ひとつの終わり、新たな幕開け


 随分前から読みたいと思っていた本が入荷した、と図書館から連絡が入っていたのはつい昨日のことだ。最低でも週に二度、図書館を訪れる生活を何年も続けていれば、図書館で働く司書から自然と顔を覚えられるし話もするし親しくもなる。ミオから離れた鋼鉄島に住んでいるわたしとしては、とても有り難いことだった。本を借りたくて図書館に行ったらなかった、なんて無駄足を踏まずに済むからね。
 平日の昼間ということもあり、図書館に人はほとんどいない。本棚の間を縫うように歩きながら、わたしは入ったばかりという目当ての本を探したが、どうも見当たらない。備え付けのパソコンを使って場所を検索すればいいことなのだが、わたしはパソコン……というより機械全般が苦手でどうにもうまく扱えない。
 ここは、誰でもいいから司書を探し出して聞くことにしよう。

「……で、そのとき……」

 女性の声が、そう遠くない場所から聞こえてきた。きっと司書だろう。何の疑いもなくそう思ったわたしは、声がする方へ向かった。しかし、司書にしては話し声が大きいような……あ。

「それでですね……あ、ゲンさん」
「え?」

 みずタイプのポケモンに関する本が並べられている棚の前にいたのは司書ではなく、レインちゃんとヒカリちゃんだった。世間は狭いとよく言うが、まさしくそうだと思った。二人とともに破れた世界から帰ってきたのは数ヶ月経つというのに、つい先日のことのようにも感じる。

「ゲン、さん」

 若干、レインちゃんは動揺しているように見えた。それも仕方がないと思う。彼女と会うのは、二人で故郷の島を訪れたとき以来だから。
 あのとき、わたしたちは完全に別々の道を歩いていくと決めた。わたしたちの過去と前世に、綺麗な形で幕を下ろしたつもりだった。
 でも、今のレインちゃんを見る限り、まだなにか心に引っかかることがあるのではないだろうか、と不安になった。

「ゲンさんお久しぶりです! 破れた世界以来……あれ? 二人ともどうかしたんですか?」

 ヒカリちゃんが左右に首を振りわたしたちを交互に見ている。レインちゃんは「いえ……」と、控えめに答えを濁した。
 破れた世界でのやり取りでも察していたが、ヒカリちゃんは頭がいいし、その場の空気を察することに長けている人間だ。だから、レインちゃんの小さな変化と、いつもと違うわたしの空気を感じ取り、気まずそうに頬をかいた。

「ああ……あたし、あれですよ。うん。基本、女の子の味方ですから。ね、レインさん」
「え? あの、ヒカリちゃん?」
「何かよからぬことを想像していそうだから聞こうか?」
「え? ゲンさんが、恋人いるのを知ってレインさんに手を出したのかと」
「ち、違うわ!」
「じゃあレインさん、とうとうデンジさんに愛想尽かしたからゲンさんに」
「それはないだろう」
「どっちも冗談じゃないですか。そんな怖い顔しないでくださいよ」

 レインちゃんがデンジ以外の男を見るなんて、あり得ない。あり得ない、のだ。もし仮にそんなことがあったならば、わたしが報われないというものだろう。
 大げさなほどにため息を付くと、ヒカリちゃんは少しムッとしてみせた。

「じゃあ、なんですか。二人とも今日は少し様子が変ですよ?」
「えっと……」
「というか、二人ってどういう関係ですか?」

 ヒカリちゃんは続きを促すようにわたしを見上げる。ちらり、とレインちゃんを見てみると、やはりどこか不安そうだった。その瞳に、見覚えがあった。
 わたしたちがまだ幼い頃のことーー故郷で平和に暮らしていたときのことだ。ある日、いつものように二人で遊んでいたとき、崖の上から落石があった。波導でいち早くそれを感知したわたしは、レインちゃんに覆い被さって彼女を落石から守った。幸い大怪我をすることはなかったが、石の一つが後頭部に当たって瘤が出来てしまったことを覚えている。
 家に帰って母親から頭に包帯を巻いてもらっているとき、レインちゃんは部屋の外から顔だけをこちらに向けていた。今のレインちゃんのような、今にも泣き出しそうな目をしてわたしを見ていた。
 なぜだか、自然と笑みが零れたのが自分でもわかった。

「レインちゃんはわたしの家族だよ」
「え?」

 ヒカリちゃんはまん丸に目を見開き、相当驚いている様子だったが、それ以上にレインちゃんのほうが驚いているようだった。
 もう一度、わたしはレインちゃんの目を見て繰り返す。

「レインちゃんはわたしの大切な家族。妹のような存在なんだ」

 すると、レインちゃんは大きく見開いていた目を細めて、嬉しそうに微笑んだ。ああ、やっぱりあのときと同じだと思った。
 怪我の治療をしてもらうわたしを泣きそうな目で見つめるレインちゃんに、レインちゃんのせいじゃないよ、大丈夫だよ、と言って笑いかけてやったら、あのときのレインちゃんも今のレインちゃんと同じ表情をしていたから。不安が取り除かれ、安心しきった、そんな表情だ。
 もちろん、わたしたちは本当の兄妹ではないし、ましてや家族でもない。でも、レインちゃんは目にうっすらと涙を溜めて嬉しそうに微笑むから、わたしが言ったことは間違いなんかじゃないと思った。
 本当の意味で、わたしたちの新しい関係はここからスタートするのだ。




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