愛し愛された確かな記憶


(涙が出るのは、愛していた頃の記憶がそこにあるから)



 溢れんばかりの花を咲かせたい。全てが燃えて荒野となり、存在すら忘れ去られてしまった私の寂しい故郷に、生きていた人の数だけグラシデアの花を咲かせたい。それが、私がシェイミを探していた理由。シェイミに願ったことだった。
 目を閉じて、しばし黙祷。今までの様々な記憶が頭の中を駆け巡る。前世も現世も、大きな悲しみは確かにあった。でも、小さな幸せはそれ以上の数があった。小さな幸せは積み重なって、私の生きる糧になった。
 だから、大丈夫。これから、悲しみを思い出してしまうことも多いでしょう。それでも、幸せだった事実と幸せであるという現実があれば私は生きていける。後悔はないと胸を張れる。
 そっと目を開けた。地平線の向こうまで広がる花畑を見ていると、天国があるとしたらこんな場所なんじゃないか、と思ってしまうくらい綺麗だった。

「ありがとう、シェイミ。これでみんなへの弔いが出来たと思う」
「わたしからも礼を言わせてくれ。ありがとう」

 私とゲンさんの視線の先にいるシェイミは、まるでグラシデアのように優しく微笑んで、東の空へと飛んで行った。
 風が吹くたびに花が揺れ、優しい香りを島中に満たす。花畑の中心で、私とゲンさんは何も言わずに見つめ合った。言わなくても、きっと、お互いの言いたいことはわかっているのだ。だって、私たちは誰よりも近い存在だから。
 私とゲンさん。それぞれの歴史を辿っていけば、根っこは同じところに辿り着く。勇者アーロンとシャインの間に生まれたたった一つの命ーーライリーは、シャインが願った通り命を繋ぎ、今、私たちが存在しているのだ。

「すまなかったね」
「え?」
「鋼鉄島で過ごした最後の夜のこと、きみは覚えていないといったけれど、嘘だろう? あのとき、わたしが呟いたきみの本名が引き金になって、きみはこの島が燃えた日のことを思い出したのだろう?」

 鋼鉄島で過ごした、最後の夜。確かにあの時、ゲンさんは四文字の言葉を呟いた。私たちの関係の核に触れようとした私を押し倒し、『シャイン』と、言った。
 ゲンさんが言った通りだ。私はあのとき、この島のこともゲンさんのこともランターンのことも、全部思い出した。ただ、あのときの私には、それが私の本名で、前世の私の名前でもあるなんて、思いもしなかったけれど。

「やっぱり、『シャイン』は私の本名でもあったんですね。あの日、思い出した過去の中で、ゲンさんと私の本名だけが空白で、ずっと気になっていたんです」
「……ああ」
「……でも、あのとき思い出さなくても、きっといずれ思い出していました。それが私の探していたものだったから。それはとても辛い記憶だったけど、思い出さなきゃいけなかったんだと思います。島のみんなのためにも、私自身のためにも。だから、気にしないでください」
「……ありがとう。レインちゃん」
「はい」
「きみは今、『本名でもあった』と言ったね」
「……」
「まさか」

 ゲンさんは本当に勘のいい人だ、と思った。ゲンさんは波導云々関係なく元々、人の気持ちの些細な変化や、本心を汲み取る力に優れている。
 だからこそ、とても優しくて、臆病で、寂しい人なのだ。人と一線を引いて、いつまでも、前世の記憶に囚われて、自分を責めて。

「もう一つ、思い出したことがあるんです。あの夜、ゲンさんが言った『シャイン』という言葉がなんなのか、私は最近までわかりませんでした。でも、昨晩……新月の夜にダークライがクレセリアと一緒に私のところに来て、夢を見せてくれました。それは悪夢じゃなくて、とても優しい夢でした……アーロン様」

