千年前の出逢い


(運命を変えるもう一つの出逢い)



 ひこうポケモンの囀りに混ざり、か細い啜り泣きが早朝の静かな部屋に響く。肩を上下させながら涙をポロポロと零すリオルを抱き上げ、あやしながら、私は壁時計を見上げた。修行開始時刻はとうに過ぎている。
 時間になっても現れない私たちを、アーロン様は怒っていらっしゃるかもしれない。それでも私は、泣くリオルを置いて一人で修行に行くことはできなかった。私はこの子がタマゴから生まれたときから一緒にいる、いわばこの子の母親代わりなのだから。

『シャイン? いるのか?』

 窓辺に置いている結晶が光り、アーロン様の声が聞こえてきた。私はリオルを片方の腕で抱いて、もう片方の手で結晶に触れた。

「アーロン様……」
『シャイン! よかった。部屋にいたんだな。なかなか来ないから、森の中で迷ったかポケモンに襲われたのかと……心配したよ』
「アーロン様……申し訳ございません」
『ひっ、うっ、っ』
『ん? シャイン……まさか泣いているのか?』
「いえ、私ではないんです。リオルが……」
『リオルがどうかしたのか?』

 リオルを抱く腕を反対のそれに変えて、赤ちゃんをあやすように体を揺すりながら、私は再び口を開く。

「リオルが故郷の夢を見たらしいんです。それで、ちょっとホームシックになったみたいで、起きてからずっとこの調子で……」
『そうか。リオルはまだ小さいからな。無理はない』
「アーロン様、リオルが泣き止んだら必ず修行に行きますから……」
『いや、今日はリオルについていてあげなさい。リオルにとってはきみが一番近い人なのだから』
「……ありがとうございます」

 正直、リオルが泣き止んだとしても私は修行どころではなかったと思う。リオルが私を頼り慕ってくれてるように、私にとってもリオルはかけがえのない存在だから。放ってはおけないと思う。アーロン様がお優しい方で本当によかった。

『わたしのピジョットがいればすぐにシャインたちの故郷に連れて行ってあげることができたんだが、今日は戦争国の偵察に行かせているんだ』
「いえ、お気になさらないでください。今、故郷に戻ったら、今度はこっちに戻りたくないと駄々をこねてしまうかもしれませんし」
『……すまないな』
「え?」
『シャインたちを戦いに巻き込んだのはわたしたちだ。わたしたちがきみに手紙を出さなけば、きみたちは故郷で家族と共に暮らせていただろう』
「アーロン様。私、そんなつもりで言ったのではありません。私は、この波導が国を守るために役に立てるなら、少しでもお力になりたいと思ったのです。それは私の大切な人たちを守ることにも繋がるから。そう思っているのはリオルも同じです」
『シャイン……』
「ですから、アーロン様は何も」
『ふええぇぇぇ』
「り、リオル……」

 とうとうリオルは本格的に泣き出してしまった。どうしたらリオルを安心させてあげられるんだろう。このままずっと泣かせっぱなしは可哀想だ。まだ幼いこの子を、そうやったら笑顔にできるのだろう。
 やっぱり、この子だけでも村に帰したほうがいいのかしら。ううん、そうしたら今度は私がいないからって泣くに決まってる。私は私の役目を果たすためにここにいたい。でも、本当にどうすれば……。

『シャイン。確か、きみたちの故郷は海の近くにあるんだったね?』
「は、はい。それが何か……?」
『この辺に海はないけれど、あそこに行ってみたらどうかな?』
「……?」


 * * *


『シャインさまっ! ここ、リオルたちの村の匂いがします!』
「ええ。この湖は海に繋がっているみたいだから、全部海水なのよ」

 アーロン様が私に教えてくださったのは、城の裏にある小さな洞窟を抜けた先に広がっている湖の場所だった。
 リオルに説明したとおり、この湖は底が海と繋がっているらしく、目に見える水は全て海水だ。このあたり一帯に広がる香りも、私たちの故郷の海から流れる潮風の香りとそっくりで、目を閉じたら本当に故郷に帰ってきたように感じる。
 リオルも故郷を間近に感じられたのか、湖に顔を映してみたり、手を伸ばして水に触ってみたりしてはしゃいでいる。どうやら、ホームシックは治ったみたいだ。
 今日はアーロン様のお言葉に甘えて、一日ここでゆっくりしましょう。また明日から、戦争を終息させるための修業を始めるために。

