助手席は君のもの


 空は快晴。気分は上々。今日は絶好のドライブ日よりだ。
 だというのに、運転席でハンドルを握っているオーバくんは、一生分溜め込んでいたのではと思うくらいの重いため息を吐き出した。

「はぁ〜〜〜〜」
「オーバくん、どうしたの?」
「せっかくエイルと初のドライブデートなのに、車が親のお下がりの軽なんてかっこつかねぇな〜と思って」
「そうなの?」
「ああ。男としてはスポーツカーやオープンカーに彼女を乗せてドライブデートしてぇよな〜!軽は狭いし、窮屈だろ?」
「ううん。狭いと近くに座れるからわたしは嬉しいよ?」

 こうして、信号待ちの間は手を握っていられるしね。

「ねぇねぇ、ドライブする前にゲーセンに寄って欲しいな」
「いいぜ!でも、エイルがそういうところをリクエストするなんて珍しいな」
「ポケモンのぬいぐるみが欲しいんだ。このくらいの、大きいやつ」

 繋いでいない左手を使って「このくらい」と形を作ってみせる。うん。オーバくんのブースターがおすわりしたくらいの大きさが、ちょうど良いかもしれない。

「へぇ!ますます意外だな〜。エイルは部屋にぬいぐるみなんて置いてなかったろ?」
「うん。置くのはここ」
「へ?」

 ここ、と言ってわたしは助手席のシートをぽんぽんと叩いた。
 わたしは、特別ぬいぐるみが好きというわけではない。だから、大きめのぬいぐるみだったら、何でも良い。ただ、ぬいぐるみをオーバくんの車に置きたい理由を考えたら、女の子が好きそうな可愛らしいポケモンが良いかもしれない。ポッチャマとか、パチリスとか、ミミロルとか。
 だって、そうしたら「この車には女の子が乗るんだ」ってわかるでしょ?

「ここにわたし以外の女の子が座らないように見張っててもらわなきゃ」
「ははは!なんだそりゃ。心配しなくても誰も乗せねぇよ」
「ふふっ。知ってるよ?」

 オーバくんは絶対にそんなことをしない、という自信と信頼はちゃんと持っている。これは、ただのわたしの自己主張だ。オーバくんには彼女がいます、それはわたしです……っていう、ね?

「ぬいぐるみだけとは言わず、エイルの私物ならなんでも置いていいぞ」
「本当?ひざ掛けとか、リラックスするための履き替え用のサンダルとか、サングラスとか、ハンドクリームも置いていい?」
「おう!俺もエイルの部屋にいろいろと置かせてもらってるからな。エイルの私物が車の中にあると思うと、にや〜ってしちゃうしな!」
「ふふ、なんだか彼女って感じで嬉しいな」
「彼女って感じじゃなくて、正真正銘、俺の彼女だろ」

 彼女。その言葉を改めて聞くと、胸が熱くなっていっぱいになる。私はオーバくんの彼女で、オーバくんはわたしの彼氏。わたしがオーバくんのことを好きなように、オーバくんもわたしのことが好き。
 ああ。なんて、なんて幸せなことなんだろう。

「よーし!それならまずはゲーセンに行くか!」
「うん。膝にのせられるくらい大きなぬいぐるみがいいなぁ」
「任せとけ!オーバ様が取ってやるからな!」
「やった!ありがとう、オーバくん」

 ねぇ、オーバくん。気付いているかな。オーバくんはわたしのことを高嶺の花なんて言っていたけれど、わたしの中はこんなにもきみのことでいっぱいなんだよ?


* * *


 何年前の話だったかな。初めてオーバくんの車に乗せてもらったときのことを思い出して、少しだけ懐かしくて切ない気持ちになっていた。海辺をドライブしたり、お気に入りの音楽を聞いたり、渋滞待ちのときに手を繋いでいたあの車は、きっともう変わっちゃっているんだろうな。
 そんなことを考えていると、目の前に真っ赤なスポーツカーが停まった。中から現れたのは、車体に負けないくらい鮮やかな色の赤い髪だ。オーバくんの姿を見ると、自然と目尻が下がってしまう。

「おはよ!オーバくん」
「よう!」
「わぁ!車、昔付き合っていた頃と変わってるね」
「そりゃあ、いつまで経っても親のお下がりじゃあな?四天王になって稼ぎは増えたし、念願のスポーツカーだ!」
「わたし、車のことはよくわからないけど、かっこいいね!」
「そうだろ〜?ささ、どーぞ」
「ふふっ。ありがとう」

 オーバくんはわざと恭しく腰を折って、執事のようにドアを開けた。少しだけ寂しく思っていた気持ちが、小さな笑い声と一緒にわたしの中から出ていってしまった。
 想い出の車はあのときと変わってしまったけれど、また新しい想い出をこの車と一緒に作っていこう。オーバくんはシンオウ地方の四天王。わたしはイッシュを拠点とするポケモンミュージカル女優。お互い忙しくて会える時間は限られているけれど、許される限り、ふたりで色んな所に行こう。
 そんなことを思いながら、助手席に乗り込もうとしたわたしを迎えたのは。

「あ……」

 チルタリスの羽のようにふわふわのひざ掛け。車に乗っている間、足元をリラックスさせるためのサンダル。それからサングラスもあるし、お気に入りのハンドクリームも新しいものが買い直されている。そして、もうひとつ。等身大サイズよりも大きい、ミミロルのぬいぐるみだった。
 それは全部、昔付き合っていた頃にわたしがオーバくんの車の中に置いていたものだ。そのままにしちゃっていたから、わたしがイッシュに帰ったあとに捨てられたんだとばかり思っていたけれど、まさか車が変わってからもそれを置いていてくれるなんて。
 いつまでも車に乗らないわたしを見て、オーバくんはそわそわして落ち着かない様子だった。

「車は四天王になってしばらくしてから買い替えたけどさ、それは別れた後も捨てられなかったんだ」
「……そっか」
「はっ!今、重いと思ったか!?」
「ううん。そんなことないよ。すっごく、嬉しい。ありがとう」

 別れた後も元カノの私物を持っているなんて、と思う人もいるかも知れないけれど。別れた後も、離れている間も、夢を追いかけているときも、ずっとオーバくんのことが好きだったわたしにとって、すごく、すごく、嬉しかった。

「さ、行くか」
「うん!しゅっぱーつ!」

 わたしの中がオーバくんでいっぱいであるように、オーバくんの中もわたしでいっぱいみたいだ。今も昔も、そしてきっと、これからも。



2021.08.08


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