伝説の裏に隠された、ひとつの恋の終わりかた


(来世でもきっと結ばれるなんて、そんな確信もないことは言えないけど、生まれ変わってもまた貴方に会いたいと思うよ)



 はじまりの樹。こんなに、間近まで来たのは初めてかもしれない。天高くそびえ立つ大樹。神話に出てくるユグドラシルを彷彿させるほど、神々しく悠然と結晶根を張り、まっすぐ天に向かって伸びている。
 内部へ侵入を試みようとしたとき、突然、結晶根がエメラルドグリーンに輝きだした。この結晶根は私たちが住んでいる国全体に張り巡っている。国の至る所にある結晶の元が、この根なのだ。
 国中の結晶の輝きはその場だけに収まらず、空に向かって直線に伸び、雲を突き抜けたところで放物線を描き、地面に向かって降り注ぎ、人やポケモンを包み込んだ。
 エメラルドグリーンに染まった手をぼうっと眺める。優しい輝き。まるで憎しみや怒り、悲しみが消えていくようで、その光を浴びただけで心が癒された。
 しかし、この光の中にアーロン様の波導を感じた私は戦慄した。この輝きは、アーロン様の命の輝き、そのものだ。この輝きが消えるとき、彼の命も消える。
 それに、わかる。アーロン様の波導の全てをもってしても、世界中の人々から憎しみや悲しみを取り除くには足りない。戦争は終わらない。アーロン様の行動が無駄になってしまう。

「ダメ! 早く、アーロン様のところへ行かなくちゃ!」
『シャイン様!』
「っ、間に合わない………っ!」
(波導使い)

 突然、ルカリオとリオル以外の声が聞こえてきて、はっと顔を上げる。薄い桃色の体に青い瞳を持った、小さなポケモンが目の前でゆらゆらと浮いている。
 まさか、と思った。はじまりの樹にはミュウという、全てのポケモンの母ともいえる伝説のポケモンが住んでいると聞いていた。まさか、目の前にいるこの子が。

「……ミュウ?」
(そう。ミュウ)
「お願い! 私をアーロン様のところに連れて行って!」
(それは、何のため?)
「世界を守るため……ううん。何よりも私がアーロン様に会いたいの! お願い……っ!」
(……)

 ミュウは何か言いたげに目を閉じたけれど、次の瞬間、私たちの体は別の場所に転移していた。壁全体が結晶に覆われた、おそらくここが始まりの樹の最深部である心の部屋だ。
 宙から眼下を見下ろすと、そこには巨大な結晶があった。それに、アーロン様が自身の波導を注ぎ込んでいて……。

「アーロン様!」

 私は背後からアーロン様に抱きついた。アーロン様は一瞬だけ体を固く強張らせたあと、首だけを動かして私を見た。波導を結晶へと注ぎ込む手は、下ろさない。

「シャイン! ルカリオ! リオル! どうして……っ!」
「貴方と運命を共にするために」
「何を言っている! 今すぐ引き返すんだ! 愚かな戦争の犠牲者になるのはわたしだけで十分だ!」

 私は静かに首を横に振り、アーロン様の手に自分のそれを重ね、一気に波導を放出させた。ルカリオとリオルも、それぞれアーロン様と私の隣に立ち、自身の波導を結晶に注ぎ込ませた。
 アーロン様は絶望ともいえる表情を浮かべていた。でも、私たちをその場から突き飛ばすわけでも、行動を止めさせるわけでもない。アーロン様もわかっているのだ。今、少しでも波導を注ぎ込む力を緩めてしまえば、全てが無駄になってしまうということを。

「どうして……っ!」
「……私たちはよく似ています。だから、同じ道しか選べない。私には、生き残って貴方の分まで生きる勇気がなかった。貴方のいない世界は、戦争で溢れた世界より、よっぽど怖い」
「……シャイン」
「それに、アーロン様の波導だけでは足りないと、わかっているのでしょう?」
「!」
「大丈夫………これが終わりではありません。リーン様に預けてきたあの子が……ライリーが、命を繋いでくれます……っ!」
「シャイン! もうやめてくれ!」