「……あら?」

 沿岸の先のほうにポケモンの姿が見える。姿はそこまで大きくないけれど、ここからでもわかる。あのポケモンは青い防具をつけている。戦争国のポケモン、だわ。でも、波導が弱っている。もしかしたら、戦って怪我をしているのかもしれない。
 お人よしだって言われるかもしれない。甘いんじゃないかって言われるかもしれない。それでも、何故か放っておけなかった。私は恐る恐るそのポケモンに近付いた。近付いてわかったけど、そのポケモンはジーランスだった。

「あ、あの……」
(……)
「怪我をしているの?」
(……人間か)
「ええ。シャインって言うの」

 ジーランスは気怠そうに、体を私の方へと向けた。一瞬だけ見えたけれど、背中が血だらけだった。

「ねぇ、早く治療しなきゃ」
(……ジッとしていれば治る)
「そんな。バイ菌が入っちゃうわ。大丈夫。すぐに終わるから」
(……お前、波導使いか)

 青白いオーラを手から放ち、傷口を回復させる私を見て、ジーランスは呟いた。そうだ。戦争国の戦士は波導使いを警戒していると聞いたことがある。だからこそ、アーロン様も戦闘の最前線には立たず見えないところで暗躍していらっしゃるのだ。
 それを考えたら、戦争国のポケモンの前で波導を使うことは間違ったかもしれない。でも、今更、だ。

(自分を救うなど物好きだな。波導使いということは、お前は中立国の人間だろう? 波導使いは戦争の妨げとなる我らが敵。自分が回復したらお前に牙をむくかもしれんぞ?)
「……ううん。貴方はそんなことはしないわ」
(ほう?)
「貴方は本当は、戦争なんか似合わない優しさを持ってる」
(買い被りすぎだな。会ったばかりのお前に自分の何がわかる?)
「わかるわ。だって。波導は嘘をつかないもの」
(……本当に買い被りすぎだ。確かに、自分は戦争が嫌いだ。争いしか生まないのに、くだらない)
「それなら、貴方はどうして戦争に参加しているの?」
(自分の主が兵士だと、そのポケモンも必然的に戦うことになるだろう?)
「それは……」
(しかし、さっきも言ったが自分は戦争が嫌いだからな。いつも、適当に戦ったあとは、ここでサボっている)
「ふふっ」
(波導使い。お前は何のために波導使いになった?)
「え?」
(人間が持つには大きすぎる力を、何のために使う?)
「私は……私がここにいるのは、戦争を止めるため。そして、大切な人たちを守るため」
(……もう一人の波導使いと同じことを言うのだな)
「アーロン様を知っているの?」
(ああ……お前たちのような人間やポケモンばかりだと、戦争は起こらなかったのかもしれないな)
「ジーランス……」
(傷を治してくれたこと、礼を言う。シャイン)

 そう言い残して、ジーランスは湖の中に潜っていった。また戦いの中に戻るのかもしれない。次に会うときは敵かもしれない。そもそも、次に会えるかなんて保証はどこにもない。それでも、また会える気がする。波導で未来を読むことはできないけれど、何故かそんな予感がするの。

『シャインさまっ!』
「きゃっ。リオルったら、びしょ濡れじゃない」
『えへへ。たくさん遊べました。だから、リオルもう大丈夫です。泣きません。明日からまた頑張ります』
「リオル……」
『でも、またここに来たいです。リオルの大好きな村と同じ匂いがするから』
「ええ。私も、またここに来たいわ」

 故郷と同じ香りがするこの湖に。そして、新しいお友達とまたきっと会えるから。




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