円だぜーっ!」
「それはイヤーっ!」
「頑張りましょうね。シャワーズ」
(頑張る!)

 ゲートが開くと同時に、一斉に勢いよく飛び出した。最初に目指す場所は同じ、クイック号乗り場だ。クイック号に飛び乗って、ジュン君はエリア三、ヒカリちゃんはエリア二、私はエリア一で降りた。
 乗り場から降りて、泥濘が広がる湿原へと一歩足を踏み出した途端に、視界が一気に下がった。私は早くも泥濘に太股までハマってしまったのだ。

「きゃ!」
(すごい。ドロドロー)
「ま、待ってシャワーズ。先に行かないで……!」

 みずタイプだから湿気があって居心地がいいのかしら。シャワーズは楽しそうに泥で遊びながら、どんどん先へと進んでいく。私は近くの岩にしがみつき、何とか足を沼地から引き抜いた。これはポケモンを探す以前に、動くだけでも大変だわ。
 そのとき、泥濘から生えた長い草むらが、音を立てて揺れた。飛び出してきたのは、野生のビーダルだ。私は、半分泥で汚れてしまったポシェットに手を突っ込み、サファリボールを取り出した。

「ポケモン発見! サファリボール、えいっ」

 ……と、威勢よく言ったはいいものの。サファリボールはビーダルの尻尾でパシッと軽くあしらわれた。

(失敗しちゃったね)
「ええ。やっぱり、ただ、ボールを、投げる、だけ、じゃ、難しいのね」
(マスター? 大丈夫?)
「……はぁ、っ」

 一歩一歩、進むだけなのに、それがすごく辛い。泥濘が長靴にまとわりつき、歩くたびに重みを増していくようだ。体力はない部類だと自覚している私には、サファリゲームはあまり向かないみたい。
 泥濘から少し離れて、乾いた土と草が生える平地を見付つけると、私はそこに生えている木に寄りかかり、腰を下ろした。

「歩くだけで疲れたわ……あら。この木、美味しそうな果物が生ってるわね」
(マスター。それ、果物じゃないよ)
「え?」
(ポケモンだよ)

 ポケ、モン? シャワーズの言葉に思わず固まってしまったときだった。座っていた地面がグラグラと動いて、私はそこから滑り落ちてしまった。低い唸り声が背後から聞こえてきて、錆びた音が聞こえてきそうなほどぎこちなく首を動かして振り向いた。
 木だと思っていたのは、なんと野生のトロピウスだった。睡眠中だったところを起こされてどうやらご立腹らしく、目をつり上げて、長い首を振り回しながら追いかけてきた。

「きゃあああ!」
(シャワーズ、戦う?)
「だ、だめ! ここでは技を使って弱らせちゃダメなの……えいっ!」

 泥をすくって投げてみたら、さらなる怒りを買ったらしい。トロピウスは葉っぱでできた翼を広げて飛ぶ体勢に入った。空を飛ばれたらお終いだわ……!
 試しにサファリボールを投げてみたけど、まるで埃を払うような素振りで長い首に弾かれた。
 逃げる、逃げる、とにかく、逃げないと……!

「きゃ!」
(きゃー)

 一瞬の浮遊感のあとに、体中が衝撃に襲われた。なぜかそこに掘られていた大穴に、私はシャワーズ共々落下してしまったのだ。おかげでトロピウス撒くことができたから、ある意味でいうと助かったのだけど……。

(落とし穴だー)
「何でこんなところに……あいたた、え?」

 私たちと同じように、この狭い穴の隅で震えている影が一つ。野生のウパーだわ。とても小さいし……まだ赤ちゃんみたい。私はウパーを怖がらせないように、なるべくそっと抱き上げた。

「貴方も落とし穴にハマっちゃったの?」
(う、うん)
「一人?」
(ママ、いないの。大きなポケモンに追いかけられてて、一緒に逃げてたら、この中に落ちちゃったの。ポケモンからは逃げられたけど、ママとはぐれちゃったの)
「そう……わかったわ。私が一緒にママを探してあげる」
(ほんとう?)
「ええ。まずはここから出なくちゃ……」
「おっ! 何か引っかかってるな!」
 
光が射す方向に、顔を上げた。光に透けた金髪を揺らしながら、ジュン君が落とし穴を見下ろしていた。





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