 途端に、ゲンさんは心臓を鷲掴まれでもしたかのように、顔を歪めた。違う。そんな顔をさせたいわけじゃない。今の私の気持ちを伝えなくちゃ。そして、『シャイン』の気持ちも。

「前世の私は貴方を愛していた。師として、そして一人の男性として。命を終えるその瞬間まで、貴方のことを想っていた。生まれ変わってからもまた貴方に会いたいと願いながら、私は眠りに就きました」
「……すまない」
「どうして謝るのですか? 貴方は世界を救った勇者なのに」
「確かに、わたしは『世界』を救った。自らの波導を使い果たし、癒しの光を世界中に降り注がせて、争いを止めた。でも、わたしは『わたしの世界』を……前世のきみを守れなかった。戦争を終わらせるために、きみまであの無益な争いの犠牲にしてしまった」
「やっぱり、ずっとそのことを気にしていたから、貴方はいつもとても遠くを見るように、独りになっていたんですね。誰かといても、どこか壁を作っていたんですね」

 手を伸ばして、ゲンさんの手をそっと握った。彼は少しだけビクリと震えたけれど、拒絶しようとはしなかった。

「あのとき、貴方を手助けたのは私の意志です。貴方のせいじゃない」
「しかし」
「私は貴方を愛していたんです。だから、貴方との思い出が詰まった世界を守りたいと思った。貴方との間に生まれた命に、私たちの命を繋いでほしかった。例えこの身が朽ちてもいいから、愛する人と一生を共にしたかったんです」
「……」
「あのとき、うまく言えなかった言葉をようやく言えます。『アーロン様、私、幸せでした。貴方やリオル、ルカリオやリーン様、それに、ライリー。みんなで過ごした日々が、私にとって宝物でした』」
「……シャイン」
「……あのときの選択を、私……いえ。『私たち』は少しも後悔していません。だから、ゲンさんにも後悔してほしくない。過去に囚われず、未来を向いて生きてほしい」
「……ありがとう」

 ようやく、ゲンさんは笑ってくれた。作り物の笑顔じゃない。本当に穏やかな表情だった。私の、そしてシャインの言葉が、時を超えてようやく届いた瞬間だった。
 これできっと、ゲンさんも心から笑いながら生きていける。きっと、きっと。

「それでも、今のきみはわたしを選んではくれないのだね」

 ゲンさんの言葉に、今度は私が凍りつく番だった。言葉を探そうにも、なんて言ったらいいのかわからない。
 前世で最期を迎えたとき、私は来世でも生まれ変わったアーロン様に会いたいと確かに願っていた。そして、平和な世界でもう一度結ばれることができたら、なんて思いもした。
 でも、実際は違った。あの日、島が燃えて二人が離れ離れにならなければ、もしかしたらシャインが最期に願った通りの今を迎えていたかもしれない。実際に、私たちは限りなく近い場所に転生した。
 でもそれから、ゲンさんと離ればなれになった私は記憶を失い、太陽に似た光に救われ、ゲンさんではない彼を愛した。ううん。愛している、のだ。前世の記憶が戻った今でも、私が愛しているのは、ゲンさんじゃない。

「レインちゃん」
「あ、あの。私、私……」
「すまない。意地悪を言ったね」
「え?」
「わたしも最初から前世の記憶を覚えていたわけじゃないんだ。わたしが前世を思い出したのは、島が燃えて海に放り出されたときだった。冷たくて暗くて、沈んでいく世界で前世のきみを、シャインの姿を思い出した」
「シャインを……」
「あのとき、光が見えた気がした。だから、もうダメだと思っていたけれど、シャインに手を差し伸べてもらえたから生きたいと願えたんだ。……なんて、あのとき見たシャインはわたしの記憶に眠っていた幻影でしかないのだけど」

