そして今日も恋々と貴方を想う


(この想いは密やかに、着実に、私の中で育ってゆく)



 チョコレートの甘い匂いが部屋中に立ちこめている。リオルはさっきから、私の肩の上でそわそわしっぱなしだ。

『シャインさま。もう食べてもいいんですか?』
「ちょっと待ってね。バニラアイスを添えて……完成!」

 お城の厨房を借りて作ってきたフォンダンショコラをお皿に盛り付けて、さらにバニラアイスを傍らに添えれば出来上がり。あつあつのチョコレートと冷たいアイスの組み合わせで、両方を一度に楽しむことができる。生クリームも作って添えようと思ったけれど、これ以上リオルを待たせるのも可哀想なので今回はやめておいた。

『いただきます!』
「どうぞ。召し上がれ」
『……! シャインさま、すごく美味しいです!』
「本当? よかったわ。あとからジーランスのところにも持って行って、リーン様にもお裾分けして……アーロン様も喜んでくださるかしら」

 今日はバレンタインデーという、世界中が愛に満ち溢れた日だ。国によってお祝いの仕方が違うけれど、私たちが住んでいる国では一般的に女性が好きな男性にチョコレートを贈って愛を告白する日となっている。でも、異性に限らず同性間でもチョコレートを交換したり、告白の目的がなくても日頃お世話になっている人にチョコレートを贈ったり、という人も多い。
 私もそうするつもりだった。日頃戦ってくれているポケモンたちや、お世話になっているリーン様や、それから……師である、アーロン様、にも、私は感謝の気持ちを示そうと、チョコレートを使ったお菓子を作った。

『アーロンさま、喜んでくれるといいですね』
「ええ……」
『シャインさま、アーロンさまのこと大好きですもんね』
「り、リオルったら! 違うわ!」
『でも、バレンタインは女の人が好きな男の人にチョコレートを渡す日だってリーンさまから聞きました』
「そ、そうだけど……も、もちろんアーロン様のことは尊敬しているわ! 普段からお優しいし私を鍛えてくださるし……だ、だからこれは普段のお礼と感謝の気持ちを込めて……」
『でも、シャインさまの波導……』
「ほ、ほら、早く食べちゃいなさい」

 リオルは不思議そうに首を傾げつつ、またフォンダンショコラをもぐもぐと食べ始めた。
 まったく、波導はこれだから困る。抱いている感情が強いと、波導を読みることができる者に筒抜けになってしまう。特にリオルはとりわけ感受性が高く、他人の波導に影響されやすい。つまり、自らの意志に関わらず他人の波導を読みとってしまうことが多いのだ。
 アーロン様ほどの力を身に付ければ、自分が読みたいときに波導を読むことができるのだろうけど……そうじゃないと困る。だって、もしアーロン様が他人の波導を自然とキャッチしてしまったら、私のこの垂れ流しの想いは、きっとアーロン様に筒抜けになってしまうから。

「ダメよ……あのお方は私の師なのだから……本当に素敵なお方で私なんかが好きになっていいような人じゃ……アーロン様は……」
「わたしがどうかしたのか?」
「!」

 振り向いたその瞬間、心臓が止まってしまうかと思った。アーロン様とルカリオがそこにいたからだ。いつからいたんだろう。リオルとの会話や、私の独り言を聞かれていたとしたら、非常にまずい。

「あ、アーロン様! いつからそちらに……!?」
「ついさっきだよ。きみの部屋の前を通ったらいい香りがしたからつい……ノックはしたんだが」
「も、申し訳ございません。気付きませんでした……」
「いや。それより、これは? チョコレートかな?」

