96.海の子は嘆きを唄う


 ラプラスは苦しそうにきゅうきゅうと鳴き、長い首をぐったりと浜辺に垂れている。太い鰭には大きな釣り針が深々と刺さっていて、海水の色を濁らせていた。傷はそこ以外に見当たらないけれど、出血が、酷い。

(泳いでいたら刺さっちゃったんだって!)
「大変……!」

 海水に足をつけて近くまで行き、傷口の様子を観察する。思いの外、釣り針は深くまでラプラスの鰭に突き刺さっている。抜かないほうがいいと思ったけど、ラプラスが余りにも悲痛な声で(これ抜いて!)と叫ぶものだから、私はとっさにそれを引き抜いてしまった。
 栓の役割をしていた釣り針がなくなり、新しい血がどぶりと溢れてまた海に広がった。ラプラスは鋭い鳴き声を上げて、苦しそうに巨体をバタつかせた。
 海水が高くまで弾け飛び、頭から海水を浴びてびしょ濡れになってしまったけど、そんなことに構っていられない。海水が入ってしみる目の訴えを無視して、私は空のモンスターボールを手に取った。

「ラプラス、今だけこのモンスターボールに入って。ポケモンセンターに連れて行くから」
(嫌よ!)
「ラプラス」
(あんたたち人間が海にこんなもの捨てたから、あたし怪我したのよ!? それなのに、人間を信じろって言うの!?)
「そんな、私はただ」
(弱ってるあたしを捕まえて売りさばくつもりでしょ!)
(マスターは違うよ。そんなことしないよ)

 シャワーズが必死に説得してくれても、ラプラスはいやいやと首を振るばかりで応えてくれない。そうしている間にも、海水に浸っている傷口からは血がどんどん溢れ出てくる。出血多量で死に至る恐れもあるし、それでなくても傷口からバイ菌が入ってしまうかもしれない。
 もう……あの『力』を、使うしか。

「シャワーズ」
(え?)
「もし私が倒れたら、みんなを呼びに行ってね」
(マスター?)

 ラプラスの傷口へと、ゆっくり手を伸ばした。(何よ! 何するつもり!?)と、威嚇するように鰭をバタつかせるから、その巨体に潰されないように、慎重に近付いていく。
 手を傷口の真上にかざし、目を閉じて『力』をそこに集中させる。私の体中の熱が腕を通って手のひらへと集まり、熱は私の体を離れて青白い光となって放たれた。その光に触れると、ラプラスの傷が見る見るうちに癒されていった。まるで映像を戻すように、傷口が塞がっていったのだ。

(なに、これ!?)
「はぁ……っ」
(マスター!)

 立っていられなくて、その場に崩れ落ちた。大丈夫……体に力は入らないけど、意識はしっかりある。

(あたしの傷、治してくれたの?)
「一応、ギリギリまで『力』を注いだから、血は止まったしもう痛みはないはずよ。でも、しばらく安静にしていてね」
(マスター!)
「大丈夫。少し疲れただけだから」

 『力』の中でも特に異端の能力の一つ――ポケモンの傷を癒す力。それは、代償として私の体力を分け与えるようなもので、使った直後はドッと疲れが出てしまう。だから、本当に特別なとき以外は使わないようにしている。この治癒の力を知っているのは、デンジ君とシャワーズ、ランターンくらいかもしれない。
 焦点の定まらない目で、戸惑っているラプラスを見上げた。

「ごめんなさい。貴方たちの居場所を汚すのはいつも人間ね」
(……)
「でも、知っておいて欲しいの。貴方たちと共存するために努力している人間もいることを」

 生まれたてのオドシシが立ち上がるように、弱々しくも足に力を込めた。服が水分を吸収していて、重い。シャワーズに足下を支えてもらいながら、時間をかけてみんなのところまで戻り、すぐにホテルの自室に帰った。





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