(どんなに悲しい結末だったとしても、後悔したことなんて一回もないんだよ)
「……ねぇ、着いた」
「……え?」
「出口。224番道路」
シャインとアーロンの最期を回想していた私の頭は、ウインディを連れた黒い服の女の子ーーマイちゃんの言葉に反応するまで、少し時間がかかった。
マイちゃんとは、チャンピオンロードを抜ける途中で知り合った。チャンピオンロードには二つの出口がある。一つはポケモンリーグへと続く道。もう一つは224番道路へと続く道だ。
チャンピオンロードといえば、ほとんどのトレーナーはポケモンリーグを目指す過程にある道という認識を持っているので、後者を選んで進む人は少ない。私は偶然、同じ行先を選ぶマイちゃんと出会ったから、彼女と行動を共にしている。
「本当だわ。……んっ、眩しいわね」
「ずっと、暗いところにいたから……」
「そうね。マイちゃんの目的はこの先だったかしら?」
「そう……この先にいるポケモンに会いたいの」
チャンピオンロードを出て224番道路を歩く。
224番道路は草むらや地面の段差が多く、人の手で整備されていない自然のままの道だった。でも、少しだけ寂しさを感じるのはどうしてだろう。
草むらを抜けて、浜辺を歩き、海を渡り、崖の上を目指す。
224番道路の果ては、突然訪れた。海を臨む崖は見晴らし台のように切り取られ、そこで道は終わっていた。代わりに、大きな石がそこにあった。太陽の光を受けてキラキラと輝いているその石の表面は鏡のように、それを覗きこむ私たちの顔を写した。
鏡石に映ったマイちゃんが、おもむろに口を開いた。
「わたしは……話すのが苦手……わたしの選んだ言葉はそのつもりもないのに……うっかり誰かを傷付けるかも……そう考えると口をつぐんでしまう……だから、ありがとうの気持ちを正しく、優しく伝えてくれるポケモンは素敵……」
「そう……そのポケモンが感謝の気持ちを伝えてくれるポケモンなら、マイちゃんの想いに反応して、出てきてくれるかもしれないわね」
「……感謝の、気持ち」
マイちゃんは静かに目を閉じた。その隣で、鏡石を見つめながら、たくさんの人の顔を思い出す。私が感謝の気持ちを伝えたい相手。
ソノオタウンであのポケモンに出会ったとき、私が一番に思い浮かべたのはデンジ君で、今もそうだった。でも、彼だけじゃない。オーバ君、父さん、母さん、チマリちゃん、孤児院の子供たち、ナギサの人たち、ヒカリちゃん、ジュン君、コウキ君、ジムリーダーのみなさん、一緒に戦ってくれるポケモンたち、そしてゲンさんと……私の前世であるシャインと、アーロンと、彼らの命を繋いだライリー。
今の私を構成している、出会った全ての人に言いたい。
「ありがとう」
そう呟いた直後、鏡石が真っ白な光を放った。光の洪水に飲まれながら、私は腕で顔を覆った。どのくらいの時間、そうしていただろう。
閉じた瞼越しに光がおさまった気配を感じ、そっと目を開ける。一瞬、違う世界に来たのではないかと錯覚した。荒野のように地面がむき出しになっていた崖に、色とりどりの花が咲き誇っていたからだ。
「これは……」
「いた」
「え?」
「わたしが会いたかったポケモン」
マイちゃんの視線を辿ると、そこには宙に浮いているシェイミがいた。やっぱり、ここにいた。私も会いたかった。シェイミに会うために、私はここまで来たのだから。
シェイミは悪戯っぽく笑うと、北へ向かって飛んで行った。シェイミが飛んでいく下は海だったはずなのに、海が左右に割れて花の一本道が出現していた。用事があるのなら、おいでってことなのかしら。
「ありがとう……」
「え?」
「きっと、今のがありがとうの気持ちを伝えてくれるポケモン……貴方のお陰で会うことができた……だから、わたしも自分の言葉でありがとうを伝えてくるね……」
「……ええ。マイちゃんがありがとうを言いたい人も、きっと嬉しいわ」
「……貴方にも……ありがとう……」
最後に少しだけ笑って、マイちゃんはクロバットに掴まって224番道路から飛び去った。
マイちゃんは、少し口数が少なくて、不器用だけれど、根はとても優しい子だ。だから、自分の言葉で人が傷付くことを恐れてしまう。でも、ありがとうって言うことができたら、それだけで相手を優しい気持ちにすることができる。次にマイちゃんと会えたなら、もっとたくさんのことを話せるような気がする。
「さあ。この海割れの道の先に、シェイミの住処……花の楽園があるのかしら」
花で埋め尽くされた一本道を、一歩ずつ踏みしめて歩く。私が通ったあとも、花は折れることなく天に向かってピンと茎を伸ばし、花びらを開いている。これもシェイミの力なのかもしれない。
花が一面に咲き誇っているこの光景は息をするのも忘れてしまうほど美しいけれど、一本一本の花は可憐で繊細で、健気に咲いている。まるで、シェイミそのものみたいに。
海割れの先に、楽園があった。咲き誇る花の真ん中にシェイミはいた。私がここに来ることを知っていて、待っていたかのようだった。
「……シェイミ」
(ポケモンに愛された人間。波導の勇者と波導の聖女の末裔、レイン。ミーに何か用でしゅか?)
「ええ。お願いがあるの。貴方にしかできないことなの」
(ミーに何を願いましゅか?)
「今は何もない、私の寂しい故郷に、溢れんばかりの花を」
十年前の事件で亡くなってしまった島のみんなへの餞に、伝えきれないほどの感謝の気持ちをのせた花束を贈るため、私は今ここにいるのだ。