 アーロン様の言動に、特に変わったところは見られない。どうやら、私たちの話は聞かれていなかったみたいだ。

「はい。フォンダンショコラです。今日はバレンタインですから、あの、日頃の感謝の気持ちを込めて、アーロン様に食べていただきたくて……」
「わたしに?」

 こくり。微かに俯いてみせて、そのままアーロン様が履いているブーツの爪先を見つめた。顔を上げたら、きっと、林檎のように赤くなった頬がばれてしまう。
 これは、アーロン様への感謝の気持ちを込めて作ったチョコレートだ。でも、本当はリオルが言ったとおり、私は……アーロン様のことが好きだから。告白なんて烏滸がましいことはできないけれど、せめて私の想いが詰まったチョコレートを食べて欲しくって、作ったのだ。

「……」

 沈黙がずっしりと降り注ぐ。アーロン様は無言だった。顔を上げられないまま、私はアーロン様のブーツの爪先から視線をそらせずに思考を巡らせる。
 迷惑だった、かしら。もしかしたら、アーロン様は甘い物が苦手なのかもしれない。そうよ、だって男の人だもの。でも、アーロン様はお優しい方だから私が傷付かないような言葉を探してくださってるんじゃ……どうしよう。

「あ、あの、もし甘いものやチョコレートが苦手でしたら……」

 ワンピースをぎゅっと掴んで、振り絞るように声を出し、意を決して顔を上げた。でも……飛び込んできたのは、何とも言えない光景だった。アーロン様は目を大きく開いて、口元を緩ませていたのだ。

「え、えっと……?」
『申し訳ございません、シャイン様。アーロン様はチョコレートが大好物なのです』
「ルカリオ。そう、なの?」
『はい。シャイン様の贈り物がとても嬉しいみたいですね』

 本当、に? アーロン様にずっと仕えているルカリオが言うのだから、きっと間違いないのでしょう。そっか……よかった……喜んでくださっているみたいで、本当によかった。

「あの、アーロン様。よろしかったらお座りになってください。飲み物もご用意いたしますので」
「あ、ああ! ありがとう! いやぁ、バレンタインにチョコレートなんてもらったのは初めてかもしれないな」
「え? そうなんですか?」

 意外、だと思った。アーロン様はとてもお優しいし、勇敢だし、素敵な方だから、毎年数え切れないほどのチョコレートをもらっていると思っていた。

「そうなんだよ。誰もわたしがチョコレートを好きなんて思わないらしくてね」
『女王陛下に仕える波導使いが、まさか大の甘党とは誰も考えませんからね』
「ああ。毎年、贈られてくるのは酒ばかりだな」
「そう……なんですね」

 コポコポコポ。お茶をカップに注ぎながら、アーロン様と目を合わせないようにした。
 贈り物がチョコレートではないだけで、やっぱりアーロン様はいろんな方から人気があるんだって、思い知った。少しだけ、距離が近付いたかも……なんて、少しでも思ってしまった自分が恥ずかしい。
 私なんて、なんの取り柄もない普通の女で、アーロン様の隣にいること自体、恐れ多いことなのに……やっぱり、この気持ちには、蓋を、して。

「シャイン。このことは秘密だからな」
「……え? 秘密、ですか?」
「ああ。勇者と言われている波導使いが甘党なんて格好悪いだろう? リーン様も知らないことだ。それに、やはり、少し恥ずかしいしな」
「男性が甘い物を好きでも、私はいいと思います」
「ありがとう。シャイン。リオルも内緒にしててくれよ?」
『はい。リオル、誰にも言いません』
「……あの、お茶の準備ができましたので、食べましょう。ルカリオも座って」
『ありがとうございます』
「よかったな、ルカリオ。おまえも甘いもの好きだからなぁ」
『あ、アーロン様!』

 恥ずかしさから頬を染めるルカリオと、焦る彼をははっと笑うアーロン様のやりとりを見ていると、少し前までモヤモヤとしていたネガティブな思考が晴れていくのがわかった。
 アーロン様は甘いものが好き。それは私だけに教えてくれた秘密。秘密を共有して、また少しだけアーロン様と近付けたような気がして、嬉しかった。
 想い合えたら、なんて贅沢な望みはしない。だから、好きなままでいさせてください。笑ってしまうようなとても些細な出来事でさえ、今の私にとっては心を揺さぶる大切な思い出になるのです。




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