93.ライトシアンの宝石


――リッシ湖の畔――

 リッシ湖の畔に佇むホテル・グランドレイク。入り口へと続く階段は大理石、一寸の狂いもなく手入れされた庭、青々としたプールと真白なプールサイド。
 ……予想外の高級感に、唖然とするばかりだ。
 早く入ろうと、私の膝の裏あたりをグイグイと押すシャワーズを止めるために、精一杯足の裏で踏ん張った。

(どうしたの? 入らないの?)
「だっ、ダメよ! こんな高そうなホテル……!」
(えー? シャワーズ、ここに泊まるのを楽しみにしてたのに)
「ご、ごめんね。でも、思っていたより……その……」

 そう、きっと、想定していた金額より0がひとつふたつ多いに違いないわ。私みたいな一般人が、旅の途中に泊まる場所がないからと、フラリと訪れて一泊できるようなランクのホテルではない。

(じゃあ、ご飯食べようよ。シャワーズ、おなか空いた)
「そうね。確かレストランがあったから、そこで夕食をとりましょう」

 来た道を少しだけ戻り、敷地内でも小高い場所にあるレストランを見つけて、また口を半開きにしてしまった。レストラン・七つ星。名前の通り、これまた高そうな。
 ……ウキウキしているシャワーズには申し訳ない、けど。

「……シャワーズ」
(?)
「今日は野宿で、非常食の菓子パンでも食べましょうか」
(えー)

 シャワーズは明らかに不足そうな表情を作り、イヤだイヤだと喚いた。
 仕方がないじゃない……。この旅、孤児院で働きながら貯めたお金とファイトマネーだけでやりくりしているのに、贅沢はできないもの。

「あら?」

 本日のオススメメニューが書いてあるボードの、その隣のボードに、何か書いてある。『レストラン・七つ星。名物、ポケモンタッグバトル。週に一度開催されるこのイベント。優勝者は当レストランのディナー券とホテル・グランドレイクの宿泊券二泊三日分を贈呈』……ですって。
 しかも、イベントの開催が今週はちょうど今日らしい。これに勝てればいいのだけど、タッグバトルのパートナーもいないし……。

(なあに? 何て書いてあるの?)
「ここでタッグバトルのイベントが開催されるから、それに勝てば食事とさっきのホテルに泊まれるみたいなの」
(本当!?)
「え、ええ。でも」
(シャワーズ、頑張るよ! 行こう!)

 私の意見も聞かずに、シャワーズはトットットッと駆けていき、ドアノブに前足をかけた。ダメよと止める間も、お行儀が悪いと叱る間もなく、親切なウェイターさんがベルを鳴らしてドアを開けてくれた。
 ああ……もう、引き返せないわ。

「いらっしゃいませ。お食事でしょうか?」
「いいえ……あの、表にあるイベント告知を見たのですけど」
「かしこまりました。こちらにエントリーをお願いします」

 豪華なシャンデリア、高そうなピアノ、テーブルについて優雅に食事するマダム……自分があまりにも場違いな気がして、小さくなりつつ、ウエイターさんの後についていった。
 中庭を遮る渡り廊下を通り、通されたのはレストランの隣にある大広間。そこにはすでに、タッグバトルに参加する人たちが集まっていた。エントリーシートに、氏名とバトルに参加するポケモン三体を記入して……その下を見て、固まった。タッグパートナーのエントリー……そう、問題はこれだ。
 ちらりと周りを見れば、みなさんすでに相手を見付けている。私はとりあえず、あの三人に電話してみることにした。運がよければ誰か近くにいるかもしれない。
 まずは……ヒカリちゃん。

『タッグバトル? 楽しそう! でもあたし、今フタバタウンにいるんです。ごめんなさい!』

 じ、じゃあコウキ君。

『ぼく、まだトバリシティにいるんです。ナナカマド博士が物産展を気に入っちゃって』

 っ……ジュ、ジュン君……!

『おれはノモセシティの大湿原を満喫中だぜー! すっげぇ楽しいからレインも早く来いよな!』

 ……頼みの綱は、チョキンと切れた。みんな周りにいない……どうしましょう。
 エントリーシートと睨めっこをして、うんうん唸る。すると、背中に軽い衝撃が走って、私は前のめりに数歩よろけた。開いたドアが私に当たったようだった。

「きゃ」
「ごめんね。大丈夫だったかな?」
「はい。こちらこそ、すみません。入り口でぼーっとしてて……」

 ドアを開けて入ってきたその人は、申し訳なさそうに私の顔を覗き込んでくる。わ、と思わず声に出してしまいそうになった。
 水色と銀色の中間のような綺麗な髪と瞳の色は、この人のためだけに創り出されたような見たことのない色だ。シワ一つない高級感のあるスーツは、きっと私が一生着ることがないようなブランドだと思う。デンジ君とはまた違う整った顔立ちをした、作り物のように綺麗な男の人、だ。

「キミもこのイベントの参加者?」
「は、はい」
「なるほど」

 彼は、私の隣にいるシャワーズをジッと見て、ニッと笑った。彼は恐らく私よりも年上だと思う。でも、その笑みはまるで楽しい悪戯を思いついた少年のもののようだった。

「もしよければ、ボクとタッグを組んでくれないかな?」
「いいんですか?」
「もちろんだよ。キミのシャワーズ、とてもよく育てられている。キミと組んだら楽しそうだ」
「あ、ありがとうございます。足手まといにならないように頑張ります」
「こちらこそ、よろしくね」

 彼は私の手からエントリーシートを取ると、記入してある私の名前とエントリーしたポケモンを見て微笑んだ。「レインちゃん、か。素敵な名前だね。ボクは……」と、彼は紙の上にサラサラとペンを走らせた。お手本書きのように丁寧に紡がれた筆跡は『ダイゴ』と書かれていた。





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