犠牲の上に成り立つ平和


(自分が犠牲になることで世界が救われるなら、命すら躊躇わずに差し出す。私たちはみんなそういう人間だった。だから、悲しい結末しか選べなかった)



 リーン様は城のバルコニーにいた。手すりに手をかけて、鉛色になった空を見上げていた。
 まだ、城下には戦争国の激突による被害は及んでいない。リーン様は城下の人々に避難指示を出し、城の兵士たちにその誘導を任せた。しかし、ご自身は未だ城に残っていらっしゃる。

「リーン様」
「シャイン……ご存知の通り、もう戦争は止まりません……わたくしはこの城と共に運命を共にします。それが、王であるわたくしの使命。アーロンはもう行きました。貴方も早く逃げ……」
「いいえ」
「シャイン?」
「この国を滅ぼさせたりしません」
「……何をするつもりですか?」

 私はリーン様の問いに答えなかった。代わりに、別の言葉を紡ぐのだ。アーロン様の後を追うことに何の未練もないけれど、たった一つ。

「リーン様。私のたった一つの願いを聞いてください」
「……それがわたくしにできることであれば」

 愛する人との間に生まれた、世界でたった一つの宝物を、どうか。

「私たちの息子を……ライリーを、お願いします」

 リーン様は全てを悟ったかのように目を見開いたけど、もう私はその場から走り出していた。背後から名前を呼ぶ声が聞こえたけど、振り返らなかった。
 これでいい。あとは、早くアーロン様のところに行かなくちゃ。早くしないと、アーロン様は独りで逝ってしまう。

『シャインさま』

 城門の前に、リオルがいた。そうだ、この子にも別れを告げなければ。
 リオルを抱き上げて、ぎゅっと抱きしめる。この子は私のパートナーであり、私のもう一人の子供のようなものだ。昔からずっと私を慕ってくれているけど、それでも未だ進化していないのは、私に甘えられなくなるからといって波導の力で進化を抑えているから。私には隠しているつもりみたいだけど、私はこの子の親だ。そのくらい知っている。

「……リオル、貴方はリーン様のお側へ。私は兵の治療に向かいます」

 この子には何も悟られたくなくて嘘をついた。でも、リオルは静かに首を振って、真っ直ぐに私を見上げた。

『リオルは生まれてからずっと、シャインさまの側にいます。だから、シャインさまが何を考えてるか、わかります』
「リオル……」
『シャインさま、リオルも連れて行ってください』
「……それを貴方が心の底から望むのであれば」

 嗚呼、この子はいつの間に、こんなにも強い目をするようになっていたんだろう。子離れができていないのは私のほうだったのかもしれない。私はリオルの強い意志をくみ取って、ただ頷くしかなかった。


 * * *


「あれは」
『アーロンさまの杖です!』

 はじまりの樹へと向かう途中、地面に突き刺さっているアーロン様の杖を発見した。どうして杖だけがこんなところにあるのか。一瞬、イヤな考えが頭を過ぎって頭が真っ白になったけど、杖に使われている石から感じる波導が私を現実に引き戻した。

「ルカリオの波導がするわ……封印されている……?」
『もしかして、アーロンさまが……』

 恐らく、リオルの言うとおりだ。ルカリオほどの波導の持ち主を封じるには、それ以上の波導の持ち主でなければいけない。それができるのはごく僅か。加えて、封印されているのがこの杖だ。答えは一つに決まっていた。
 ルカリオの封印を解くことなら、私にもできる。でも、それをやっていいものか躊躇われる。アーロン様が何を想い、彼を封印したのか、痛いくらいにわかるから。
 でも、今私が封印を解かなければルカリオは永遠にこのままかもしれない。この、激しい怒りの波導を持ったまま封印され続けるのは、死ぬより酷なことかもしれない。
 私はアーロン様の杖に私の杖を合わせ、波導を流し込んだ。すると、アーロン様の杖から青白い光が飛び出し、それはルカリオの形を成した。

『シャインさま! リオル!』
「ルカリオ。何があったの?」
『っ……アーロン様は我々を裏切ったのです!!』
「どういうこと?」
『アーロン様は戦いから逃げ出したのです! わたしを封印して! 我々を見捨てたのです! アーロン様は……っ!』
「ルカリオ。落ち着いて」
『シャイン様!』
「貴方の師は、本当にそんな人ですか?」

 思い出して。貴方がついてきた人は、自分だけが生き長らえることができればいいと、そんな愚かな考えをする人ではないでしょう?

「弟子を、友を、家族を、国を捨て、一人生き延びる道を選ぶ人ですか?」

 ルカリオの怒りの波導が弱まって、冷静さを取り戻していくのがわかる。
 アーロン様はきっと、ルカリオに生きていて欲しくて彼をここに封印した。そうしなければ、ルカリオはどこまでも、それこそ地獄の底までもアーロン様について行くはずだから。あの方は、自分の犠牲を許しても、他人の犠牲は許さない。……そういう人。

「アーロン様ははじまりの樹にいます。私たちはそれを追うわ」
『シャイン様』
「アーロン様は私たちに生きて欲しいと願っている。だからこそ、私たちを置き去りにして一人を選んだ。私たちが行くことはあの方の想いを踏みにじることになるでしょう。それでも、貴方は行きますか?」

 ルカリオは迷わずに頷いた。結局、私たちはアーロン様と同じ気持ちなのだ。大切な人だけを一人で逝かせたくない。できれば、みんな揃って平和になった世界に帰りたい。でも、きっとそれは不可能に近いから、大切な人を失い遺されるくらいなら、大切な人と共に世界を守り、共に永遠の眠りに就くことを心から望むのだ。




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