83.初めての音


 視界いっぱいが緑に覆われて、常盤草の匂いが色濃く漂っている。私たちが歩いている道は、比喩でもなく、本物の芝生の迷路だった。
 ここは210番道路。人の背丈以上に生い茂る草が、旅人の行く手を阻む道。どれだけ歩いても、草、草、草、草、草……変わらない景色に、方向感覚さえ見失ってしまいそう。
 右へ左へ上へ下へ、迷いに迷ってようやく視界が開けた、と思ったのにズイタウンに戻ったときは本当にショックだったわ……。
 だから、これは二度目の挑戦。今度こそ……!

「あ、何か建物があるわ」

 違う景色を見付けられたことに、私は心底ホッとした。丸太を重ねるように組み立てられているその建物の前には『カフェ やまごや』という看板が立てられている。その脇には、店のオススメ商品を紹介しているボードがある。
 なんでもこのカフェは、ズイタウンで採れた絞りたてのミルクが売ってあって、希望があるなら泊まって行くこともできる簡易宿泊施設らしい。泊まらせてもらえるか頼んでみるつもりだったから、これは本当に有り難かった。次の目的地はまだ決めていないけれど、トバリシティにしてもカンナギタウンにしても道のりは長い。野宿はできるだけ避けたいから。
 私は、木を丸く削って作られた可愛らしいドアノブを押し開いた。扉を開けると、軽い鐘の音が控えめに鳴った。それを合図に「いらっしゃいませ」と、カウガールさんたちが私たちを迎えてくれる。
 カウンターで宿泊の手続きをして、オススメ商品のモーモーミルクを一本買った。ポケモン用のお皿を貸してもらって、シャワーズにもわけてあげた。美味しそうに喉を鳴らすシャワーズの隣で、私も一人掛け用の席に腰掛けて瓶を傾けた。
 うん、濃厚で甘くて、美味しい。ナギサシティで売ってあるものとは全然違うわ。宅配も頼めるらしいし、ナギサのみんなにも送ってあげようかしら。
 飲みかけの瓶をテーブルの上に置くと、私はバッグからタウンマップを取り出してテーブルに広げた。

「次はトバリシティとカンナギタウンのどっちに行こうかしら……」
「あらぁ? カンナギへは今行けませんよぅ?」
「え?」
「あれですぅ」

 カウガールさんが言う方向を、見やる。210番道路の先が見える窓の外、そこは黄色い何かで埋め尽くされていた。
 目を擦り、少しだけ細めて凝視する。
 よく見ると、その黄色い何かはコダックの群だった。頭を抱えて微動だにしない彼らが隙間なくそこに集まっていて、人一人通る道すら見当たらない。

「数日前からあの状態なんですぅ。退かそうとしても退かなくてぇ」
「あんなに頭を抱えて……ポケモンで攻撃するのも可哀想ですね」
「はい〜。コダックっていっつも頭痛に悩まされてますよねぇ。だから、しばらくは様子を見ながら見守ってあげているんですぅ」
「だからカンナギへは行けないんですね」
「そうですねぇ。空を飛べるポケモンがいれば別なんですが〜」
「わかりました。じゃあ、次はトバリシティを目指してみます。ありがとうございました」
「いいえ〜。あ、215番道路はいつも雨が降っているから、濡れちゃって風邪を引かないように気を付けてくださいねぇ。よろしければ傘をお貸ししますからぁ」
「はい。ありがとうございます」

 「ごゆっくりお過ごしくださいねぇ」と笑って、カウガールさんはお仕事に戻っていった。
 次の目的地はポケモンジムもある街――トバリシティに定まった。トバリシティへ行くには210番道路を逸れて、ここから東に伸びる215番道路を通らないといけない。215番道路は、年間の半分以上が雨という不思議な道だ。

「……雨、か」

 雨、それは私にとって、とても愛しくて、とても特別なものだ。



Next……トバリシティ


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