 体中に電撃でも走ったかのような、鋭い痛みが走った。体中の細胞が切り離されそうだ。痛い、辛い、でも、それはきっとみんな同じだ。隣にいるリオルに目をやると、この子も苦しそうに笑った。

『だいじょうぶ、です。リオル、さいごまで、がんばります。だいすきな、せかいを、まもりたいから』
『わたしたちが波導を持って生まれた意味を、今、果たしましょう』
「リオル……ルカリオ……」
「アーロン様」
「……シャイン」

 微かに笑い、頷いて見せる。そのときに見えたアーロン様は泣いているように感じたけど、構わず目の前のことに集中した。私が持つ波導全てを、両手に集めて、放つ。

『『「「波導は我にあり!」」』』

 結晶がこれ以上ないくらいの光に包まれた。まるで、目の前で一つの星が生まれたみたいだ。
 そして、次の瞬間。結晶からエメラルドグリーンの光の洪水が天高く上がっていった。それは四方八方に飛び散り、世界に降り注ぐ。
 辺りは静寂に包まれた。私たちは空っぽだ。残ったのは、体中を裂くような痛みと、四人分の体温だけ。でも、それもじき消える。
 立っていられなくなり、結晶に背を預けてその場に座り込んだ。もう私に波導は残っていないから、外の様子はわからない。でも、宙に現れたミュウが微かに笑っている。きっと、戦争を止めることができたんだと思いたい。
 私の隣でぐったりしているリオルを腕に抱き、アーロン様の方へと首を向ける。嗚呼、やっぱり、泣いていらっしゃる。アーロン様の泣き顔なんて、ライリーが生まれたときくらいしか見たことがないのに。

「……アーロン様、泣かないで、ください」
「……きみも、泣いているだろう」
「あれ……変ですね」

 力なく笑って見せたけれど、アーロン様は一層、痛々しい表情をするだけだった。
 きっと、アーロン様はいろんなことを悔いていらっしゃる。私を戦争に引きずり込んだこと、波導使いとしての使命を教えたこと、最初から今までのこと、全部を自分のせいだと責めていらっしゃる。
 そんな顔をしないでほしい。私は私の意思でこの結末を選んだ。私は幸せだった。それを、伝えなきゃ。

「……アーロン様……この数年間、いろんなことが、ありましたね……共に修業をして、笑って、泣いて、怒って、また笑って……不思議ですね。戦争中だったのに、貴方との思い出は楽しかったことばかり浮かんできます……」
「……シャイン」
「アーロン様、私……、でした……貴方やリオル、ルカリオやリーン様、それに、ライリー……みんなで過ごした日々が、私にとって……」

 うまく呂律が回らなくて、一番言いたかった言葉が言えなかった。ああもう、体の感覚さえなくなってしまった。見えなくなっていく視界の隅に、結晶化していく自分の体が見えた。これなら、少しは救われる。みんな一緒に眠れるなら、怖くない。
 辛うじて感覚がある右手を動かして、アーロン様の左手を探した。その仕草に気付いたアーロン様はすぐに私の手を取って、ぎゅっと握りしめてくれた。その左腕に頭を預けて、そっと目を閉じる。もう、閉じてしまったら開くことはないのでしょう。

「アーロン様……リオル、ルカリオ……みんな、あいして……」

 最後まで言い切れないまま、私の意識は闇に包まれた。最後にアーロン様が何か言っていたけれど、それさえ聞こえなかった。ただ、静かに涙を流しながら私たちを見ていたミュウの体が、淡く輝いた気がした。
 こうして、世界を二分した大戦は幕を閉じ、戦争を鎮めたエメラルドグリーンの癒しの光と波導の勇者の伝説だけが、後世に語り継がれることになったのだった。




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