 ーーレインちゃんは何も言わずに黙って、わたしの言葉一つ一つに頷いている。やっぱり、彼女は強いと思った。今も昔も前世でも、その瞳の輝きは変わらない。

「きみに再会するまで、ずっと彼女のことばかり想っていた。きみと再会してからも、きみに彼女の面影を重ねていた」

 不安定なわたしの手を握ってくれていた小さな手を、いつの間にかわたしのほうが強く握り返していた。こうしないと、うまく言葉にできないようで。

「今も昔も、わたしが愛していたのはきみじゃなくて彼女だったんだ」

 だからこそ、わたしはレインちゃんに過去を思い出して欲しかったのだろう。新しい関係を築こうとせず、昔の繋がりに縋ろうとしたのだろう。まったく、女々しくて情けない男だと思う。

「意地悪を言ってすまなかったね。今のきみがあまりにも幸せそうだったから、つい」
「いいえ。いいんです」
「……だから、きみは何も気にしなくていいんだよ。わたしはきみの言葉に救われただけで十分だ。きみは、今のきみの大切な人とどうか幸せになってほしい。それが、今のわたしの一番の願いであり、幸せだ」
「……ありがとうございます」

 どちらからとなく手を放した。わたしは腰に付けていたモンスターボールの一つを宙に放り、ボーマンダを呼び出した。

「ボーマンダ。レインちゃんをナギサシティまで送ってきてくれるかい」

 ボーマンダの背に乗ったレインちゃんは、わたしに向かってそっと右手を差し出してきた。その手を、右手で握り返した。こうして彼女に触れるのも、もう最後なのかもしれないと思うと、手を放すのが名残惜しくて、手を握る力を強めた。

「今と昔。形は少し違うけれど、私にとってゲンさんは大切な人です」
「わたしも、レインちゃんのことは大切な家族のような存在だと思っている」
「また会いに来ます」
「ああ。わたしもナギサに行くことがあれば連絡するよ」
「はい。じゃあ、また」
「ああ。また」

 ーー私たちがそっと手を放すと、ボーマンダは翼を羽ばたかせて空に飛んだ。巻き起こった風で花びらが舞う中、小さくなっていくゲンさんの姿を見えなくなるまでずっと振り返って見ていた。風に水滴が混じっていることに気付き、ようやく自分が泣いていることに気付いた。

「どうして……涙が出るんだろう」

 手の甲で涙を拭い、前に向き直った。哀しいわけじゃないのに、涙が止まらない。過去の私が、シャインが、泣いているのだろうか。この胸を襲う喪失感はなんだろう。ゲンさんとは会えなくなるわけじゃないのに、何かと永遠に別れてしまった気がした。
 涙よ、止まって。さっきよりも強く目元を拭った。
 笑っていよう。今も昔もずっと傍にいてくれたゲンさんのために。私が幸せになることがゲンさんの幸せに繋がるのならば、私は今抱いている想いを最後まで育て切りたいと思う。
 そして願わくば、彼も現世で大切な誰かを見付けられますように。そんなことを願いながら、私は今のわたしの大切な人がいるナギサシティへと飛んだ。


* * *


「……少し格好をつけすぎたかな」

 レインちゃんに言ったことは本当だった。わたしはレインちゃんにシャインの姿を重ねていた。アーロンとして生きていた頃も、ゲンとして生まれ前世の記憶を取り戻してからも、わたしが愛していたのはレインちゃんではなくシャインだった。
 頭では理解している。理論がそういう答えを叩き出そうとしている。しかし、心とは複雑だ。少しだけ苦しくて、寂しい。
 ぽたり、頬を冷たい何かが伝い落ちた。ここには誰もいない。天気雨か、それとも別の液体なのか、知るのはわたしだけだ。
 頬を濡らしたそれを拭い、彼女が飛び去った空を見上げた。どうか、現世では迎えられるべきときが来るまで、彼女が大切な人と共にあることができますように。
 そして、わたしも彼女との思い出をそっと仕舞い鍵をかけて、歩き出すときなのだ。



──rain end──

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